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産み逃げ4  作者: あまちひさし
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英雄の救った命

 毎日多くの患者さんを迎え入れる大学病院に勤めていると、ときに大きな事件や事故の関係者の受診に遭遇することがあります。

 この日、当院の救命センターの待合スペースには多くの人が押し寄せ、緊張が張り詰めていました。

 当日の朝、大声を上げて赤信号の横断歩道に飛び込んだ40台の女性を26歳の交番巡査が制止しようとして乗用車に接触し、いったん道路に倒れ込んだにもかかわらず、クラクションに悪態をついて駆け去った女性を片足を摺りながら、なおも追いかけました。そして近くの雑居ビルの非常階段を駆け上がって、三階の踊り場から飛び降りようとしたこの女性を間一髪で柵から引き下ろしたのです。

 この一部始終を見ていた通勤通学途中の人たちの拍手と歓声が次の瞬間、悲鳴に変わったそうです。

 非常階段の古びた柵は金属疲労か溶接不良か、預けられた二人の体重を支えきれずに、スイングドアのように口を開けて、二人の体を宙に吐き出したのです。

 真っ逆さまに転落した巡査は背部を歩道に叩きつけられ、同時に女性の全体重を胸部と腹部に受け止めました。

 意識不明の重体となった巡査は、即座に近くの救急病院に搬送されました。女性も骨盤骨折の重傷でしたが意識はあり、泣き喚きながら救急車に乗せられたそうです。幸いにして通行人に被害はありませんでした。

 以上がインターネットのニュースで読んだ事件のあらましです。でもネットには『近くの救急病院』が当院であることまでは記されていませんでした。女性がどこの病院に運ばれたのかは分かりません。

 昼のテレビのトップニュースとなったこのできごとは、正義に溢れたお巡りさんの勇気ある行動として、瞬く間に全国に広がりました。

 午後になると救命センターの待合室は、町の警察官とは違う立派な階級証をつけた背広の制服姿の警察官やダークスーツの警察関係者たちで埋め尽くされ、誰もが厳しい表情で、刻々と伝えられる若い巡査の容態を見守っていました。あとから聞いたところでは、所轄署の署長だけでなく警視総監までが駆けつけたため、病院の会議室を待機所として提供していたそうです。

 巡査は残念ながら翌朝亡くなりました。私が出勤したときの待合室はもう異様な緊張が去ったあとでした。

 亡くなった巡査は市民を守った模範的な警察官として、報道でも全面的に称えられました。

 大いに面目を施した警視庁は異例な規模の警察葬で、特進したこの若い警部補の殉職を悼みました。地方県警の現役警察官である父親が沈痛な面持ちで遺影を抱いて同乗した霊柩車は、数百人の同僚たちの最敬礼で見送られた、と新聞に書かれていました。

 自分の背中を見て、同じ道を選んだかけがえのない息子の死をどのように受け止めたのでしょう。誇り、だけとは思えないその胸中は察するに余りあります。

 さて甚だ不謹慎ですが、未収金担当者の立場から言えば、当院に収容されたのが、原因となった女性ではなく、この警官であったことは幸運なことでした。

 間違いなく公務災害が認定され、医療費は入金されます。しかも公務災害の認定までは自費計算されるので、一時的に百万円単位の未収が発生しますが、これが一気にゼロになるのです。毎月作成を課されている未収状況報告書の未収金回収率を大いに引き上げてくれます。今頃はよその病院が女性の医療費回収に頭を抱えているかも知れません。

 一方でこのような事案も記録に拾いながら、このときの私は他のやっかいな案件に取り組んでいました。

 話は2ヶ月前に遡ります。

 交通外傷・全身打撲で即入した生活保護受給中の坂下智子さん、39歳。入院の翌日に都立武蔵ヶ原病院に転院。請求金額は311,410円。全額未納。

 怪我はさほど重いものではなかったようです。というのは、転院先の都立武蔵ヶ原病院は有名な精神科病院だからです。私が小学生の頃、先生が「言うこと聞かないと武蔵ヶ原病院に連れて行くぞ」と言うと、クラス全体がどっと沸いたものでした。今なら人権問題になりそうですが…。

