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3.侯爵令嬢と一つ目の選択肢

 前世のリズベットにとって、推し(レオナルド)とは、人生の糧であった。レオナルドの為に働き、レオナルドの為に生きる。それがオタクの生き様である。


 無理やり連れられた先は、王宮の温室(コンサバトリー)であった。王宮自慢の庭園の端に作られたとだけあって、景色が良い。


 しかし、リズベットにとってそんなことはどうでも良かった。待ち受ける試練――推しとの初対面である。庭園の美しさなど、殆ど目に写ってすらいない。


 何の対策も立てぬまま、気づけばここまで来てしまった。スキップしたゲームのオープニングのようなスピード感に、リズベットは絶望した。


 リズベットは、この世界で言うなれば、絶世の美女である。かの有名な鏡に鏡よ鏡よ鏡さんと問えば、「リズベット」と答えるやもしれない。


 しかし、前世のリズベットは二次元に夢中なただのオタクである。つまるところ、男子が苦手であった。


 前世で男性との会話経験が乏しいリズベットに動く推し(レオナルド)との会話など、ハードルが高すぎる。


 だが、もう腹をくくらねばならない。すでにここは戦場だ。いつ、あの扉からレオナルドが現れてもおかしくはない。


 豪奢な長椅子は向かい合わせになっている。リズベットは母と二人、並んで座った。空の椅子は向かいの長椅子だけだ。テーブルを挟んではいるが、距離は近い。そこに推し(レオナルド)が来るのかと思うだけで、気が狂いそうな程だ。


 スチルで見慣れた顔だ。しかし、そんなもの慰めにもならない。立ち絵とは違うのだ。


「レオナルド王太子殿下のご到着でございます」


 単調な声で王宮の侍女が言った。リズベットの肩が少し跳ねたが、誰も見てはいなかった。母に倣い、立ち上がり扉を注視すると、さわやかな笑顔を振りまくレオナルド・アスイールが登場した。


 さすが、かの有名な神絵師によって作り出された造形美(イケメン)だ。癖のある金髪も、優しい目元も、澄んだ湖のような碧眼も、寸分違わず美しい。


 リズベットは既に考えることをやめた。ただこの溢れ出る萌え(パトス)を抑えるだけで精一杯だ。


 推し(レオナルド)が動く。動いているのだ。これは、ムービーではない現実だ。歩けば、足音までする。


 気づけば自己紹介まで終えていたのだから驚きだ。リズベットは、挨拶がキチンとできていたか定かではない。目の前に(レオナルド)が座った。テーブル一つ挟んで向い側に推し(レオナルド)がいる。今まで、ずっと越えられない壁――画面を挟んでいたのだ。それがどうだ。テーブルなんてなんの障害にもならないではないか。


 前世では、越えられないからこそ、見つめることができた。何故なら、レオナルドは見ていないからだ。しかし、今は違う。ちらりと彼を見たけれど、それが精一杯だ。ちょっと見ただけでため息が漏れる程顔がいい。


 リズベットの横で、レオナルドと母が楽しそうに話している。リズベットにとって、混ざるなんて以ての外だった。口を開く余裕なんてない。母がリズベットに話を振る度に頷くくらいしか余裕がない。


