4. 朔夜
(記憶が戻った……のかな……)
白梅は、自分のことを、少し思い出していた。
早少女村の人たちに育てられ、そして、早少女村がなくなってしまったことも思い出した。
しかし、その後に起きたことは、いまだに思い出せず、なぜ今は意識だけの状態になっているのか、分からなかった。
記憶を思い出す前までよりも、少しだけ妖力が強くなった気がした。
(うぅ……)
白梅は、気分が落ち込んでしまった。
何もしたくなくなり、その場で脱力して、思考することをやめた。
すると、自分の意識が、どこかとある場所へ行こうと、駆られていることに気づいた。
あまりにも微細で気づかなかったが、この感覚はたしか、目覚めてからずっとあったものだ。
(この感覚を辿ったら、私の体がある場所まで行けるのかも)
白梅は、そう直感した。
***
白梅は、茫然と感覚を辿り、とある岩山の洞窟の入り口に辿り着いた。
自分の身体が、すぐ近くにあることを感じる。
(どうしてこんなところに……)
洞窟の中に入ると、さらにいくつかの分かれ道があり、中は非常に入り組んでいた。
そして、洞窟を歩いている最中に、地面に焚き火の跡や、布が置いてあるのを見かけた。
(ここには誰かが住んでいるのかも……)
進むたびに、強くなる感覚を辿りながら、ずいぶん奥まで来たところで、透き通った透明感のある、黒曜石のような角柱状の大きな物体が、現れた。
その角柱の石の中をよく見ると、なんとそこには、白梅の身体が入っていた。
ふわふわとした白銀色の髪の毛と、大きな猫耳が生え、閉じられた瞼からは、長いまつ毛が生えている。
そして、白い衣を纏った身体は、白梅の記憶にある自分の姿に近く、劣化等は見当たらない。
一つ、記憶と違った点は、その首に、見知らぬ玉の首飾りをつけていることだった。
虹色に輝く玉が、胸元で輝いていた。
(綺麗な首飾り……記憶を取り戻せば、これも思い出せるのかな)
角柱の石からは、他者の妖力が感じとれたので、誰かがこの中に、自分を保管したのかもしれないと思った。
白梅は、角柱の中の身体に、意識を潜りこませた。
(あれ、体が動かない……)
身体に入ることはできたが、自由に動かすことはおろか、全く言うことをきかず、ほんの少しだけ、薄目を開けられただけだった。
仕方がないので、身体が馴染むまでの間、周囲を観察することにした。
***
しばらくして、ひとりの人影が現れた。
その者は、虹色の瞳を持った涼しげな顔立ちを、白梅の入っている結晶へと向けた。
性別を超越するほどの美しい顔であったが、背格好は男性のそれである。
背丈はすらりと高く、衣の上からでも悪くない体格であることが、見てとれた。
濡羽色の艶やかな長い黒髪は、右肩のあたりで、ゆるくひとつに結われている。
肌は抜けるように白く、その容貌は、凛として洗練された美しさの中に、ほんのりと色気が足されたような、絶世の美青年だった。
(綺麗……)
白梅は思わず、男をまじまじと観察しはじめた。
その身は、質素ではあるが、光沢のある生地で作られた、白い衣をまとっている。
衣の左腕の上腕部には、イヌ族の紋章があり、左手には、蕾の混ざった、咲きかけの梅の花の枝があった。
(あ、あの紋章……)
白梅は、自分の左腕にも、同じイヌ族の紋章があることを思い出した。
男の見た目は、イヌ族の特徴であるふわふわの尻尾は無く、人間にとても近い容姿だった。
そのため、彼の衣は恐らく、血縁ではない近しい誰か……例えば友人や伴侶などの衣を着ているのだろうと、推測した。
男は、白梅の入った角柱の前で立ち止まり、左手に持っていた花の枝を、土が入った窪みに、丁寧に生けた。
花を生け終わると、一歩後ろに下がり、虹色の瞳でぼんやりと角柱を見つめる。
しばらく経った後、男は意を決したように、ゆっくりと片膝をついた。
そして、その場に跪いて、静かに首を垂れた。
深く首を垂れるその姿は、祈りを捧げているかのようだった。
(この人は誰なの……)
白梅は、この状況に全く心当たりがなく、頭がついていけなくなり、目を閉じて、男が去るのを待った。
しばらくして男が去ったので、白梅は、周囲の観察を再開した。
そして、段々と退屈になっていた。
***
数刻後、また同じ男がやってきて、白梅の前で跪き、深く首を垂れた。
白梅には、今が何時なのかが分からなかったが、男の様子から、恐らく、日付が変わったのだと思った。
白梅は、昨日よりほんの少しだけ大きく、薄目を開けることができるようになっていた。
(このひとは、多分悪いひとではなさそう……)
ただただ跪いて去るだけの男を観察しながら、白梅はそう結論付けた。
***
さらに数刻後も、同様に男が現れた。
しかしその日は、彼の様子が今までとは異なり、黒い衣を身にまとい、顔にわずかな失望のような色を浮かべて、跪いた。
そして、白梅の体感として半日以上もその場から身動きせず、飲食物等も一切取らずに、ひたすら深く跪いたままだった。
(一体、どうしてそんなに……?)
