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先生の引き際

作者: 朝寝雲

 「先生はまだ続けるつもりなのか・・・」

若い頃は、日本の音楽界をひっぱる存在だった名ピアニスト、それが僕の先生だった。それも昔の話。今では往年の技の冴えもひっそりと鳴りを潜め、はっきりいって晩節を汚しているような状態だった。それでも、先生は若い頃の栄光を忘れきれないようで、引退を口にすることはなかった。

 ファンもそれを後押しした。彼らは、先生がピアノの前に座っているだけで、それはもう芸術なのだ! 彼は神の域に達している! そんな事を言うのだった。

 だが、教え子の僕にしてみれば冗談じゃない話だった。

 先生の技術に真摯に惚れ込んだ僕にとって、今の先生の見る影もない姿は、恥をさらしているにすぎなかった。見ていられない、そう思っていた。ファンたちは何もわかってはいないのだ。彼らの声が先生の音楽家人生を延命させ、ずるずると引き際を先延ばしにさせる。先生にとってそれがいいことのはずはなかった。一日でも早く引退をして、雑誌にでも音楽評を書いて余生を楽しむ人生を選んで欲しかった。

 「はぁ・・・」

僕はため息をついた。

大芸術家というのはやはりなにやら人とは違う所があるらしい。あんな醜態をさらして、よく平気でいられるものだ。僕にはその心持というのがわからなかった。

 先生には孫がいる。

6歳になる聡明な坊ちゃんで、先生の才能を引き継いだのか、これもピアノの才能に恵まれて、素晴らしくそして独創的な演奏を行うようになっていた。この坊ちゃんと二人でコンサートを行わないか、という話が持ち上がった。

 先生は張り切った。

「よし、いままではお前にレッスンを任せてきたが、コンサートまで孫をみっちり鍛えてやろう」

 そう言って、二人で夜な夜なピアノの音を響かせていた。

 ところが、先生は日に日に元気をなくしていった。食欲もなくなり、食事を残すようになった。

 僕は心配になり、先生に

「どうかされましたか?」

と尋ねた。

 先生は力なく笑うと

 「いや、孫にな、おじいちゃんてピアノ弾くの下手なんだね、と言われてしまってな。まいったよ」

 そう言うのだった。

 ああ、そうだろう。見る人がみればわかるのだな。坊ちゃんには過去の栄光というバイアスがかかっていないのだから、そこにいるのはもはやピアノをたどたどしくしか弾けなくなった老人にすぎないのだ。

 まあ、これで・・・。

厳しい事を言うようだが、先生も目を覚ましてくれたことだろう。僕は内心ほっとしていた。

 先生と坊ちゃんのレッスンはそれでも、コンサートの日まで続いた。

 コンサート当日がやってきた。僕は、先生を一目見ると何も言えなくなった。異様な迫力を漂わせていた先生がそこにいた。

 「おい」

 先生が僕に声をかける。

 「私はな、今日で演奏家としての人生を終えることに決めたぞ」

「はい」

 「聴衆の前で弾くラストコンサートだ。よく見ておくように」

 「はい!」

 先生はやる気だ。これは音楽家としての先生の総決算のコンサートになる。僕は襟を正してそれを見届けねばならない。どんな結果になろうとも・・・。



 拍手が! 鳴りやまない!

 先生の演奏が終わると、スタンディングオベーションがおきた。聴衆は熱狂的に手をたたいていた。僕も涙をながしながら、手をたたいた。素晴らしかった。往年の演奏を見ているようだった。いや、それ以上かもしれない。巨星は最後その命を終えるときに、もっとも強く輝くという話をきいたことがある。まさに、今日先生は演奏家人生を終えるにふさわしい演奏をされた。拍手につつまれながら先生は退場していく。僕は一刻も早く先生のもとへ駆けつけたかった。

 楽屋の扉を勢いよく開く。

 「先生! 素晴らしかったです。」

 言うと、先生は汗を拭きながら、嬉しそうにそうかそうか、と頷いた。

 「ここ最近は自分でも満足に演奏できていないのは、気づいていた。最後が納得いくものになってよかったよ」

 にこにこと笑顔で先生は言う。そして、二人手を強く握り合って今日の成功を喜んだ。

 そこへ、坊ちゃんがやってきた。興奮した様子で先生に言う。

 「お爺ちゃん、今日すごかったね。ピアノうまかったんだね。また一緒にコンサートやろうよ! いいでしょ?」

 先生はそれを聞くと、困ったようにな顔に一瞬なって・・・

 「ああ、やろう!」

 そう答えた。

 僕はそれを冷めた目でみつめていた・・・。

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