アタシが一花を買うわ!
「……スイッチ、オフ……」
白い息がパッと咲き、そして儚く消えていく。
近くの商店街からかすかに流れるクリスマスソングを聞きながら、わたし、神崎一花は道端で途方に暮れていた。
「まさか、クリスマスイブに捨てられるなんて思いもしなかった」
わたしは日本有数の企業である神崎グループ社長の娘として生まれた。幸せな生活を送れていたのは、母が死ぬ10年前までで、その後は継母と腹違いの兄に疎まれ、母屋ではなく離れで生活していた。
そんな中、わたしが生きるために身につけたのは人形となることだった。心をなくし、笑顔をなくし、ただ淡々と時間を消費する。いつしか、わたしは何も感じなくなっていた。
満面の笑みを浮かべた継母に「お前はもう神崎とは関係のない人間よ。精々、不幸に生きなさい!」と車で見知らぬ街に落とされても、怒りも焦りも悲しみも何も浮かんでこなかった。
「頼れる親戚なし、所持金ゼロ、連絡手段なし、ついでにコートもマフラーもなし。絶望的ってこういうことを言うのかな」
そう呟きながら、ゆっくりと歩き出す。寒さで指先がかじかみ、両手をぐっと握りしめた。
確か、段ボールや新聞紙は保温性があったはず。どこかで見つけなければ。今夜はそれに包まってやり過ごすしかない。
「警察……は、頼れるのかな。神崎家の息がかかっていたら、今よりも酷いことになりそう」
ふと、わたしは自分の長い黒髪を摘まんだ。美容室に行くこともできず、自分で切るのも面倒だった黒髪は伸び放題だ。前髪も鼻先まで伸びていて、顔を覆い隠している。
「髪の毛って、いくらで売れるのかな」
当面の生活費は髪の毛を売ってどうにかしよう。そう考えていると、ドイツ製の真っ赤な車が前からスピードを上げて近づいてきた。
「派手な車。どんな人が乗っているんだろう」
わたしは道の端に寄った。すると、真っ赤な車は突然急ブレーキをかける。ギュウインッとタイヤの擦れる音と共に真っ赤な車がわたしの前に止まり、中から白い毛皮のコートと赤いドレスを着た長身の美女が現れた。
「ねえ、あなたの名前って一花だったりする?」
「そう、ですが……」
警戒しながら答えると、美女はにいっと口角を上げる。
「へえ。大きく育ったものね」
「どうしてわたしを知っているんですか?」
「アンタが小さい頃に会っているんだけど……覚えていないか。アタシは園江花蓮。アンタの母親……椿の親友よ」
そう言って、花蓮さんはわたしに毛皮のコートを着せた。
ふんわりと甘いバニラの香水が、温もりと一緒にわたしを包み込む。
「あり、がとうございます」
「別にー。寒がっている娘にコートを貸すのなんて、母親として当然でしょ」
「……娘? ……母親?」
「あら? 父親から何も聞いていないの。アンタは今日からアタシの養子になったのよ。これからは、園江一花と名乗りなさい」
「わたしを父から買ったということですか」
冷えた心には何も響かない。従う対象が、父や継母からこの人に変わっただけだ。
「馬鹿ね。買う訳ないじゃない。アタシの娘になったからには、学校に行って青春を謳歌し、いい会社に就職してイケメンを見つけて結婚するぐらいまで面倒を見てやるわよ」
「……花蓮さん」
「アタシは子どもの産めない身体だから。これでも、娘を持てて嬉しいのよ?」
花蓮さんは一瞬悲しげに目を伏せ、すぐに笑顔を浮かべた。
「これからよろしくね、一花」
「……よろしく、お願いします。花蓮さん。わたし……迷惑にならないように、バイトでもなんでもします」
わたしは深く頭を下げる。
そして顔を上げると、不満そうな花蓮さんがわたしの両頬に手を当てた。
「表情固すぎ。いい女は愛嬌でイケメンをたらし込むのよ。アタシの娘になったからには、この野暮ったい容姿を磨いて――――」
わたしの前髪を持ち上げた瞬間、花蓮さんは驚愕の表情を浮かべる。
「……前言撤回よ。アタシが一花を買うわ!」
「え?」
目を瞬かせていると、花蓮さんが強い力でわたしの腕を引っ張り、車に押し込めた。
「あの、買うって……」
「話は後で! 一花、シートベルトをして」
花蓮はスマートフォンを取り出し、運転席に乗り込む。
「あ、もしもし桃瀬? 白雪の代役を見つけたわ。プロデューサーと橋本監督に連絡しておいて。鷺ノ宮の野郎の一人勝ちになんてさせないわ……何心配してんのよ。アタシが見つけたの。だから完璧。安心なさい!」
電話を切ると、花蓮さんはエンジンをかけて車を走らせる。
法定速度ギリギリまで飛ばしながら、花蓮さんは上機嫌で鼻歌を歌う。
「まずは、美容室に行くわよ」
「美容室? 花蓮さんは、わたしをどうするんですか……?」
「そう言えば、仕事の話をしていなかったわね。アタシの職業は芸能プロダクション社長よ! そして一花がこれからするのは、女優のお仕事♡」
花蓮さんはミラー越しにウィンクをした。