第62話 夜明け
グライスナー領に春がやってきた。
いや、前世と違い、この地域には四季がないのだが、まるで春が訪れたかのように、ふわふわとした暖かな空気がこの街全体を満たしている。
他でもなく、領民達がお母様の回復を大いに喜んでいるのだろう。
「レオナ、今日はどこまで作業しようか?」
「あ、お母様お待ちくださいっ。1人じゃ危ないですよ!」
あれから半年が経った。
お母様は体力も回復し、すっかり元気だ。今まで静かに過ごしてきた分、とにかく色々なことに手を出したいらしく、むしろ今は誰より活動的と言ってもいい。
元気になって何よりだが、一つだけ気になることがある。お母様が病気になった理由だ。
お母様の病気が、闇属性魔法による攻撃だったのではと予想するレオナは、できるだけ一緒に行動するようにしていた。
レオナの戦闘力は雀の涙程度だが、一緒に居れば、もれなく護衛のテオやカイルがついてくる。何かあれば力になってくれることだろう。
お父様も思うところがあるようで、護衛をつけようと日々お母様を説得しているが、領内にいる時はいいじゃないと断られているらしい。
とまぁ、周囲の人間は心配に心配を重ねているのだが、当の本人はその心配をよそに、自由にあちこち動き回りたがるから大変だ。
まぁ長い期間、床に臥していたんだ。気持ちは分かるけどね。
「今日はあとどれくらい、魔法を使っても良いかしら?」
「残りのMPが58なので、余裕をみて25回くらいにしましょう」
現在のお母様のMPは、なんと驚異の876。確か半年前には420だったはずなのに。さすがランクSSSの才能持ち。MPの増え方が尋常じゃない。
◆◇◆◇◆
このところ、レオナは何時になくご機嫌だ。先々月、7歳の誕生日をお祝いして貰った時でさえ、もう少しお淑やかだったと思う。
それもそのはず。
「今日はついに、アレを作ります!」
「「アレ?」」
お母様とテオが首をひねる。
「石鹸です!」
お風呂に欠かせないもの、そう石鹸。
前々から作りたいと思っていた、この石鹸。お母様の病を治療したことで、ついにお父様から製造許可が下りたのだ。
許可が下りたその日から材料の調達を始め、ついに今日、準備が整った。
許可が下りた日からのレオナは、ご機嫌そのもの。久しぶりに、大浴場建設計画が前進しそう。その嬉しさで、思わず鼻歌交じりに街中を歩いてしまい、お母様に指摘されて赤面······なんて日も。
石鹸の作り方は、前世に動画で予習済み。作った事はないけど、なんとなく出来そうな気がしている。
主な材料は2つ。
1つ目は油。これは、農業スキルでレオナが栽培した、アブラナから抽出してみた。本当は肌に良さそうなオリーブ油を使いたかったけれど、残念ながらオリーブの木は農業スキルでは栽培出来なかったのだ。
逆に言えば、木属性魔道士なら魔法で栽培できる可能性があるかもしれない。これは今後の課題として覚えておこう。
もう1つは灰汁。
これはガッツの工房から拝借した灰を、水に溶かして漉したもの。
前世の言葉に、《水と油》という言葉があったように、水と油は本来混ざりにくいものだと思うんだけど、灰汁と油なら固形にもなるんだね。きっと、灰に含まれる何かしらの成分が固形化の肝なんだろうな。知らんけど。
確か石鹸の作り方は、これらの材料を熱して混ぜ合わせるんだったな。分量は油2∶灰汁1だったかな?いや、逆だったかも。
さすがに分量までは細かく思い出せないか。仕方がない。とにかく色々やってみて、徐々に良い塩梅を探っていこう。
材料が程よく温まったら、火を止めてまぜまぜ。ある程度冷めたら、今度は鍋ごと水の中にいれて、水で冷やしながら再度まぜまぜ。
温度が下がるにしたがって、石鹸もどきもだんだん固くなってきた。混ぜるのが大変だけど、手応えを感じる。
「レオナ様、交代しますよ」
見かねたテオが混ぜるのを代わってくれた。あとは冷え固まるのを待つだけ。
◆◇◆◇◆
「泡々だわ!」
完成した石鹸を、お母様とテオにドヤ顔で披露したところ、物凄く食いついてくれた。
初回の石鹸作りでは、結局満足できる石鹸が出来なくて。各材料の分量や混ぜる時間、熱する温度等を色々と試行錯誤して、ようやく完成した自慢の石鹸だ。
早速使ってみたいとのことで、庭先にある桶に水を張って、石鹸の使い方をレクチャーする。
「使い方は簡単で、水で濡らした手で、石鹸をゴシゴシ」
「「ふむふむ」」
「そうしたら、ホラ。泡が出来たでしょう?」
「「おぉーーー!」」
二人とも、初めての石鹸に興味津々の様子。特にお母様は、夢中で泡を作ったり、風に乗せて飛ばしたり、子どものようにはしゃいでいる。
前世で使っていた石鹸に比べると、完全には固形化出来ずに少し柔めだし、何より泡立ちも悪いのだが、二人の様子を見るとそこまで大きな問題ではないだろう。
「当たり前かもしれませんが、石鹸って水で擦ったら本当に泡が出るんですね!まるで魔法みたいだ」
(まるで魔法?)
テオの言葉に引っ掛かるものを感じつつ、「そうでしょう。ところで、お二人はどの石鹸が好みですか?」と言いながら、3つの石鹸を指差す。
「私は断然匂い付きの方が好みだわ〜。テオのミントの香りもスッキリして気持ち良さそうだけと、このバラの香りは本当にうっとりするわね」
「迷いますが、ミントの香りか、普通の石鹸か、ですかね」
普通の石鹸、バラのエキス入りの石鹸、ミントのエキス入りの石鹸、これらの3種類を作ったけど、見事に好みが分かれたな。ある意味、匂い付き石鹸の完成度が充分高いということかな。
レオナは、この3つの中だとバラの香りの石鹸が好みだった。特に、入浴時に、髪や身体を洗うとしたら、断然匂い付きの方がいい。だって、前世で使っていたシャンプーやボディソープは、たいてい匂い付きだったからね。
はぁ〜、早くお風呂でこの石鹸を使いたい。髪の毛にこびりついた汚れを、沢山の泡で洗い流したい。
「テオ、早いけど、今日の仕事はここで切り上げて、私はこれからお風呂に入ることにするわ」
そういえば、お母様はまだお風呂未体験なんだっけ?だったら。
「お母様も一緒にどうですか、お風呂?」
「お風呂って確か、美容に良いという話だったかしら?入りたい、今すぐ入りたいわ!」