パンデミックの中へ
「――魔物、しかもゾンビがどうして、城の地下に?」
俺自身、ガチの魔物を見たのはこれが初めてである。こちらの世界に来てみたことがあるのは普通の動物ばかりであり、ファンタジーで一般的な竜や、スライムなども見たことはなかった。教会にあった書物には「いる」旨のことが書かれてあったが、どうも教会自体に魔物を遠ざける何かがあるらしく、出逢ったことがなかったのである。
逆に言えば――これは相当な異常事態であるはずだ。なにせ、護送中に見たが、王城横に、それに肩を並べるぐらいの大きな教会があったのだ。それにもかかわらず――魔物がいるのである。
「――まさか、魔族の襲撃的な?」
考えられる可能性としてはアンデット系の魔物、しかも強大な――の襲撃を受けているということだ。そのせいで城にもそれが溢れているのかもしれない。もしかしたら、相当前からそれが始まっていて、だからこそ飯が来なかった、とも考えられる。だとしたら――そう、考え得る限り最悪の事態は――。
「助けはこない――」
此処に魔物が来るほどだ。衛兵にわざわざ犯罪者を助けに来る余裕があるとは思えないし、余裕があっても後回しである。その間に間違いない俺は干からびるだろう。さほど生に執着していたわけでもないが、進んで死にたいとも思わない。なら、脱出しなければ。
「――ん?」
鉄格子を噛むゾンビを観察し、あることに気が付く。こいつ――俺をここにぶち込んだ衛兵の成れの果てだ、と。靴は脱げ、服も所々ちぎれているから最初分からなかったが、腰の所に衛兵が下げていた剣と――。
「鍵束持ってるな……」
そう、鍵束が腰のホルダーから垂れている。あれがあればここから出ることが出来る。
「分かりやすいな、倒せばいいわけだ」
問題はどうやって倒すか――だが、幸いなことに俺は『回復術士』である。
「回復魔法は効くはずだよな……」
アンデッド――死霊系の敵には回復魔法はダメージになるはず……である。少なくとも現代のゲームの中では須らくそう設定されていた。それが、この世界に適用されているのかだけが不明なわけだが。
「まあ、試すしかないな」
俺は右手の指を、こう、ピストルのような形に構える。回復魔法は本来直接接触で使うものなのだが、正直近づきたくなかった。あの凶暴なゾンビに近づいて触った瞬間噛まれては元も子もない。近づかなくてもいい、幸い俺は――『飛ばせる』のだから。
呼吸を整え、頭に狙いをつける。そして、俺は初めて魔物に攻撃をした。
バン――という音はしない。ただ光の弾がゾンビの頭に吸い込まれただけだ。そして――。
「よし」
ゾンビの後頭部が炸裂し、倒れた。バイオ〇ザードのような見事なヘッドショットが決まった。軽い興奮と、高揚感が生まれたが、いつまでもそんなものに浸っているわけにもいかない。俺は素早く鉄格子に近づき、格子越しに倒れているゾンビの腰に手を伸ばす。そしてその鍵で、牢屋の鍵を開けた。この後は奥の扉を潜って階段を昇るだけなのだが……。
「どんだけいるんだろうな……」
そう、兵士がこうなっていた以上、上にはまだ大量のゾンビ、もしくは魔物がいるに違いない。一応兵士の装備を持っていこうか、と思ったが重くて諦めた。筋力は並み以下である、それならまだ身軽でいた方がいい。
「他の囚人は……」
助けるべきか? と考えたが犯罪者を助けるのは気が引けた。いや、俺のように無実の人もいるかもしれないが、判断がつかない。しかもここ、独房区画のようでいくつか部屋が並んでいるが、何処からも発狂したような声が聞こえてくる。開けたら――怖そうだ。
「すまん、人には限界があるんだ」
俺はあっさりと人命救助を諦め、兵士の出てきた奥の扉から出て慎重に暗く、長い螺旋の石階段を昇る。上まで上ると、そこは締め切られた閂の嵌った重そうな扉があった。閂には血のようなものがべっとりとこびりついている。
「あの兵士が逃げ込んだ時についたのか?」
地下には他の兵士の姿はなかった。つまりこの先は――地獄の可能性が高い。
「開けたら大量のゾンビが――ってこともあるのか」
対処できるか? と考えたがすぐに無理だと諦めた。魔力残量的に絶対足りない。先ほどのゾンビに撃ってなんとなく判断したが、同じことは10発も出来たらいい方だ。しかもヘッドショット出来ればいいが、うまくいかなきゃ無駄玉を撃って、はいそれまで、である。
さて――ここに来て、俺は選択を迫れている。考えてみれば――俺の前世も選択の連続だったと思う。
最初の――物心ついた最初の選択は『両親を選ぶか、施設を選ぶか』である。
虐待を続けていた両親は俺のことを引き戻すために様々な知恵を絞り、俺を、施設を脅し、ついに俺を再度家に戻すための決定に辿り着いた。ただ、俺にはまだ選択肢が残されていた。それを頑なに拒否する道である。
しかし、俺は家に戻ることを選択した。まだ物事を判断できる年ではなかった、とか、上手く両親に絡めとられて、とかではない。俺は自分で決めて、自分で戻ったのだ。
理由はただ一つ――復讐するためである。
戻って数週間後、両親は死んだ。理由は簡単だ。殺したからだ。殺さなければ殺される状況で、俺は彼らを殺すことを選んだのだ。
殺した――と言っても野蛮な方法ではない。『合法的に』殺したのだ。
彼らが俺を再び風呂に沈めたその夜、俺は彼らの財布からくすねた金――といっても元は俺のお年玉である(文句は言わせない)で買ったカメラでその一部始終を隠れて録画し、ネットで拡散しただけだ。案の定それは炎上し、彼らの居場所は針の筵になった。彼らは俺を虐めることにかけては強気だったが、世間からの誹謗中傷には耐えきれず、あっさりとその心は折れた。彼らは警察に捕まえる前に、自らの命を簡単に絶ち俺の前から永久に消えたのだ。
次にあった選択は――いや、まあそれは今はやめておこう。
言いたいことは、ゾンビのように、虚ろな瞳で死んだように生き続けるか、それとも犠牲を払っても前にいくかどうかである。俺は自分の暗い過去はどうでもいい。ただ、生きるには前に進まなければいけないと思っているだけだ。
――再び、目の前の閂の掛った扉を見つめる。俺は覚悟を決めて――その扉を開け放った