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第5話     百合に棘は無い

「・・・・う」


カーテンの隙間から差し込む憎いほど眩しい日差しがミシェルの顔を鋭く射す。

目を閉じたまま無意識に眉をひそめて、ミシェルは反対側に寝がえりを打つ。

しかし、そのときミシェルの腹の上にぽすんと何かが飛び乗って、ベッドの上に横たわるミシェルの体の上を四本の足でわざと歩く。

そして起きていないフリをしているミシェルの顔をなめまわして、ようやくミシェルは起き上がった。


「もー・・・マリンやめなさい」


自分の顔をぺろぺろとなめて起こそうとするマリンを引き剥がして、ミシェルは部屋の時計を探す。

針は昼の2時前を示している。

随分と寝過したようだ。

理由は明快だ。

昨夜遅くまで父と姉の説教に付き合わされたからだ。


姉の婚約者とは知らなかったものの、夜会の最中に零と二人きりで喋っていた事が知られてしまったのだ。

レベッカは嫉妬からか父に得意の嘘泣きで可愛く縋り、安易にそれに騙された父はミシェルを呼びつけ酷く叱りつけた。

説教の内容を真面目に聞いてはいなかったが、ところどころ出てくる単語からしてどうやらレベッカは大袈裟に話を膨らませたらしく、ミシェルがレベッカの婚約を邪魔しようとしていると、いわゆる略奪愛を企んでいるという事になっているらしい。

誤解も甚だしいと思ったが口に出せばもっと面倒なことになりそうだったので、ミシェルは理不尽な長い説教にも渋々耐えた。

長時間の説教に精神的にも疲弊して、簡単にシャワーだけ浴びてようやくミシェルが眠りについたのは明け方だった。


「う・・・頭が重い・・・」


いつもと違う時間に寝たからか、少し体がだるさを含む気がする。

ミシェルは乱れた髪を後ろにはらって、やっと立ち上がる。

王女でありながら侍女をもたないミシェルは、いつも自由な生活を送っている。

贅沢ばかりしているレベッカも自由といえば自由だが、専属の家庭教師をつけて勉学に励んだり、音楽などの芸術的教養を身につけたりなど、スケジュールが分刻みで決まっている姉に比べ、ミシェルのスケジュールは常に白紙である。

