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13.王太子殿下と宣戦布告

 レオナルドは、昨日から幾度となく一通の手紙を見ながら肩を揺らす。女性らしい、しかし少しばかり幼さの残る字は、ただ淡々とレオナルドに贈り物の礼を述べる。


「その顔、気持ち悪いですよ」


 イヴァンが頬を引きつらせながら、レオナルドの目の前に入れたばかりの紅茶を置く。いつもより幾らか色の濃い紅茶に眉根を寄せてながらも、レオナルドは礼を言った。


「この部屋には私とお前だけだ。別に構わないだろう?」

「私にも少しは気を使っていただけると助かるのですが」


 ならば、イヴァンも少しは主人に気を使うべきだろう。などと言う意見は昨日より濃い紅茶と共に飲み干した。


 いつもなら文句の一つも言うところだが、今日のレオナルドは機嫌が良い。少しくらい従者の口が悪くとも、さらりと流すくらいの余裕もある。


「ご機嫌のところ申し訳ありませんが、一つ残念な報告があります」


 全く申し訳なさそうには見えない表情だ。少しくらい眉尻を下げるなど、やりようもあっただろう。しかし、それを彼に言ったところで改善されることはないだろう。


「面倒事か?」

「そうですね、殿下にとっては些か面倒かもしれません」

「気になるだろう。勿体ぶるな」


 レオナルドは一気に気持ちが足元まで落ちた気分になった。何度も読んだ手紙――というには些か簡素なお礼状をしまうと、イヴァンを視線だけで急かす。


「もう少し私の扱いを改善していただきたいものです」


 レオナルドの強い視線も柳に風と受け流し、イヴァンはこれ見よがしにため息をついた。イヴァンという男は、どんなに強い言葉を使っても飄々としているところがある。そんな彼に、実は齢百を超えた悪魔だと言われてもレオナルド驚かないだろう。