 正面にはため息が出る程の麗しい推しの顔、逃げるように見た窓の外の庭園の花が霞んで見える。


 しかし、逃げてばかりいたことで、リズベットは窮地に立たされた。


「リズベット嬢、そんなに庭園が気になるようでしたら、案内させて下さい」


 リズベットはレオナルドの言葉に目を大きく見開いた。絶対絶命である。漫画なら、早速最終回(クライマックス)だ。


 だからと言って無下に断ることなど出来るはずもなく。リズベットは渾身の笑顔を向けた。


「是非、お願いします」


 母は「後は若いお二人で」なんて言いながら裏切った。正真正銘二人きりである。


 レオナルドに手を差し出された時、リズベットの心臓は動きを止める所だった。差し出された手に手を乗せる瞬間は、リズベットの人生で一番難儀な時間であった。


 見ることすら難しいのに、触るなんてとんでもない。無理に決まっている。


 なかなか手を取ることができず、彼を見上げれば、笑顔で小首を傾げられ、リズベットの心臓は一撃で仕留められた。


 リズベットがどうにか平静を取り戻し、手を取った時の感触は、一生忘れられないだろう。


 庭園を歩く美男美女は、なんと絵になることか。しかし、リズベットの心は穏やかではない。心臓は既に喉まで達している。


 極力推し(レオナルド)の顔は見ずに、花に視線を送る。しかし、花など殆ど目には写っていない。


「リズベット嬢」


 美しいバリトンで名前を呼ばれるのはマズい。しかも、殆ど耳元だ。


 リズベットは自らを叱咤して、振り向いた。すぐ近くの推し(レオナルド)から後光が差している。余りの眩しさに目を細めた。


「リズベット嬢の好きな花は何?」


 レオナルドの言葉の意味を理解するのに、時間が掛かった。殆ど思考停止状態なのだから、仕方がない。


 そして、こんな使い物にならない状態なのだから、正確な判断ができるわけがなかった。


「花……?」

「そう、花」


 リズベットの視界には、レオナルドの横に咲いていた薔薇が写った。


「薔薇……かしら」

「……へえ。そうなんだね」


 レオナルドは手近な薔薇の花を手折ると、そっとリズベットの頭につけた。


「ああ、確かに君にはとても似合う」


 レオナルドは、にっこりと笑った。


 リズベットは、推し(レオナルド)が何をしたのか理解するのな相当な時間を要した。推しの笑顔――0円スマイルである。


 これは、ファンの間では有名であった。初期の好感度0の頃のみに見ることのできる、王子様の甘い微笑みである。


 好感度が上がるに連れて色んな表情を見せるのだが、0円スマイルの甘さは格別だと、一部のマニアからは絶大な人気を誇っている。


 ちなみに、前世のリズベットもこの0円スマイルを模したアルミ(缶バッジ)を何十個も集めた口だ。


 リズベットは、その大好きな笑顔でもある0円スマイルを間近で見ることによって、興奮を通り越して真顔になってしまった程だ。


 この拷問はいつまで続くのか、リズベットは頭を抱えた。


 薔薇が好きだと言ったからだろう、レオナルドはリズベットを薔薇園に案内した。色々な品種が咲き誇る王宮の薔薇園は、とても美しい。


 例の如く、リズベットの視界にはあまり鮮明には写ってはいないのが、残念なことだ。


 薔薇を見る振りをして、レオナルドの手から離れた時が唯一、ホッとできたタイミングであった。


「本日はありがとうございました」

「馬車まで案内するよ」


 リズベットは、レオナルドの申し出に顔を引きつらせた。致し方ない。リズベットの心臓はもう限界だ。


「いいえ、一人で大丈夫ですわ」


 最後の力を振り絞って、笑顔を見せるとすぐさまレオナルドに背を向けた。足がそろそろ限界である。しかし、まだレオナルドが近くにいる。崩れ落ちることは許されない。


 一つ目の角を曲がって五歩目で、リズベットは、膝から崩れ落ちた。


しんどい(やりきったわ)……」


 二次元に行きたい、彼に会いたいと願ったのは、紛れもなく前世のリズベットだ。しかしながら、こんなにも苦しいとは、リズベットは思いもしなかった。


 リズベットは立ち上がり、歩き出した。王宮から早く抜け出したかったのだ。しかし、途中でリズベットは歩くのをやめた。


 リズベットは、この王宮をよく知っている。ゲームで通っていたのだ。ある程度の配置はお手の物だ。キョロキョロと辺りを見渡したが、今周りには誰もいない。


 一呼吸置くと、リズベットは馬車とは反対の方向に歩き出した。向かう先は一つである。レオナルドの母親である前王妃の墓だ。


 前王妃の好きな花である秋桜畑の中に立つ、十字をかたどった墓は、好感度が一定以上上がり、レオナルドルートに入った時、ヒロインが連れて来てもらえる、レオナルドの大切な場所である。


 リズベットは、悪役令嬢である。婚約者とはいえ、悪役令嬢(リズベット)がレオナルドにここを案内して貰えるとは到底思えない。しかし、リズベットは、悪役令嬢であると同時にオタクである。


 つまり、これは聖地巡礼というやつだった。連れて来て貰えないのならば、一人で行けばいいじゃない。かの有名なオタクが言った言葉だ。


 リズベットのオタク魂は歓喜した。何故ならば、目の前にはスチルと同じ世界が広がっているからだ。


 推し(レオナルド)の母親の墓に手を合わせられるオタクは何人いるだろうか、否、リズベットしか居ないだろう。


 残念ながら、スチルのように秋桜の時期ではないのだけれども。


「あら、お花なんて持って来ていないわ」


 墓参りといえば、花である。しかし、無理矢理連れてこられたリズベットがその様な物を用意できる筈もない。しかも、この墓参りという名の聖地巡礼は突発であった。


 リズベットは、髪の毛に飾ってあった花を抜いた。推し(レオナルド)に付けて貰った花ではない。朝、侍女のアンが差した白い花である。


「ごめんなさい、次はきちんと用意させていただきます」


 再度手を合わせる。


「これからも、レオナルド様をお守り下さいませ」


 素早く聖地巡礼を済ませると、アンバード家の馬車へと戻った。既に母は馬車に乗っていて、ニヤニヤしながら「どうだった?」と聞いてきた。


 しかしながら、リズベットの頭の中は推し(レオナルド)でいっぱいである。0円スマイルも見れた。聖地巡礼墓参りまでできたのである。リズベットにとって、今日は及第点であった。


 もう一度、秋桜の時期に聖地巡礼しなければと、リズベットのオタク魂が叫んでいる。


「……秋桜……?」

「あら、どうしたの? リズちゃん?」

「お母様、秋桜って……」

「レオナルド様のお好きな花ね? それがどうしたの?」


 母は、目を何度かパチクリさせた後、小首を傾げた。リズベットは、大きく目を見開くと、真っ白な肌を青色へと変えて行く。


『好きな花は何?』


 脳裏に先程の推し(レオナルド)の笑顔が映し出される。そうだ、これは最初の選択肢だ。


 ここで「秋桜」と答えると、好感度が上がる。


『私のこと、調べてくれたの? 嬉しいな』


 ここで、レオナルドの奥義――0円スマイルの登場だ。レオナルドが母の好きだった花である秋桜を好きだというのは、有名な話だ。この世界の者なら誰でも知っている。


 リズベットは、最初の選択肢から躓いたのである。否、悪役令嬢であるリズベットに関係があるのかは謎である。


 リズベットは、ため息をついた。無情にも母は、推し(レオナルド)の秋桜の逸話を話し始めた。













リズベット「初期の笑顔(0円スマイル)アルミ(缶バッジ)の他にも、ブランケットにもなってる最高の笑顔なのよ」





ブックマークや評価ありがとうございます。

日間ランキングに載るっておりました!


感謝の気持ちを伝えたくて、早々と続きを書いてしまいました。

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