とりあえず朝食をとったあとに書庫にでも行こうと、ミシェルは昨日書庫から持ち出した本を脇に抱えて部屋のドアノブをまわした。


「・・・・あら?」


何度まわしても、鈍い音がするだけで押しても引いても扉が開かない。

苛立って片足で蹴ってみたがびくともしない。

ミシェルの足元で不安そうにマリンが鳴く。

ミシェルは本をベッドの上に放り投げて、数歩下がる。


「マリン、どいてなさい」


そう言われる前に、マリンはベッドの上へと避難していた。

ミシェルは息を吐いて、両手をぱんぱんと払う。

そして少しの沈黙の後、ミシェルは勢いよく瞬時に右手を前に突き出した。

シュバッと空気を切り裂く音がして、黄色い閃光がドアノブに向かう。

だが、ドアノブに届く一瞬前に閃光はバチバチッと火花を上げるような音をたてて霧散してしまった。


「・・・結界だわ。中から外に出れないようになってるのよ」


ベッドの上でマリンがしっぽをぽすぽすとリズミカルに布団に叩きつけながら、ミャアと鳴く。

早く朝食が食べたいという催促だろうか。

だが、残念ながらそれは叶わない。


「・・・父の仕業ね」


元をただせばおそらく原因はレベッカだろう。

よほど昨夜ミシェルが零と一緒にいたことが気に食わなかったのだろう。

昨夜の説教だけでは飽き足らず、どうやら罰を与える事を父にねだったのではないだろうか。

そうして娘のレベッカを溺愛する父は、ミシェルに監禁の罰を与えたのだろう。


「・・・ごめんね、マリン」


お腹がすいたとばかりに、さっきから鳴いてねだるマリンを撫でてあやす。

今回の監禁も初めてではなかったので、ミシェルはこの前のように窓をつかってもこの部屋から出る事は叶わないと知っていた。

結界は綺麗にこの部屋をとり囲うように張りめぐらされており、破ろうと無茶をしたら怪我をしかねないし、なによりその魔力の衝撃ですぐに父にばれてしまうだろう。

ミシェルは大きく溜め息をつく。

ベッドに横たわるがもう目が冴えてしまって眠れない。

本もこの部屋にあるものは全部読んでしまったものばかり。


「今日は退屈な一日になりそうね」


静かになったマリンはのどを鳴らしてミシェルにすり寄る。

慰めてくれているのだろうか、とミシェルは少し寂しげに笑った。








「あれ・・・今日はいないのか」


書庫に来てみると、赤いソファにはいつも足を放り投げて寝転んでいる彼女の姿は無かった。

零はこの前借りていた本を棚に戻して、適当な本を手にとって赤いソファの端に腰かけた。


それにしても・・・あいつが王女か。


ここに寝転がって、第二王女様によろしくね、と言ったミシェルの姿が思い出された。

第二王女はお前じゃないか。

今思えばあれは自分をからかっていたのだと気付き、少し腹立たしい。


それにしても、なんて王女らしくない女なんだ。

自分を着飾る事もせず、舞踏会よりも書庫が好きだなんて。

あのレベッカの妹だとは、到底思い難い。

似てないにも程がある。

外見だって似ていない。

父と同様赤みの強い金髪のレベッカに比べて、ミシェルは色素の薄いプラチナブロンドだ。

体系も、少しふくよかなレベッカに比べて、ミシェルはちゃんと食事を摂っているのだろうか心配する程に細い。

でも壁にはりついて這うぐらいだから、筋肉はあるのだろう。


ふと、壁をよじのぼるミシェルを想像して笑ってしまう。

しかし、今ここにいるのが自分だけなのを思い出して、なんだか一人で笑ったことが恥ずかしくなって零は咳払いをして誤魔化した。


そうしてどれくらいか時間が経って、零はふと我に帰る。

本を読み終わった後に、自分の世界に浸ってしまっていたことに気付いた。

本を読んでいると時間の感覚が全くわからなくなってしまうことが、難点である。

辺りを見渡すが、しかしこの書庫にはどこを探しても本ばかりで時計がなかった。


「仕方ない・・・今日は来ないようだし、帰るか」


ただ本を読みに来ただけであって、別にミシェルに会いに来たわけではないはずなのだがどこか落胆している自分に零は心の内で首を傾げる。

そして零は適当に本棚から一冊本を抜き出して、それを片手に書庫を後にした。

書庫は曲がり角がいくつもある複雑に入り組んだ廊下の先の先にある。

ここは使用人でも普段は立ち入らないような、物置や倉庫なんかが並ぶフロアらしい。

第二王女を探している最中に、探検と兼ねて適当に廊下を歩いていれば偶然辿り着いたのだ。

今思えば、奇跡というか運命というか。

このオードリアスに来てから、悪い事ばかりではなかったようだ。


「零!!」


廊下の先から、昨夜も聞いたような不機嫌の含む母の怒号が聞こえてきた。

うんざりしながら、零は取り上げられないように片手に持っていた本を素早い動作で懐に隠す。

やがてすぐに母は姿を現し、やはり想像通りその表情は怒りをまとっていた。


「昼食にも出ないで、どこに行ってたの?レベッカもランベールもみんな待ってたんだから!」


「それは・・・悪かった。ちょっと、散策してたら道に迷って」


どうやら少し本を読んだだけのつもりが、もう昼過ぎらしい。

母は呆れたように溜め息をついたが、何かを思いついたらしく何故かすぐに顔を綻ばせた。

そして両手をぽんと叩いて、母は笑顔で言った。


「それなら、レベッカに案内してもらえばいいじゃない!」


「何でそうなる」


「道に迷わず散策できるじゃないの」


「道に迷うのも散策の醍醐味だろ」


「あなたまだオードリアスにきてろくにレベッカと喋って無いんだから、いい機会よ!」


零は思い切り嫌悪感を露わにするが、全く気にしたようすのない母はどんどん事を進行させていった。

しかし、ここでまた逃げれば昨日の夜会の事もあって母の機嫌が面倒な事になりそうだ。

ここは黙って流れに乗るしかあるまい。

心を無にして、あの香水女の相手をしてればいいだけだ。

零はそう自分に言い聞かせて、苦々しい表情をしたまま母の後をついていった。






「この広い庭園には私の意見で、色とりどりの薔薇がたくさん植えてあるのですわ」


色とりどり?