 主たる治療が精神科的なものに移ったことからも、外傷自体は比較的軽かったことが窺われます。

 ところで生活保護を受給中、というと医療費がただちに福祉事務所から支給されると思われがちですが、生活保護には『他法優先』という大原則があるため、身体障害者福祉法、母子保健法、児童福祉法、難病医療法、などの医療費助成が受けられる場合、生活保護の医療扶助は次善の策に回されます。生活保護は最後のセイフティネットと言われますが、本当に他に救済手段がないときの命綱なのです。

 坂下さんの事故は、第三者の運転する自動車との接触でしたので、治療費は運転者が補償すべき、という考えがまずは優先します。福祉事務所の担当者も他法優先を盾に取って、

「坂下さんには、事故の相手ときちんと交渉して自動車保険の手続きを取るよう指導しています」

の一点張りでした。生活保護には自立支援の側面もありますから指導するのも結構ですが、坂下さんのようにおそらくは精神的な理由で自立した生活を営めない受給者には、援助もきちんとしてもらいたいものです。こうした患者さんは往々にして交渉も手続きも満足にできません。つけを負わされるのは医療機関です。

 加害者の加入する自動車保険、いわゆる任意保険の保険者である損保トーキョーの担当者、加山氏とは事故直後から連絡が取れていました。加山氏いわく、

「あくまで弊社の契約者である、この場合の加害者の話ですが、坂下さんは横断歩道のない片側二車線の国道を反対側に渡ろうとしたところで弊社の契約者の車と接触したらしいのです。そのことは警察でも説明したそうですし、事故発生直後の現場には当然警察も来ていますから、弊社としてもこれが事実だと認識しています」

と自社の見解を説明し、患者の過失割合が高いことを理由に、治療費の補償には応じられない旨を伝えてきました。

 自動車事故の治療費は原則として健康保険が使えないため、高額の自費医療費は医療機関が損害保険会社に直接請求するのが普通ですが、この件では直接請求に応じない姿勢を明確にしたのです。もちろんそれは理のある主張で、そこで無理を通そうとは思いません。加山氏は続けました。

「ですが、弊社の契約者に迷惑をかけないためにも、自賠責保険(強制保険)の手続きをお手伝いする意思はありますので、坂下さんが武蔵ヶ原病院を退院されたら、早い機会にお会いしようと思っています」

 それをしていただければ十分です。自賠責保険は被害者救済を旨とするので、最大2割の過失相殺はありますが、上限120万円までの請求には必ず応じてくれます。振込先を指定すれば、医療費は医療機関の口座に直接振り込まれます。過失相殺分の補償には応じると加山氏も言ってくれました。

 ただし、自賠責保険はその手続きがなかなか面倒なので、精神科の患者さんはますます持て余すことになります。だからそれをその道のプロである損保トーキョーが代行してくれるのであれば、お任せしておけば安心です。

 ところが武蔵ヶ原病院を退院したら損保トーキョーに知らせる約束になっていた患者は、連絡もせずにいつの間にか退院していたのでした。加山氏から「ご存知でしたか?」と訊かれ、呑気にしていた私も驚きました。

 すぐに武蔵ヶ原病院の入退院受付に問い合わせました。患者の入退院に関することはもちろん個人情報ですが、転院元からの問い合わせであれば、先方も障りのない範囲で答えてくれます。退院は事実でした。

「弊社としてもまずは患者さんにお会いする機会を得たいと思っています。ただ女性の一人暮らしと聞いていますので訪問は控えているのですが、電話をしても出てくれないもので…。京北大学病院さんでは他の連絡先を把握していらっしゃいますか?」

