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10.王太子殿下と婚約者の兄

 レオナルドは、思わず右の眉をピクリと動かした。普段聞き分けのいい右眉が、勝手に動く程のことが起こったからだと言えよう。


 従者(イヴァン)は、侍女の代わりに淡々と紅茶を淹れる。慣れた手つきにオリバー・アンバードは感嘆のため息を漏らした。決して呆れている訳ではなかろう。


「イヴァン殿は、まだ侍女の真似事を?」

「ええ、我が主は潔癖でして」


 紅茶の香りが部屋中に行き渡った頃、オリバーは口を開いた。レオナルドは、彼の質問ににこやかに答える従者(イヴァン)一瞥(いちべつ)する。


 オリバーと相性の悪いレオナルドは、執務室に彼がいること自体に居心地の悪さを感じていた。


 テーブルを挟んで向かい合う。その距離は十分にある筈だというのにも関わらず、息苦しさを感じる。


 コトリ、と小さな音を立てて、イヴァンがレオナルドとオリバーの前にティーカップを置いた。レオナルドは茶色く濁った液体を見ながら、紅茶以上に渋い顔をする。


「オリバー、用件は?」

「客人に、紅茶を飲む暇すら与えないとは」


 オリバーは片眉を上げ、これ見よがしのため息をついた。そういうところが苦手なのだと、声を大にして言いたい気持ちを抑えると、レオナルドはひくつく頬を一度摩る。その行為に如何程の効果が期待できるのかはわからないが、苛立ちが少し緩和されたのだから良しとしよう。


 レオナルドは必死に余所行きの笑顔を顔に塗りたくった。少し歪だが、致し方無い。


「紅茶が好きなら、好きなだけ飲んでくれて構わないよ。なかなか味わえない最高級の茶葉だ」


 その最高級さが分からない程渋みを効かせるのが、イヴァン流であることはあえて伏せ、笑顔を見せた。


 オリバーは、ティーカップに手をかけたが、暫し黙考するとティーカップから手を離す。


「いえ、本題に入りましょう」


 神経質そうな手が、資料を取り出す。手本のような字体で書かれた書類を手にしたレオナルドは、小さく眉を寄せた。


「これは……」

「見たら分かるでしょう?」


 オリバーは皆まで言わせるな、とでも言いたげにため息を吐く。何度目のため息だろうか。婚約者の兄で無かったならば、次期アンバード侯爵家を継ぎ、レオナルドの近しいところに来ないのであれば、この苛立ちを隠す必要も無かったであろう。


 この均衡の取りにくい関係に、レオナルドは辟易した。そして、奥歯を噛み締めながら、資料にもう一度目を向ける。


「おや、第二王子派の動きが活発になってきておりますね」


 レオナルドよりも早く、長椅子の背後から手元を覗き込んだ従者(イヴァン)が声を上げた。


「覗き見とは不躾だろう。イヴァン」

「これは失礼を。目が良いものですから」


 レオナルドは、オリバーに向けられない苛立ちを従者(イヴァン)に向けた。しかし、まるでそよ風を交わすが如くにこりと笑うと、イヴァンは再度レオナルドの手元の資料に着目する。


「オリバー様、今日のご用件は第二王子派に関してでしょうか?」


 レオナルドよりも早く尋ねた従者(イヴァン)に対し、オリバーは頷いた。


「ああ、ここ最近、王妃も積極的に茶会を開いていると報告を受けている」


 資料に並べられた王妃の茶会の参加者には、レオナルドが懇意にしている貴族の名前も見て取れる。どうやら、王妃も本格的に動き出したようだ。


「これは心中穏やかにはいられそうにないな」


 レオナルドは、顎に手を当てて眉根を寄せた。王妃が動いたとなると、レオナルドも渋い茶に文句を言いながら日がな一日を過ごすわけにはいかなくなってくる。


 ボーッとしていれば、「王座を第二王子に!」という声が増えることは間違いない。


「相変わらずわ第二王子も精力的に行動している様子だ」

「相手はたかが未亡人だろう?」


 レオナルドは右の眉をピクリと動かした。


 第二王子は殊の外精力的に社交を楽しんでいるようだ。レオナルドの耳に浮名が流れてくることもしばしば。しかし、第二王子の相手は決まって未亡人だった。


 既に夫を失った者に発言力は殆ど無い。そんな女達を手玉に取ったところで、勢力の拡大に繋がるとは思えなかった。


 しかし、レオナルドとは対照的に、従者(イヴァン)はそうは考えなかったようだ。


「しかし、ルーカス様もお上手ですね」

「何がだ?」

「いえ、このユリエラ様ですが、確かニース伯爵との再婚が決まったとか噂になったおりましたものですから」


 イヴァンの言葉に、レオナルドは眉根を寄せる。遊んでいるようにしか見えなかった第二王子は、再婚を見越して未亡人と関係を持っていたということか。レオナルドは暫し押し黙った。


