2. 白梅
最初の記憶は、薄暗い小屋の中から始まった。
白い衣を着た、九つの尻尾を持つ女性と、黒い衣を着た猫耳の男性が、自分を見つめている。
『白梅……』
そのどこか懐かしい、優しげな女性の声を聞いて、白梅は、小屋の中で目を覚ました。
薄暗い小屋の中を見渡すと、沢山の瓦礫に混ざって、古びた布団や、箪笥などの木片が目に入った。
地面には、瓦礫や布が転がっており、幾何学模様のような図が描かれた紙が、いくつか散らばっている。
この場に、自分の他には誰もいないようだ。
見覚えのある光景のような気もするが、ここがどこなのかが思い出せなかった。
そして、自分が何者かを思い出そうとしたが、名前が白梅である、ということ以外は分からない。
なんとか記憶の糸を辿っていると、一つの言葉を思い出した。
『私は九尾の狐だから、あなたの願いを、あと八つ、手伝ってあげられる』
この言葉はきっと、いつか誰かが、自分に向けて伝えたのだろう。
その言葉を思い出すたびに、どのような時でもひとりではないのだと、勇気づけられた。
白梅は、小屋から出るために戸を開けようとしたが、今の自分には体が無く、意識だけがあることに気がついた。
試しに、壁に向かって前進しつづけると、そのまま壁をすり抜けて外に出た。
***
小屋の外に出ると、雪が降っていた。
(ここはどこ……?)
辺りを見渡すと、夕陽に染まる空、まばらに生えた草木、そして少し離れた場所に、質素な身なりをした二人の男が、歩いているのが見える。
白梅は二人に近寄ったが、男達には、白梅が見えていないようだった。
「確か、昔はこの先に、小さな村があったんだよ」
「知ってるぜ。10年以上前に、白猫の妖獣が全滅させちまったんだってな」
「あぁ。いま噂でよく聞く、あの白猫の妖獣さ」
「見つけたら報奨金が出るんだろ」
そう話しながら、二人は、白梅の目の前を通り過ぎていった。
(小さな村……白猫の妖獣……)
白梅は、二人の話が妙に気になり、その村に向かうことにした。
***
小屋からそう遠く離れていない場所に、一つの小さな廃村を見つけた。
村の入り口に、花びらのように舞い散る光が、瞬いているのが見える。
近寄ると、その光たちは、白梅に向かって、勢いよく流れ込んできた。
白梅の中に、暖かいものが広がってゆくのを感じる。
その心地よさに、身を委ねていると、徐々に、とある光景が心の中に浮かんできた。
***
「白梅、早く行こう!」
「ち、ちょっと待って……!」
白梅を呼んだ少女は、どこかに行こうと急かしているが、呼ばれた少女は、池の中を覗き込んでいる。
池には、薄い氷が張っていた。
「紗代……待って!」
池の氷には、大きな猫耳の生えた少女が、ふわふわとした白銀色の髪の毛を整える姿が映っている。
白い肌に乗った金色の瞳は、長いまつ毛に彩られ、薄桃色の小さな唇は、愛くるしい微笑みを湛えていた。
「梅の花、楽しみだね!」
***
白梅は、人口がとても少ない小さな村……早少女村に住んでいた。
この村は珍しく、妖獣である白梅に寛大であった。
白梅は生まれて間もなく、この村の近くでひとりで泣いていたところを、村長に拾われたらしい。
村の人々は、皆優しく、白梅の成長を暖かく見守っていた。
***
白梅が五歳になった頃のある日の晩、彼女が住んでいる村長の家に、見たことのない客人が来ていた。
(誰かいる……)
戸口で談笑をしている声が聞こえたので、白梅は家の奥から、こっそり様子を伺った。
客人は、青髪の青年と、黒髪の子どもだった。
そのどちらもが、薄い布で目元を覆って隠している。
青年は、村長に手土産を渡しながら、訪ねた。
「近頃の村の様子はいかがですか?」
「おかげさまで、平和に暮らしているよ」
「それならばよかった」
村長は、とても親しげな様子で質問した。
「そちらの方は?」
「呼び名は、朔と言います。今年からは、この子も同伴させることにしました」
「朔さんだね。これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
子どもが礼儀正しく受け応えるのを見て、大人ふたりは、自然と微笑みを浮かべた。