「カルテに母親の住所と連絡先が残っていますが、まずは私からも患者に電話してみます。電話に出たら、加山さんに連絡するように伝えればよろしいですか?」

「お願いします。できれば福祉事務所の方にも口添えしていただけると助かるのですが」

 私も患者への連絡の切り札として福祉事務所を想定していましたが、生活保護受給者であることを口外するわけにはいかなかったため敢えて伏せていました。私が意外に思ったことを察したのか、加山氏はこう続けました。

「実は坂下さんは以前にも弊社でのお取り扱いがありまして…。当時の担当者も手続きにかなり苦慮したようです」

 人生で二度交通事故に遭う人はかなり珍しいと思います。みずから意図すれば別ですが。

「あの…、答えられなかったら答えなくても構いませんが、もしかして常習者ですか?」

「…、否定しない、とお答えしておきます。聞かなかったことにしていただきたいのですが、業界ではブラックリストに載っている方でして…」

 これで呑気が吹っ飛びました。生活保護受給者は医療費の心配をする習慣がない上に、交通事故となると被害者意識も手伝って、事故の当事者ではない医療機関に対しても「なんで私が」と必要な手続きの履行に拒否反応を示すことがあります。ここに精神科的な要因も加わると、よりハードルは高くなります。

 まずは坂下さんの携帯に連絡を試みましたが、案の定、虚しく発信音を聞くばかりでした。手紙を書いても返事は期待できないと思い、近所に住む72歳の母親に矛先を変えてみましたが、母親の携帯も反応なしでした。

 次に福祉事務所にかけてみましたが、担当ケースワーカーも武蔵ヶ原病院の退院を知らず、

「あの人は何度事故を起こしてもいつも報告がないんです。家庭訪問しても居留守を使うし、電話にも出ないから、保護費も福祉事務所に来たときに手渡しすることにしているんです。振り込みだと話をする機会もありませんからね。本来なら保護打ち切りにするところですよ」

とこぼしていました。ブラックリストに載る人物であることが図らずも裏付けられました。

 さてどうするか、とため息をついたところで、私の業務用携帯に着信がありました。見ると患者の母親、坂下よし子さんでした。着信歴を見て、かけ直して来たのでしょう。

「もしもし、私、坂下と申しますが、さきほど電話をいただいたようで」

 高齢者の律儀さと無警戒さに解決への糸口を見出した思いでした。

「わざわざおかけ直しいただき恐縮です。私、京北大学病院の水野と申します」

「ああ、この度は娘がご迷惑をおかけしまして」

「とんでもありません。本当にご災難でした。実は不躾に電話を差し上げたのは智子さんの入院費のことでして。もちろん、交通事故ですので患者さんご自身にご負担いただくわけではありません。病院から保険会社に請求しますので、ご心配には及びません。ただ、保険会社への手続きを少しだけお手伝いいただきたいと思いまして」

 こちらを信用させて協力を求めるため、慎重に丁寧に説明します。目的は違えど、手法は詐欺師と一緒です。

「はあ、私は何をすれば良いのですか?もう年寄りですので何にも分かりませんが」

 よし、脈ありです。

「申請書類はこちらで用意します。お母様にはお手数ですが、いくつかの書類の記載や印鑑証明書の取得をお願いできるとありがたいのですが」

「電話じゃよく分かりませんので、これから病院に行きますよ。バスに乗ればすぐですから」

 高齢の母親を来させるのは心苦しい気もしましたが、確かに自賠責保険の手続きは電話で話して容易に理解できるものではありません。来てもらえるのなら、それに越したことはありません。

 こうして一時間後に対面した母親、坂下よし子さんは小柄で痩せたおばあさんでした。きれいに身繕いしていれば50台後半ぐらいに見える70歳も多い中、よし子さんは昔ながらの貧相なおばあさんでした。娘のことで苦労して、年齢通りに老け込むのを止める暇もなかった、と想像するのは深読みでしょうか?

