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11.侯爵令嬢と黒歴史

 リズベットは、何度目かの欠伸を噛み殺した。口の中に広がる眠気は、リズベットに開放感すら与えず、ただ蓄積されるばかり。


 大口を開けて欠伸を披露したいところだが、場所が問題であった。


『さあ、私と共に逃げよう!』

『駄目よ、わたくしには夫が……』


 これは悲劇なのか喜劇なのか、大きな劇場の一席で、リズベットは高みの見物だ。どこぞの夫人の不貞を揶揄した内容は、眉を顰めるようなものだが、人気がある。


 どの世界の人間もうわさ話(ゴシップ)が好きなのだろう。


 しかし、眠気が最高潮に達しているリズベットにとって、内容など霞に等しい。ただ動いている人間の顔を追っているだけだ。


 そして、リズベットは改めて認識する。


 推し(レオナルド)が一番であると。


 人気役者だという話で、この劇場は超満員。確かに舞台に出る役者達の顔は良い。しかし、それが何だと言うのか。


 推し(レオナルド)に比べれば、目と鼻と口が付いているだけの只の男。しかし、演者を見てキャーキャー言っている婦人方の気持ちも良く分かる。


 目の前で推しが動く感動は言葉にはならないのだから。


 リズベットは小さなため息を吐く。侯爵家の為に用意されたボックス席は、他の人観客からも良く見える。つまらなさそうな顔をすれば、簡単に噂になってしまうだろう。


 リズベットの隣に座る両親は、終始和やかな笑みを浮かべて観劇している。演者と観客、どちらが見られているのか分かったものではない。


 兄は所用で王宮に。今頃レオナルドと会っている頃だろう。あまり楽しそうでは無かったが、観劇よりはマシだと顔に大きく書いてあった。


 リズベットは、その兄に手紙託す為に、陽が昇るまで真っ白な便箋と格闘していたのだ。


 リズベットは何度目かの欠伸を噛み殺した。


 推し(レオナルド)への手紙――もといファンレターである。伝えたいことは多々ある。あのストーリーは最高だったとか、あの表情は格別だったとか……つまり、彼にとってはまだ起こっていない未来の話だ。


 突然そんな物を送りつけられれば、相手が婚約者だったとしても、今後の付き合いはご遠慮したくなるだろう。


 距離が出来ることはリズベットにとって大いに歓迎であるが、そういう距離の取り方ではない。程よい場所で眺めている権利が欲しいのだ。


 そう、あの舞台と、最前列の絶妙な距離感。あれこそがリズベットの理想であった。演者と観客――それは、手を取れる距離でありながら、絶対に手を取られることはない関係。


 目が合ったと勘違いすることの出来る距離。流れる汗を目視出来る場所。


 推しにとってはその他大勢、それで良かった。推しの幸せを願い、影から推しの幸せ見つめていく。そんな人生で良かったのだ。


 残念ながら、リズベットの願いは叶えられなかった。生まれた時から決まったいた運命なのだ。この、レオナルドとの婚約は。


 手紙を一通送ったところで、リズベットとレオナルドの距離は大して変わらないだろう。


 しかし、未来予知(ファンレター)を送りつければその距離も大きく変わるかもしれない。しかし、それはリズベットの望む距離感でないのは、火を見るよりも明らかである。


 ならば、ただの婚約者(リズベット)として手紙を送る他ない。そこでリズベットはもう一度頭を抱えた。なぜならば、リズベットは一度しかレオナルドに会ったことがないのだ。


 手紙にしたためる程の会話をしていた覚えはないし、何より顔も良く見た覚えがない。


 書けることと言えば、季節の挨拶と贈り物のお礼。書きあがった手紙を読み返して見れば、それはただのお礼状である。


「どうしたら良いの……」


 思いつく文面は未来を予知するようなものばかり。こうして夜は更けていき、陽が昇る。


 リズベットはとうに絞りきった頭をもう一度絞った。もう水一滴出てこない乾ききった雑巾のような思考は、何も生み出さない。


「共通の話題……共通の話題……」


 呪文のように唱えたところで、魔法のように現れたりはしなかった。


「そういえば、レオナルド様の好きな花って本当に秋桜なのかしら?」


 幼い時になくなった母親が好きな花だから、秋桜が好きだと語る推し(レオナルド)の姿が頭を過る。勿論語った相手はヒロインであって、悪役令嬢(リズベット)ではない。


 あの時の儚い笑みは国宝級であった。


 リズベットはとうとう眠らなくても、別の世界にトリップできるようになってしまったようだ。乾いたペンも、書きかけの手紙も投げ出して、宙を見つめる。


 そこには確かに推し(レオナルド)の笑みが映し出されていた。


「レオナルド様の好きな花……か」


 思考は段々と手紙とは別の場所と向かっていく。朝を示す鳥の囀りが聞こえた時、リズベットの手元に置かれていた手紙は、ただのお礼状であった。


 思い出しただけでも頭が痛くなるような代物だ。書き直すことも考えたが、タイミングが悪かった。颯爽と登場した(オリバー)に奪われてしまったのだ。


「良く出来ている」


 リズベットの手紙を見て(オリバー)は微笑んだ。何が良く出来ているのかリズベットには理解出来なかったが、笑顔を返す他ない。


 結果、手紙はお礼状のまま、(オリバー)の元へと渡った。


 己が書いたお礼状を思い出す。居ても立っても居られなくなったリズベットは、椅子に座ったまま小さく足をばたつかせた。


 これは黒歴史に値するのではないかと、不安が過ぎる。今から王宮に行って、手紙を奪い返し、ぐしゃっと丸めて捨てて帰りたい。


 その時、リズベットの頭には既に目の前に広がる物語など入ってきてはいなかった。


 リズベットは立ち上がる。もう既に限界だ。そんなリズベットに、両親が視線で「どうしたの?」と訪ねてきた。


「少し体調が悪いので、外で休憩して参ります」


 母の耳元で囁くと、返事を聞かずにリズベットは席を後にした。


 誰も居ない廊下に出ると、リズベットは大きなため息を吐く。


「どうしたら良いのかしら……」


 既にリズベットの気持ちは劇場にはない。ここから離れた王宮に飛んでいた。レオナルドはあの手紙を見て、何と思っただろうか。この先、リズベットの顔を見るたびに、彼はお礼状を思い出すだろう。もう二度とレオナルドに顔を見せたくないと、リズベットは二度目のため息を吐いた。


 廊下にはリズベット以外に誰も居ない。役者の声や観客の笑い声が漏れ聞こえる。


「どうしたの? こんな所で。子猫ちゃんの一人歩きは危ないよ?」


 甘い香りが鼻腔をくすぐり、その香りよりも甘い声が背後から降ってくる。聞いたことの無い声に、リズベットは肩を震わせた。しかし、リズベットが振り返るよりも先に、肩が抱き寄せられ、顔を覗き込まれる。


「貴方……」


 甘く垂れた目尻、着崩された衣服。リズベットは良く知っていた。


「初めまして。俺はルーカス」











リズベット「もしもレオナルド様が役者だったら、今ある権力を最大限に行使して、最前列を毎日買い占めたでしょうね……」




お待たせしました!

次回もリズベット視点でお送りする予定です。

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