「この子は、とても真面目で聡明な子なのです。きっと、妖獣と人間の架け橋になるよう努めてくれることでしょう」
「うちの村にも、子どもの妖獣がいるんだよ。お昼のうちにいらっしゃることがあれば、是非会っておくれ」
村長がそう言うと、子どもは頷いた。
白梅は、村長が自分の話をしていることに気付いたが、知らない人がいるのは恥ずかしかったので、そのまま隠れて聞いていた。
「優しくて思いやりのある、とても可愛らしい白猫の子なんだ。少し恥ずかしがり屋だがね」
村長がそう言うと、青年は
「楽しみにしていますね。では、そろそろ我々は帰ります」
そう伝えると、子どもを連れて、村長の家を離れた。
「村長、今の人たちは?」
二人が出て行った後、白梅は小走りで、村長に近寄りながら聞いた。
「白梅、いたんだね。あの方たちは、私の古い知り合いと、そのお連れさんだ」
「しりあい?」
「いつもこの村のことを気にかけてくださる、良い人たちだよ。人間も妖獣も、どちらにも心根が優しい者たちがいるということを、君は是非覚えておきなさい」
村長が言っていることは、白梅にはまだ難しかったが、心に留めようとした。
そして幼心ながら、この村の中にいれば、安全なのだということは理解できた。
***
村長は、村の中で医者のような役割を担っていた。
白梅もよく村長を手伝って、村人達の手当てや看病をしたり、薬を作ることがあった。
そして、村長は妖獣の慣習や生態にも詳しかったので、しばしば白梅に知識を教えてくれた。
例えば、妖獣は体の元となる獣ごとに、『種族』というものに分けられ、名乗るべき苗字が決まっている。
白梅は、ネコを元とした体の種族であるネコ族なので、苗字は鈴音と名乗る必要があるらしい。
また、妖獣は生まれつき、左の上腕部分の肌に、種族を表す紋章がついている。
通常は、自分の体の元となる獣が描かれた紋章がついているらしいのだが、白梅の左腕には、なぜかイヌ族を表す紋章が付いていた。
犬のような狼のような顔が描かれた紋章が、生まれつき付いていたのだ。
これについては、村長にも理由が分からない現象らしい。
白梅にも、どう扱うべきか分からなかったが、誰から見ても白梅は、ネコ族の見た目をしているようなので、とりあえず、ネコ族を名乗ることで落ち着いている。
白梅の大きな猫耳は、通常の人間にはない身体的特徴であるため、人間の行動圏内においては非常に目立った。
そのため、白梅が用事で村から出かける時は、頭の上にある大きな猫耳を隠すように、言い聞かせられていた。
***
白梅が七歳になった頃に、一度、村の男の子たちにいじめられたことがあった。
白梅の容貌の愛らしさゆえに、男の子たちは、白梅に自分を見て欲しくて、小さないたずら心を起こした。
白梅の大きな猫耳を、揶揄ったのだ。
(私の見た目は……他の人から見たら、変なのかな)
その時白梅は、本当は他の人間と自分は一緒ではない、ということを強く感じるようになった。
後日、男の子たちは、村の大人たちにこってり絞られて、白梅に謝った。
白梅は、それを許したが、自分が妖獣であるということを意識する度に、人前に出ていくのが少し苦手な、恥ずかしがり屋な子に育っていった。
本当は、他の人ともっと仲良くなりたいのに、自分と相手の違いを気にしてしまい、妖獣の自分がどう見られているのかを考え始めた後、顔を赤らめて、物陰に隠れてしまう。
そんな恥ずかしがり屋な白梅に、村の人たちは皆、暖かく接してくれたので、白梅は、早少女村の人には心を開くことができた。
時は、平和に過ぎ去った。
以前、村長の家に訪れた、あの不思議な訪問者たちには、まだ会えずにいた。
白梅が、不在の時に訪問があったり、風邪を引いた時に訪問していたので、機会が合わなかったのだ。
白梅は、その訪問者たちの存在を、次第に忘れていった。
***
白梅が10歳になった頃、人間の王が龍族を打ち破ったという噂が流れてきた。
人間と妖獣の分断が進んでいく風潮の中、早少女村の人たちは、変わらずに白梅と接してくれた。
白梅は、極力村の外には出ずに、村の人たちに迷惑をかけないように努めた。
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