「お世話になっておきながら病院にまで迷惑をかけてすみませんねぇ。娘が次から次へと馬鹿なことをするから、その後始末にばかり追われて呆ける暇もないと思っていましたけど、さすがに最近は疲れてしまって」

 深読みではなかったようです。

「娘は離婚して帰って来てから、すっかりおかしくなっちゃったんですよ。すぐに暴れるものだから、うちの人が死んでからは一緒に住むこともできなくなって、一人で生活保護を受けさせたんですけどねぇ。あっちこっちに迷惑かけるから、結局この歳になって私が走り回らなくちゃならなくって」

 精神障害や知的障害を持つ成人した子を高齢の親が世話をしている場面を院内でよく見かけます。障害者が子供のうちは新聞の家庭欄や健康記事で「苦労は多いけど、この子のおかげで家族が一つになった」といった絆を強調した美談にまとめられますが、子供が大人になり、親も高齢になって、経済的にも体力的にも子供を支え切れなくなると、ときに悲惨な事件となって社会面に紙面を移します。

 窓口で背中を丸めたよし子さんも、娘の行く末を案ずる気力さえなくなった様子で問わず語りを続けました。この日はまずは顔合わせをして、おそらくは愚痴をこぼす相手もいない母親の話をよく聞いてあげることに面談の重点を置きました。次につなぐ信頼関係を築くためです。

 よし子さんが帰ったあと、進捗状況を共有するために、ここまでを損保トーキョーの加山氏に伝え、自賠責保険の書類一式の準備を依頼しました。

 参考までに自賠責保険は任意で加入する自動車保険と違い、加入者が特に希望しなければ、自動車購入時の販売店や車検時の工場が取り引きのある損保に手続きをします。このため自賠責保険と自動車保険が別の会社ということが珍しくありません。同じ会社であっても自賠責保険と自動車保険は別セクションです。損保トーキョーも自賠責保険の申請書類一式を日本海上火災保険から取り寄せて、私宛てに送ってくれることになりました。損保トーキョーも全面協力姿勢です。何しろ手を焼いていた仕事を病院職員が代わってくれているのですから、そのはずです。こうした場面での貸し借りは、有益な情報提供などに後日生きます。

 坂下智子さんは警察の聴取の約束も反古にしていたため、交通事故証明書が発行されていませんでした。このため警察署との間も取り持ち、患者が自宅にいることを母親に確認させた上で交通捜査係の警官が母親と一緒に患者宅を訪ね、無事に調書も作成し終えました。一週間もすれば、警視庁の外郭団体である自動車安全運転センターで交通事故証明書の手続きができるはずです。

 母親よし子さんにも病院まで何度か足を運んでもらい、やってもらうことを一つ一つ紙に書いて説明しました。印鑑証明書も預かり、診断書は私が仲介して医師に記載させ、診療報酬明細書は私自身が作成しました。交通事故証明書の申請用紙はどこの警察署でももらえますので、私が近くの交番でもらって来て、必要箇所はこちらですべて記載し、よし子さんから預かっていた発行手数料540円を郵便局で振り込んで、よし子さん宅に郵送してもらう手続きを取りました。

 呑気に構えていた案件も、こうして解決に向けて着々と歩を進めました。あとはいよいよ支払差図書と事故状況報告書を残すのみです。これは本人にしか書き得ないものなので、智子さん自身を何とか説得して、よし子さんに連れて来てもらうしかありません。

 実印と預金通帳を持って、患者を病院に同行させるべく、よし子さんの携帯に電話をしましたが応答がありませんでした。お年寄りですから一回で出なくても特に不審には思いませんでした。着信歴を見てかけ直してくるのを待つか、しばらく待って再度かけるかすれば良いのです。

 ところがこの日は何度かけてもいつまで待っても、よし子さんの携帯につながることはありませんでした。

 まさか心労で体調を崩したのでは…。

 あり得ないことではありません。こちらの求めに応じて何度も足を運んでくれた高齢の母親です。事情に立ち入り過ぎないまでも、何かあったのかと心配する程度の情は湧きます。

 翌日、2回目の発信でようやく応答があったときには、軽い肉親感覚の安心を覚えました。ところがよし子さんは、いつものおろおろした口調を弱々しく切迫させ、

「すいませんねぇ、娘に付き添って病院に泊まり込んでいたものですから…」

と聞き流せないことを口にしました。何かあったのですか、と思わず尋ねると、よし子さんはこう答えました。

「娘がまた馬鹿なことをして、今度は都立の愛宕山病院にお世話になっているんですよ。私もすっかり参ってしまって…」

 本当にあったのか!