零は思わず顔をしかめる。

母に言われた通り広い庭園をレベッカに案内してもらっている最中なのだが、庭園というよりも薔薇園と呼んだほうがしっくりくるかもしれない。

零の眼下に広がる薔薇はどれも赤とピンクばかり。

けばけばしいにも程がある。

さらに薔薇のキツい香りが零の鼻を突く。

最悪の気分だ。

零は心内で苦々しげに呟いて、仏頂面のままレベッカのあとをついて歩いた。


レベッカの方は零の不機嫌なオーラに気付いているはずなのだが、それでも積極的に体を寄せてくるその行動力と向上心はあっぱれだ。

無下に振り払うのも躊躇われ、零はやや早足で歩く事でレベッカが腕を組もうとしてくるのを遠回しに拒絶していた。

まっすぐな小道が規則正しい感覚で交差する庭を、二人は歩く。

隣でレベッカが絶え間なく喋り続けるのを零はずっと無言で聞き流していた。


「薔薇は花の中でも最も気品のある気高い花で、私も香水やオイルなど全て薔薇で揃えていますの」


このむっとした匂い、どこかで嗅いだ事があると思ったらレベッカの香水か。

零は、花の匂いが苦手だ。

見るだけならいいのだが、あの少々の粉っぽさを含むような纏わりつく香りがどうにもだめなのだ。

だから前後左右を薔薇に囲まれたこの庭園は、零にとって居心地が最悪の場所であった。


「一ついかがですか?美しい顔立ちの零様には、ぴったりだと・・・」


「いい。棘が刺さる」


どこへ行っても薔薇、薔薇、薔薇。

赤と白のコントラストで目がチカチカしてきた。

疲れから小さく息を吐いて、零は目頭に指をあてる。

頭上に広がる青空をしばらく見上げて、色彩の狂った視界を戻そうと試みるが、さっきまで本を読んでいたのもあって相当零の目は疲れているらしい。

何度か瞬きをしてようやく見なれた視界を取り戻し、ふと零は王宮の建物の方に目をやる。

遠目でしかも目が疲れている為よく見えないが、ずらりと並ぶ窓のうち一つだけが開け放たれ、全開になっている。

豪華な装飾のテラスがある部屋である事から、それなりの人物の部屋ではないのだろうか。

すると、部屋の中から白いレースのカーテンが風にたなびいているのが見えた。


「あっ」


その時、テラスの手すりに黒猫が座っているのが見えた。

しかし、黒猫はすぐに手すりから飛び降りて見えなくなってしまった。

おそらくあの黒猫は以前ミシェルが連れていた猫ではないだろうか。

とすると、あの部屋はもしかして・・・


「どうかしましたか、零様」


思わず小さく声をあげた零に気付いて、レベッカが不思議そうに零の顔を覗き込む。

零はハッとして、思わずレベッカから身を引いて首を横に振った。


「いや、何でもない」


すぐに否定したが、やはり心の隅でどうしてもひっかかる。

少し迷ったがやがて、小首を傾げて上目づかいでこちらを見上げるレベッカに零は問いかけた。


「ミシェルは、元気なのか?」


「え?」


あのミシェルが書庫にいないとは珍しいので、少し心配だったのだ。

もしかして、具合が悪くて部屋で寝ているのだろうか。

しかし、少し予想外にもレベッカは随分とばつの悪いような表情をした。

訝しげにレベッカを見つめていると、レベッカは零の視線に気付いたようではっと我に返った。


「妹は、別にどこにも悪いところはございませんが・・・どうしてですか?」


「いや、いつも食事の席にいないから・・・」


「ああ」


どうやらそれで納得してくれたらしい。

レベッカはすぐに元の化粧でつくられた可愛らしい笑みを湛えてぺらぺらとしゃべり始めた。


「いつも言って聞かせているのですけど、本当に自分の立場がわかっていないというか・・・父様も、とても人前に出せないと仰っているのですわ」


「そうなのか?」


そういえば、確かに以前からオードリアス第一王女レベッカの噂は随分と聞いていたが、オードリアスに第二王女がいる事自体零は今回の婚約の話で知ったのだ。

ミシェルの存在は、そんなに公にされていないのだろうか。


「小さい頃からとても変わった子で、あんな変人を王女として民の目に触れさせてはならないと父様が。あれでも一国の姫なのに、舞踏会にも出ずに本ばかり読んで・・・変人にも程がありますわ」


「本なら、俺もよく読むが」


先ほどより更に一オクターブほど低くなった零の声に、レベッカはわかりやすく動揺して慌てて取り繕う。


「い・いえ、零様は変人なんかではありませんわ。ただ、年頃の女の子が・・・」


最悪の気分だ。

零はレベッカの無理矢理な言い訳を適当に聞き流して、苛立った心をどうにか落ち着けようと空を見上げる。


さっき、思わずむきになってしまったのは本が好きな事を変人呼ばわりされたからだろうか。

それとも、ミシェルの事をまるで頭のおかしい奴みたいに言うからだろうか。

・・・でもどうして、それだけでこんなにも腹が立つのだろう。

ミシェルの事なんて、全然関係ない話なのに。

そういえば、ミシェルも自分で同じような事を言っていた。

私は自覚してるもの、変わってるって。と。

違う。

そう言った自分の方を少し驚いた様子で見て、ミシェルは微笑んだ。

零の好きな、あの柔らかな笑顔で。


すると、ふと零は赤とピンクに埋め尽くされた視界の隅に、何か白いものがよぎったのに気付いた。

それが見えた方へ足を進めると、無数の薔薇に囲まれて隅の方に一輪の白い花がひっそりと咲いている事に気付いた。

これは・・・百合?


「あら、なんですかその花?」


後をついてきたレベッカが、零の足元に咲く百合の花を見て眉間に皺を寄せる。


「まあ、白い百合だなんて・・・折角の薔薇園が台無しですわ」


「そうか?俺は綺麗だと思うが」


零の低音の声に、再び焦ったようにレベッカが傍で何か言っているが零の耳には何も入ってこなかった。

赤とピンクの薔薇達の中で、ひっそりながらに凛とそこに佇む白。

目立たないながらにそこで生きていたんだと、その控え目ながら堂々たる姿と零の中で何かが重なる。

零はその花を崩さないようにそっと摘んだ。


ミシェルに会いに行こう。


何故だか、急に思い立つ。

理由はわからない。

本についてまた語り合いたいだけかもしれないし、一刻も早くこの薔薇園から逃げ出したいからかもしれない。

それくらいしか、理由なんて思い当たらない。


そこに別の理由が潜んでいた事には、まだこの時は気付けなかった。


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