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謝る暇があるなら、まともな演技しろよ。この大根娘


「さすがに進行が適当すぎよね。他にページは……」



 今度は食い入るように台本を読み込むが、どこにも詳しい脚本は書かれていなかった。




「……色気のあるアドリブって、本当にどうしたらいいの?」



 園江一花、17歳。告白した経験ゼロ、告白された経験もゼロ。学校の男子とは事務的な会話しかしたことがあらず、異母兄でさえ話したのは半年前。花の女子高生なんて名ばかりで、恋愛とは縁遠い世界で生きてきたわたしに、色気のあるアドリブができるなんて思えない。


 ……地味に絶望した。



「一花ちゃん、撮影始まるよ!」


「はい」



 スタッフに声をかけられ、わたしは慌てて駆け出す。


 普段見たことない大きなカメラがセットされ、白い床と壁に覆われた舞台には、眩しいほどのライトが当てられている。そこに熊坂さんが悠然と立っていた。


 仕立ての良いスーツを着ているが、ジャケットのボタンは開いていて、ネクタイは締められていない。ワイシャツのボタンは2番目まで開けられ、髪は下ろされ少しカジュアルな印象を与える。


 ……見ただけで、仕事終わりの男性っていうコンセプトが伝わってくるわ。



「やあ、一花さん。台本で分からないところはなかったかい?」



 熊坂さんの優しい笑みに、わたしはハッとする。彼に見惚れている場合じゃない。


 


「あの、熊坂さん。台本がほとんどアドリブだったんですけど……」


「橋本監督はアドリブ好きっていうのもあるけれど、セリフの殆どないCMだから、役者の感性で動いた方がいい絵が撮れると思っているんだろうね。信頼されているってことだよ」



 そう言った後、熊坂さんはそっとわたしに耳打ちをする。



「まあ、信頼に応えられなかったら、次はないだろうけどね」



 ゾクリと肌が粟立った。

 優しい声音のはずなのに、底知れない恐怖を感じた。


 ……いいえ、きっと気のせいよ。熊坂さんみたいな優しい大人に限って、わたしに脅しをかけるなんてないはず。

 


「じゃあ撮影を始めるか。とりあえず一回流してみよう」



 橋本監督の合図と共に、スタッフが一斉に動き出す。わたしは熊坂さんと向き合い、カメラが回るのを待つ。



 心臓がすごくドキドキしているわ。こんなこと、今までなかった。



 ずっと、心を凍らせて人形のように生きてきた。それはこれからも変わらないと思っていた。なのに、たった数時間でわたしの人生はガラリと変わった。養子になって、名前が変わって、綺麗な服を着て、女優の仕事をしている。



「一花、頑張るのよー」



 花蓮さんはスタジオの隅でわたしに向かって手を振っていた。その姿を見ていると、胸がキュッと締め付けられる。


 ……きっと、今のわたしの心は温かい。



「それじゃあ、始めまーす。3・2・1」



 わたしは精一杯思考を回転させる。



 色気のある行動と言えば、ハグとキス。それ以外になしっ!



 熊坂さんの瞳を見ながら、わたしは正面から思い切り抱きついた。



「ストップ、ストップ。親戚の子どもじゃないんだから」


「申し訳ありません」



 開始三秒で橋本監督からNGが出た。

 何がいけなかったんだろうと考えていると、熊坂さんがわたしの顔を覗き込む。



「俺が一花さんをリードするから、合わせてくれるかな」


「はい、分かりました」



 わたしが頷くと、橋本監督がすぐに撮影の指示を出す。



「Take2、いきまーす。3・2・1」



 今度は熊坂さんがわたしに近づいて頬に手を当てて、顔を近づけてくる。

 長い睫毛に縁取られた双眸は熱っぽい色気に満ちていて、心が惹きつけられる。それと同時に、恋愛経験に乏しい身体は及び腰となり……



「痛いっ」



 わたしはバランスを崩して尻餅をついてしまった。スタジオ内の空気が一瞬で凍ったような気がする。



「座ったままでやってみようか」


「お願いします」



 熊坂さんと隣り合わせで座った。今度はバランスを崩すことはないはず。

 カメラが回り、いざ演技しようと顔をあげる。すると、わたしの頭が熊坂さんの顎にクリーンヒットしてしまった。



「うっ」


「申し訳ありません!」



 わたしが謝ると、熊坂さんは顔を押さえながら「大丈夫だよ」と笑ってくれた。だけどそれが申し訳なくて、わたしは俯いた。


 

「……はぁ、ちょっと休憩を入れるか」



 呆れ混じりの橋本監督が言った。

 やってみせると自信のあることも言えず、わたしは黙り込む。すると、わたしよりも大きな手がポンッと頭に乗った。



「一花ちゃん、緊張しているみたいだね。ジュースでも飲んで一端落ち着こうか」



 そう言って、熊坂さんはわたしの手を引っ張りスタジオの外に出る。

 


「……申し訳ありませんでした、熊坂さん」


「いやいやそんな謝らなくていいよ」


 わたしなんかが女優の仕事なんて、最初から無理な話だったんだ。色々な人に迷惑をかけて、花蓮さんの期待に応えられず、熊坂さんに気を遣わせて、本当に情けない。



 ぐるぐると思考を巡らせていると、自販機の前についた。



「熊坂さん、やっぱりジュースはいいで――――」



 断ろうとした瞬間、わたしは自販機と自販機の間の壁に背中を押しつけられていた。



「え……熊坂さん?」



 熊坂さんはわたしの顔の横に手を付き、閉じ込めるようにしている。

 恐る恐る熊坂さんの顔を覗くと、般若の表情をしていた。腸が煮えくりかえると顔に書いてある気さえしてくる。



「謝る暇があるなら、まともな演技しろよ。この大根娘。碌に演技もしたことねーくせに、俺と共演だ? ふざけてんじゃねーぞ」



 本当にこの人、熊坂さん!?



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