 自傷行為を繰り返す可能性を予想しなかったのは迂闊でした。愛宕山病院は精神科病院ではありません。救急の受け入れも多い中規模の総合病院です。ということはそれ相応の重傷だったということです。もちろん自賠責保険の手続きのために当院の窓口に来てもらうことなど論外でしょう。もっと急ぐべきだったと臍を噛んでも後の祭りです。

「そ、そうでしたか、それは存じませんで失礼いたしました。ご容態はいかがですか?」

「骨折したので今は起き上がることもできないんですけどね。向こうの先生からも、しばらくは入院が続くと言われているので、私も当分は世話をしに通わなきゃならないみたいで」

 つまり死亡はしていない。意識もある。であるなら快復を待てば、このまま手続きは進められます。再度、傍迷惑な真似をしないうちであれば。

「分かりました。お見舞い申し上げます。ご容態が落ち着いてからで結構ですので、お母様だけでも一度ご来院願えませんか。こちらからも適当な間を置いて連絡させていただきますので」

「はい、分かりました。どうもすみません」

「お母様もどうぞお体を大切になさって下さい」

 このひとことは心からよし子さんに届けました。

 その後すぐに損保トーキョーの加山氏に電話して、順調に進んでいた手続きが滞る見込みであることを説明したところ、加山氏はすでに情報を得ていたようでした。

「そうらしいですね。私も昨日耳にして驚いた次第です。自賠責の手続きが遅れるのは止むを得ないと思います。これまでご協力いただいただけでもありがたいと思っております」

「あの…、今度はどんな事故を起こしたんですか」

「いや、交通事故ではないようなのですが…。今回は弊社の事案ではありませんので、これ以上は個人情報ということでご容赦下さい」

 何かを知っている。そんな歯切れの悪い口ぶりでした。

 福祉事務所にも電話をしてみました。もし愛宕山病院の入院が医療扶助の対象となるなら、当院の入院費も同じ病気の悪さと見なして、給付対象にしてもらえないかと配慮を請うためでしたが、担当ケースワーカーの反応はすげないものでした。

「京北大学病院さんの入院は今回の件とは事情が違いますので、自賠責保険の手続きを取らせるという判断に変わりはありません」

「ですが、精神科的な要因が根っこにあるわけですから、当院の件も愛宕山病院さんの件と同様にお取り計らい願えないものでしょうか?」

「今回の件をどう扱うかは、これから都の見解も聞いて決めることになりますが、京北大学病院さんの件はすでに課内の会議で決まったことですので、申し訳ありませんが再考する予定はありません」

 かちんときて食い下がりました。

「事情が違うとおっしゃいましたが、差し支えない範囲で構いませんので、どう違うのか教えていただけませんか?」

「いや…、それは私から申し上げることではありませんので…」

 木で鼻をくくったような対応が急によろめきました。こいつも何か知っている。そんな感触でした。

 この2本の電話を終えて、さてどうしたものかと考えを巡らせていたとき、「坂下よし子さんが訪ねていらしてます」と予想外の報せがもたらされました。

「ご迷惑ばかりかけて、どうもすみません。お詫びだけでもと思って来ました」

 そう言って相対したよし子さんは小さな目を泳がせて、正面に座る私にさえ焦点を合わせかねているようでした。

「家にいても、いろんな人がいろんなことを聞きに来たり、電話をしてきたりして、気が変になりそうだったので…」

「はあ…」

「親戚からも『こっちにまで迷惑がかかる』って怒られるし、家の周りにカメラを持った人たちが溢れて、近所の人たちから睨まれるし…、生きた心地がしませんよ」

 何を言っているのか、話が一向に見えてきません。

「これまでも二階の窓から飛び降りようとしたり、電車に飛び込もうとして駅のホームで取り押さえられたりして、何度も騒ぎを起こしてきたけど、今度はとうとうあんな事件を起こしてしまって…。私も今度ばかりはどうすれば良いのか分からなくなっちゃって…」