「そろそろ良いだろう。イヴァン」

「仕方ありません。心して聞いて下さい。この後はきっと仕事が手に付きません」

「ああ、そうなっても印を押す程度のことはしてやる。安心しろ」

「押すだけの書類と重要な書類を仕分けるのは私に押し付けるというわけですか」


 イヴァンは大きなため息と共に肩を竦めた。しかし、レオナルドの眉根が中央に寄ったことで、苦笑を浮かべながらもレオナルドに一番近い椅子に座る。


 レオナルドとイヴァンの視線が絡み合う。そこに甘さは少しもない。なかなか口を開かないイヴァンに、目を細めて訴えると、イヴァンの眉尻が下がった。


「ルーカス様がリズベット様に手を出したようです」

「……冗談はよせ」


 リズベットの兄オリバー・アンバードを交えルーカスについて話し合ったのは、昨日のことだ。あまりにも唐突な報告に、レオナルドは鼻で笑った。


「私が冗談を言うようなタイミングではなかったでしょう?」

「……そうだな。それで? 続きがあるんだろう?」

「ええ、勿論。ルーカス様は昨日どこぞの女性と観劇を楽しまれていたようです」


 王都の国立劇場では、頻繁にオペラが行われている。先々代の国王が愛する王妃の為に建てたとされる劇場は今、娯楽の場であり、社交の場としても機能していた。


 ルーカスは女との逢瀬の際には良く劇場を使う。女と仲を深めるには、擬似的に二人きりになることのできるボックス席は最適ということか。


「昨日奇しくも、アンバード侯爵は夫人とリズベット様を連れて劇場に行かれました」


 偶然なのか、はたまた必然であったのか。レオナルドにもイヴァンにもわからない。分かる者がいるとすれば、ルーカス本人だけである。


 レオナルドは目頭を押さえた。まさかルーカスが先手を打ってくるとは。


 しかし、リズベットが婚約者になったことで、アンバード家が王太子派であることは、誰の目から見ても明らか―となった筈。何故ルーカスはリズベットに近づいたのか。


「お二人はそれはそれは近い距離で見つめ合っていたそうです。ドウだとかタンだとか言い合っていたという話も聞きますが、詳しい会話の内容までは」

「ドウ……? タン……?」


 レオナルドは首を傾げる。レオナルドの記憶に、ドウタンなる言葉は存在しない。


「まあ、ドウだかタンだかは置いておくとしてもだ。あいつはなぜ彼女に接触した?」


 ルーカスにとっての旨味は何か。


「興味本位、戦略……色々考えられますが、婚約が決まってすぐ、王妃の動きもルーカス様の動きも活発になりました。一番に考えうるのは……」


 レオナルドにとって、アンバード家の後ろ盾は必須。そのアンバード家は王太子の応援に乗り気だ。


 たとえリズベットがルーカスに恋をしたところで、ルーカスと結ばれる未来は無いだろう。ならば、わざわざ危険を顧みずリズベットに手を出す理由は一つしかなかった。


「宣戦布告、か」

「その線が濃厚でしょうね。しかし、宣戦布告の為だけにそんな面倒なことをするでしょうか?」


 イヴァンは珍しく眉根を寄せて考え込んだ。顔に皺を作るところをあまり見たことがない。レオナルドは目を細めて彼の皺を見つめた。


「例えば、だが。彼女があいつを好きになった場合の未来はどうだ?」

「……悲惨ですね。殿下が手を引けば後ろ盾を失い、無理に婚姻関係を結べば苦しい結婚生活、ですか」

「そこまで見越してのことだと思うか?」

「ルーカス様自身の能力は測りかねますが、知恵者が側にいる可能性もありますから」


 いつもよりも濃い紅茶は、冷静さを取り戻す役割を担った。すぐさま飲み干したレオナルドに、イヴァンはわざわざ立ち上がって同じ紅茶をそそいだ。


「愛のない結婚を少女に強いるのは酷だな」

「殿下にもそのような殊勝な考えができるとは。おみそれいたしました」

「酷い言いようだ。王太子レオナルドは心優しい王子だと評判ではないか」

「それは、猫を被るのがお上手なレオナルド王太子殿下のお話でしょうか?」


 ああ言えばこう言う。レオナルドは眉を顰めた。王太子であり上司である相手に対する物言いとは思えない。しかし、レオナルドはその言葉をいとも簡単に許した。


 レオナルドにとってイヴァンはそういう存在だ。王太子として振る舞わなくても良い相手である。それは、レオナルドにとって唯一と言っても良い。


「お前と話していると、考えるのが馬鹿馬鹿しくなるな」

「お褒めいただき光栄です」

「褒めた覚えはないがな」


 心は些か軽くなったが、問題は山積みだ。リズベットの問題は今のレオナルドにとって相当厄介な問題に感じた。


 アンバード家は王太子派ではあるが、いつ手のひらを返されてもおかしくはない。リズベットがルーカスに懸想したとなれば、アンバード侯爵も、それを継ぐであろうオリバーもあっさりとレオナルドを見限る可能性は充分にあった。


『一人の女の心を繋ぎとめておくこともできずに、国民の心を掌握できると思うか?』


 これくらいのことは言いそうだ。


「しかし、何か問題がありましょうか。まだリズベット様の心はルーカス様に奪われたわけでは無いでしょう?」

「まだ、か。まるで奪われるのも時間の問題だと言わんばかりだ」


 頭が痛いとばかりに目頭を押さえる。これでは都合の悪いものから目を背ける子供のようだ。


「いつまでも玩具を見つけた子供のようなことをしているからです。そろそろリズベット様と向き合う覚悟をなさって下さい」

「向き合う、ね……」

「今の殿下はチェスかポーカーをしているようにしか見えません。これは遊戯(ゲーム)ではないのですよ」

「今日のお前は説教臭いな」

「何とでも。必要な時に必要な助言ができてこその従者だと、幼い頃より言い含められてきましたから」

「今がその時だと」

「ええ、その通りです」


 レオナルドは折りたたまれた手紙を広げる。そこには愛の言葉も無ければ、世辞の一つもない。レオナルドには難攻不落の城に見えた。


「花も駄目、宝石も駄目、ドレスも駄目。万策尽きた気にもなる」


 どの贈り物も、ため息一つで見向きもされなかったという。花と宝石とドレス。それは女の好きな物の上位を占める贈り物だ。王太子から……という付加価値もついている。


 しかし、リズベットは喜ばないどころか、つける事すら嫌った。


 レオナルドの口から自然と出たため息が、机の上の書類を騒つかせる。


 たった一度しか会ったことのない婚約者の攻略方法など知るわけがない。薔薇が好き。それ以外の情報は殆ど無い。


 温室(コンバサトリー)では終始庭園を眺め、庭園に出てからは花ばかり。一度たりとも目は合わなかった。


「そうか、切り花は嫌いなのか」

「如何なさいました?」

「イヴァン、アンバード家の庭園は見事だとか」

「はて、そのような噂は聞いたことがございませんが」

「いいや、イヴァン。思い出して見ろ。何せ侯爵家だ。庭園がみすぼらしい訳がない」

「まあ……そうでしょうね」


 イヴァンを無理矢理にでも頷かせれば、レオナルドは満足そうに冷めた紅茶を口にする。


 アンバード家は侯爵位を持つ有力な貴族の内の一つ。誰を招いても良いように、庭園と言わず屋敷の細部まで手が入っているだろうことは安易に予想できる。


「イヴァン、私はアンバード家の庭園が見たくなった」


 イヴァンの引き攣る頰を眺めながら、渋い紅茶を口の中で転がした。















レオナルド「私もそろそろ執務室から出たくなったんだよ」

イヴァン「このままでは執務室の妖精になりそうですから仕方ありません」



いつもありがとうございます。

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