……二世芸能人?
「……申し訳ありません。……演技をしたことがなくて……」
「したことがなくてもするんだよ! 仕事っていうのは、そういうもんだ。引き受けたら責任を持て。だいたい、役者じゃなくても、芸人や歌手だってまともな演技をする奴はするぞ。ロボットみたいな動きをしやがって、このド素人が!」
「お恥ずかしながら、わたしは生まれてこの方恋愛とは程遠い世界で生きておりまして、色気のあるアドリブというのが分からないのです」
正直にわたしが言うと、熊坂さんはグッと顔を近づけた。
「知らん。捻り出せ!」
「……自信がないです」
今までの人生の中で、自信を持てたことなんて一度もなかった。誰かに認めてもらえたこともない。それがちっぽけな一花という存在だった。
「やる気のない奴をすぐにでも降板させてやりたいが……もう新しい女優を見つける時間はない。人気俳優の俺は勿論、監督やスタッフたちだって暇じゃないんだ。最高のスタッフで最高のCMを作るチャンスは今しかない。是が非でもお前には演じてもらわなくちゃならない。お前みたいな大根娘、俺は心底嫌だけどな!」
真っ正面からわたしに向き合ってくれる熊坂さんは、第一印象と同じで優しい人なんだろう。だから、わたしは自然と自分のことを語り出す。
「……わたし、花蓮さんの養女になったことを知ったのは数時間前だったんです。女優のお仕事をすることになったのも成り行きで」
「相変わらず破天荒な人だな。人を振り回す才能が抜きんでている」
何か思い出したのか、熊坂さんはムスッとした顔で言った。どうやら、花蓮さんとそれなりに親しい付き合いがあるらしい。
「そうですね。でも、わたしは花蓮さんのことが嫌じゃなかったんです。会ったばかりだけど実の親よりも優しくて、わたしのことを人形じゃなくて、一人の女の子として扱ってくれた。……だから、わたしなんかでも花蓮さんの役に立てるのなら頑張りたい」
人を信じることは怖い。でも、わたしは花蓮さんを信じたいと思った。もう、人形のわたしではいたくない。そんな欲と希望が出てしまうくらいに。
「お願いします、熊坂さん。わたしに演技を教えてください」
わたしの役は、たくさんの人が得たかったものだ。でも、わたしは役を手放さない。熊坂さんと最後まで演じることができれば、心から自分が変われるような気がする。そんな心に芽生えたエゴイズムにわたしは従いたい。
「これだから二世芸能人は嫌なんだよ。芸で売っている俺が、なんで他人――いいや、大嫌いなツバプロの大根娘に無償で教えなくちゃいけないんだ。そんな義理はない」
「……二世芸能人?」
わたしの実の両親も、親戚も芸能人だったという話は聞いたことがない。そうすると、消去法で花蓮さんということになる。
……確かに綺麗な人だし、有名な女優だったのかな。もしかして、モデルかも。
ド素人のわたしが代役になれたのも、花蓮さんのネームバリューがあったからなのだろう。元有名芸能人の娘――血の繋がりのない養女だが――の初出演作品ともなれば、自然と話題になる。なんか、色々と大人の事情を納得した。
「園江さんのこと知らないのか?」
「ツバキプロダクションの社長とだけ。花蓮さんお綺麗ですし、有名な芸能人だったんでしょうね」
「まあ、そうだな。ほれ」
熊坂さんはスマホを取り出すと、芸能人などの経歴も載っている有名な辞書サイトを開いてわたしに見せた。
「……伝説の俳優……園江蓮司!?」
「日本テアートル賞主演男優を10年連続受賞。日本人でただ一人世界パフォーマンスフィルム主演男優賞受賞。スペイン国際映画祭では――――」
驚愕で固まるわたしの代わりに熊坂さんが続きを読み上げるが、それどころではなかった。
「花蓮さんって……お、男だったの!?」
「そこかよ」
「だってすごく綺麗で……スタイルだって良くて……仕草だって誰もが見惚れるほど洗練されていて……」
「人類技術の進歩はめざましいな。偽乳とは思えない完成度だ。他の女優もどこでやったのか知りたいだろうよ」
……わたしはこれから花蓮さんのことを、養母だと思えばいいの? それとも、養父だと思えばいいの!?
混乱しているわたしを余所に、熊坂さんは腕時計を確認する。
「時間もないし……仕方ないな。おい、大根娘。芸歴23年の俺が特別に演技指導してやる。光栄に思えよ?」
「はい、光栄です」
いけない。気持ちを切り替えなくちゃ。
「まず、俺は誰だ?」
「誰って、熊坂さんですよね?」
わたしがそう答えると、熊坂さんは不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。どうやら出鼻からダメだったようだ。でも、熊坂さんだよね? ずっと名前を間違えてたとかじゃないはず。
「違う。お前が好きな男……夏輝だ。そしてお前は園江一花じゃない。ほれ、俺の名前を呼んでみろ」
「夏輝……さん?」
男の人を下の名前で呼んだのなんて初めてだ。信じられない。自分の経験値の低さに驚きと羞恥が募る。確実に幼稚園生以下だ……。
「あとは俺とお前はどんな格好をしている? その意味を良く考えろ。以上、演技指導終わり」
サラッとそれだけ言うと、夏輝さんはポケットから小銭を取り出して自販機の前に立った。わたしはパシパシと瞬きをする。
「……えっと、それだけですか? 少々抽象的なような……」
「文句言うな! 俺は先生じゃないんだ。教え方に不満があるなら自力でやれ」
夏輝さんはキッとわたしを睨み付けるとピンク色の缶を投げてきた。慌ててキャッチすると、その冷たさに肩が跳ねる。
「それを飲み終わるまで帰ってくるんじゃない」
そう言って夏輝さんはわたしに背を向けてスタジオへと戻っていく。ジュースが飲み終わるまで、演技について考えていいということなのだろう。口は悪いけれど、やっぱり夏輝さんは優しい。
近くにあったベンチにちょこんと座り、わたしは缶を開けてジュースを飲む。桃の芳醇な香りと甘い痺れが癖になる。
……わたしの一番好きなジュースがどうして分かったんだろう。