「…あんな事件?」

「若いお巡りさんが娘を助けてくれて亡くなったんですよ」

「ええええぇ!」

 これにはさすがに驚いて、生の反応を制止するのが一歩遅れてしまいました。

 生年月日を確認すると、39歳だった坂下智子さんは2ヶ月以上経った今、確かに『40台の女性』になっていました。

「亡くなったお巡りさんやご家族にお詫びすることばもありませんよ。こんなことなら、お父さんと一緒に死んでいれば良かった。早く呆けてしまいたいですよ」

 よし子さんの頭上にだけ雲がかかったように、憔悴の影が増した気がしました。いま思えば、追い詰められた状況から少しでも逃げて、誰かに胸の内を話したかったのでしょう。その相手が病院職員しかいなかったというのも哀れな話です。

 老齢の親に長生きし過ぎたなどと思わせる、病気の業が非情に思えました。病院職員として甚だ不心得と知りつつ敢えて言います。本気で死ぬ気があるのなら、一度で本懐を遂げれば良いのです。それが病気というものなのでしょうが、死をもてあそんで家族を消耗させ続け、あまつさえ他人を巻き添えにするぐらいなら、その方がましです。

 冷静さを取り戻しました。この母親へは病院職員の分をわきまえた範囲で誠意を尽くすつもりですが、私の職務はあくまで坂下智子さんの未収金回収です。ぐずぐずしていると、せっかくよし子さんに用意してもらった印鑑証明書の有効期限、3ヶ月を過ぎてしまいます。

「坂下さん。当院の入院費については、引き続き私ができる限りのお手伝いをいたしますので、どうぞご心配なく。智子さんがお話のできるご容態になったら、残った書類の記入をお願いしに参ります」

「本当に助かります。ご迷惑をかけますねぇ」

「とんでもない。大変な状況の中で来て下さったお気持ちには感じ入りました。今日はご自宅にお帰りになりますか?」

「家しか帰る場所はありませんからねぇ。でも日が落ちるまでもう少し待ってから帰りますよ」

「そうですか、暗い道にはくれぐれも気をつけてお帰り下さい」

 あなたまで早まった思いに囚われないで下さいね。

 そのひとことは口にせずに、よし子さんの丸めた背中を見送りました。

 さて、働く気のない東氏も報告だけは求めます。暇だからです。ここまでを説明したところ、普段なら40歳の女になどこれっぽっちも関心を示さない東氏も俄然俗な興味が湧いたらしく、どんな女なのか見てみたくなったようです。

 私も坂下智子さんの退院を待つほど悠長に構えるつもりはありません。ベッドに座って話ができる程度にまで回復したら、入院中の愛宕山病院を訪ねて、自賠責保険の申請書を書かせようと思っていました。

 でもそれまで二週間程度かかると母親のよし子さんが言っていましたし、こちらの身分も問い合わせの趣旨も説明した上で愛宕山病院に尋ねて、折り返しの電話で得た回答も同じでした。

 二週間程度は他の未収患者の対応でいくらでも時間を使える私と違い、暇を持て余している東氏は一週間もすると、

「まだかなぁ、まだかなぁ」

「もう大丈夫じゃないのか?愛宕山病院に訊いてみろよ」

と日に何度も繰り返すようになりました。料理屋の注文じゃあるまいし、急かしたって人の回復が早まるわけもないのですが、いい加減、まだかなぁに耐え切れなくなり、東氏を黙らせる目的で愛宕山病院に問い合わせてみたところ、あに図らんや智子さんはもう車椅子で病棟内を移動できるほどに持ち直してきた、とのこと。辛抱のない東氏の見通しが当たり、周囲に多大な迷惑をかけた智子さんが順調な回復を見せていることに、いささか納得できない思いを抱きましたが。