白梅は、無性にこの男に話しかけてみたくなったが、やはり身体が動かず、昨日よりも少しだけ目を大きく開けるので、精一杯だった。
その時、長いあいだ同じ姿勢で跪いていた男が、静かに顔をあげて、焦点の定まらない瞳で、角柱をぼんやりと見上げた。
白梅は、この機会を逃すものかと、渾身の力で、一生懸命に目を開いてみた。
(どうか気付いて……!)
白梅の努力は虚しく、実際にはあまり開いていなかったが、彼は、わずかな変化を見逃さなかったようで、ニ回ほど瞬きをした。
男は立ち上がって、角柱に近寄り、何かを確かめるように、白梅の瞳を覗き込んだ。
白梅の頭の位置は、男よりもはるかに高い位置にあるため、距離があった。
しかし、金と虹は、しっかりと視線を交わした。
男は、角柱に添えていた左手に力を込めると、その瞬間、先ほどまで硬かった黒曜石が、まるで柔らかい膜に変化したように、いとも簡単に弾けて消えた。
中にいた白梅は、突然、石の支えを失い、悲鳴を上げる間もなく、重力に従って落下しはじめる。
(お、落ちてる……!)
白梅は、地面に当たる衝撃に備えて、目を閉じ、反射的に身を硬くした。
しかし、想像していた衝撃は訪れず、代わりに、ふわりと、腕の中に受け止められる感触があった。
白梅が恐る恐る顔を上げると、その身体を抱き止めている男と、目が合う。
ふいに、繊細な花が混ざったような涼やかな香りが、白梅の鼻腔をくすぐった。
(この香り……どこかで嗅いだことがある気が……)
白梅を見つめる彼の表情は、無表情に近かったが、先ほどまでの失望の影は消え、穏やかさが混ざっていた。
ふたりは見つめ合う。
白梅は、自分の鼓動が相手に聞こえてしまいそうで、恥ずかしくなった。
「あ、あなたは誰?」
白梅が、鈴を転がすような小さい声で尋ねると、男は何かに耐えるように目を閉じて、静かに息を吐き、白梅を降ろしながら答えた。
「私の名は、朔夜という」
その声は、低く深く、艶のある声だった。
白梅の記憶に、その名前は無かったが、なぜか分からないが、馴染みがあった。
白梅が考え込むと、その様子を見て、朔夜は言った。
「やはり、記憶が欠けている」
「私のことを知っているの?」
朔夜は頷いた。
恐らく、この朔夜という男は、もともと白梅の知り合いで、今は思い出せていないだけなのだろう。
「どうしたらあなたのことを思い出せるの?」
「分からない」
朔夜がそう答えると、白梅は、少し残念に思った。
しかし、朔夜が言葉を続ける。
「心当たりなら、ある」
「教えて……!」
白梅は、彼の言葉を聞いて顔を輝かせ、すぐさまお願いした。
数刻後、ふたりは洞窟を後にした。
***
朔夜の案内を頼りに、ふたりは洞窟を出て、しばらく獣道を歩いていた。
その後、人が通れるほどの踏み分け道らしきものに合流し、そのまま道なりに進んだ。
白梅はここまでの道中で、朔夜について、少しだけわかってきたことがある。
彼は、非常に物静かであることと、白梅に危害を加える様子はないということと、白梅のことをとても気遣ってくれるということだ。
まだ歩くことに慣れていない白梅に、朔夜は、しきりに目を掛け、肩を貸し、歩調を合わせた。
「あ、ありがとう……」
白梅は、あまり知らない男性と、ふたりきり頼りきりの状況に、顔を真っ赤にしながら、何度もお礼を言った。
ふたりでしばらく道なりに進むと、とある村の入り口付近に、辿り着いた。
朔夜が徐に口を開く。
「この辺りで、一度休息した方がいい」
「でも、私はまだ歩けるよ」
「この先は山道に入る」
このまま村に入るという訳ではなく、山に向かって、逸れて進むらしい。
「村には行かないの?」
「後で向かう。陽が落ちる前に、先に確認したい場所がある」
そういうことならばと、白梅は山道に入る前に、少し休むことにした。
朔夜は白梅に、この周辺からあまり離れすぎないように伝え、水を汲みに川へ行った。
白梅は辺りを見渡すと、少し先に進んだ、村の入り口付近の木陰の下に、花びらのような光が、漂っていることに気づいた。
早少女村で見かけた光る花びらに、とてもよく似たものだった。
(ここにもあるんだ)
白梅が、歩いて光に近寄った。
その光たちは、また白梅の身体に向かって、勢いよく流れ込んできた。
朔夜は、白梅ほどに感情や心情を描かないようにしていたりします。
そのかわり、白梅よりも行動についての描写が多いので、行動から心情を推測しながら読んでいただけると、ちょっと面白いかもしれません。