 とは言え、予定より早く自賠責保険の手続きを進めることができるのはありがたいことです。早速、よし子さんに連絡を取って、愛宕山病院を訪ねる日取りを決めました。

 良く晴れた日でした。いったい何をそんなに期待しているのか、愛宕山病院へ向かう東氏の笑顔も陽に照らされて輝いていました。

「わざわざ来ていただいて、本当に申し訳ありません」

と幾重にも腰を曲げるよし子さんに、

「いやいや、これが私らの仕事ですから」

と取ってつけた挨拶を返すや、東氏は待ち合わせた一階のロビーからよし子さんの先導も待たずにエレベーターに割り込んで、智子さんの入院している6階病棟に向かいました。

 6階病棟では看護師長が面談室を用意して、あらかじめ中に智子さんを待たせてくれていました。名刺を渡して挨拶を済ませると、看護師長は面談室の扉をノックして、「開けますよ」と声をかけ、引き戸に手をかけました。

 するすると開いた扉の内側から、はっと顔を上げて卑屈な愛想笑いを浮かべた、太った太った、それは太った中年女が現れました。この小さな母親から、どうやったらこんな大きな女が生まれるのかと思うような、好きなだけ太った女性でした。漫画だったら、派手な擬音で飾られそうな瞬間でした。

 これが一躍、警察官の鑑となった若い巡査が助けた人物だったのか…。

 圧死、ということばが頭に浮かびました。重力加速度の計算式など忘れましたが、さぞかし象に踏み潰されたような衝撃だったことでしょう。

「じゃあ、わしはロビーで待っているから」

 たちまち興味を失った東氏は、会釈もせずにその場を立ち去りました。私も長居をする気はありません。型通りの挨拶を交わしたあとは、さっさと本題に移りました。

「ではまず、この欄に署名と捺印をお願いします。はい、それで結構です。あと事故状況報告書ですが、損保トーキョーの担当の方から運転者が描いた図をもらっているのですが、事故に遭った位置がこの通りなら、こちらで描き移しておきますが、それでよろしいですか?」

 無駄口を利かず利かせず、てきぱきと用件を済ませ、

「ご療養中に無理なお願いを聞いて下さり、ありがとうございました。お預かりした書類は患者さんのお名前で手続きをさせていただきます。ではくれぐれもお大事になさって下さい」

と丁重な社交辞令を述べて帰ろうとしたとき、智子さんは聞き捨てならないことを口にしました。

「あのお巡りはね、私を無理矢理抱こうとしたの。だから私は逃げたのよ。それなのに追って来て、勝手にあんな目に会ったのよ」

「お前、またそんなことを…」

 真偽のほどは定かでありませんが、直感的な嫌悪が湧くのを禁じ得ませんでした。

 よし子さんは6階のエレベーターホールまで見送ってくれました。

「ご苦労はお察しするに余りありますが、お母様まで体調を崩すことのないよう、どうぞお体を大切になさって下さい」

 同情を込めてそう言い、私は東氏の待つ1階ロビーに急ぎました。

 未収金事案としてはこれで一件落着です。でもこの病気の娘はきっとまた同じことを繰り返すでしょう。母娘の苦悩はまだ終わりません。娘が希望のない志を果たすのが先か、母親がそれを理解できなくなるのが先か、痛ましい競争がもうしばらくは続くことでしょう。

 東氏の表情も陰っていました。野次馬根性に駆られた己の馬鹿さ加減を悔いた様子でした。

「わしなら助けないな」

 身も蓋もない感想に、遺憾ながら率直に共感してしまいました。


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