 オリバーは、イヴァンの言葉に同意するように頷く。


「件の第二王子だが、最近では若い令嬢にも手を出すようになったとか。まずは女性を味方につけるつもりなのかもしれん」


 第二王子は一貫して、未亡人ばかりを相手にしていた。それが若い令嬢にも手を出しているとなると、益々怪しい。


「ルーカス様はどこかフラフラしている印象ですが、あれも演技やもしれませんね」


 いつも軽い調子の従者(イヴァン)の声が、若干の重みを帯びる。彼が警戒する程と言うだけで、気を張らねばならないと思ってしまう。レオナルドは神妙な面持ちで、顎に手を添えた。


「警戒は怠るな、という訳か」

「それに越したことはないだろう。何か起こってからでは遅すぎる」


 当たり前だと言わんばかりに頷いたオリバーに、レオナルドの片眉が不快さを示すように上がった。


 その不穏な空気を打ち消すように、茶菓子がテーブルに添えられる。白い皿の上で踊るクッキーを目で追いながら、レオナルドは眉間に出来かけた皺を、伸ばした。


「ルーカス様の動きは私も気を配っておきましょう。オリバー様もお願いできますか?」

「致し方ない。アンバード家は貴方を支持すると決めたのだからな」

「助かるよ。私は表立って動けないからね」


 王妃の妨害は年を追うごとに、増していく。最近では、自由に夜会にも参加が難しくなっていた。


「ですが、リズベット様との婚約が成立すれば、きっと、少しは自由になりますよ」


 従者(イヴァン)なりの援護射撃なのだろう。ここで、婚約者(リズベット)の情報でも聞き出しておけと言われているようだ。


 リズベットの名前を受けて、オリバーが早速眉根を寄せた。


「……先日の夜会は大変だったと聞いたが」

「さして殿下に報告するような問題は、起きてはいない」


 どうや、アンバード家ではドレスにワインを引っ掛けられる程度の事は問題とはならないようだ。あるいは、オリバーがリズベットの話をしたがらない理由があるかである。


「ああ、そうだ」


 オリバーは思い出したように、内ポケットを弄った。彼が取り出したのは一通の手紙。上等な封筒にしっかりとアンバード家の家紋が押されている。


 レオナルドとオリバーの間にあるテーブルに無造作に置かれた。少し幼さの残る字で、レオナルドの名前が書いてある。レオナルドも馬鹿ではない。これが誰からの手紙かは見当がついていた。


「これはこれは」


 レオナルドよりも早く、従者(イヴァン)が楽しそうな声を上げる。イヴァンの顔とは反対に、オリバーはあまり楽しくはなさそうだ。


「妹からだ。贈り物のお礼状だと聞いている」


 お礼状――それは手紙ですらないと言われているようで、些か癪に触る。レオナルドは、お礼状と呼ばれた封筒を手に取ると、目を細めた。レオナルドの後ろで、イヴァンは耐えきれずに肩を揺らす。


「……お礼状ね。贈り物は喜んで貰えたのかな?」

「ああ、随分と気に入って、大事にしまい込んでしまっているようだ」


 オリバーのわざとらしい言葉に、レオナルドは頬を引攣らせた。


「しまいこんでいる、ね」


 レオナルドの贈った品物は花やドレスやアクセサリー。それは決してしまっておくような物ではない。つまり、不要の物と言われたも同然だ。


「さて、私はこれで下がらせて頂こう」


 オリバーは、何食わぬ顔で立ち上がった。しかし、レオナルドもこのままやられっぱなしで返す程甘くは無い。


「まあ、待て。そう焦るな。茶くらい飲んでいけば良い」


 今日一番の笑顔を作り、腕を伸ばした。オリバーは、些か不審そうに目を細める。少しばかり笑顔に本音を写してしまったかもしれない。レオナルドは内心ヒヤヒヤとしたが、オリバーは一度上げた腰を下ろした。


「そうだったな。口もつけずに帰るのは失礼に値する」

「お茶だけと言わず、ゆっくりとしていって下さい。どうせ今日の殿下は使い物になりませんから」


 神経質そうな手が、ティーカップを捉える。イヴァンがにこにこと笑いながら、クッキーも勧めた。


 レオナルドとしては、紅茶とは思えない渋みの効いた茶色く染まる液体を飲んで苦しめば良いという程度のことで、長居して貰っては困るのだが、今更そんな事も言い難い。苦笑を浮かべ、同意とも取れる相槌を打った。


 オリバーは冷め始めた紅茶を口にすると、眉根が若干反応を示す。それを追うように、レオナルドの口角が上がった。


 オリバーの切れ長の目がこれでもかという程に見開かれ、手元のティーカップへと注がれる。


「これは……」

「どうした? オリバー」


 緩む頬を叱咤して、レオナルドは微笑む。


「さすがはイヴァン殿。紅茶を淹れるのもお上手とは」


 今度はレオナルドが目を見開く番である。オリバーが何と言ったのか理解できていない。


「お褒めに預かり光栄です。どうぞ、お代わりもございますよ」

「ああ、頂こう」


 惚けるレオナルドをよそに、イヴァンはオリバーのティーカップに新しい紅茶を注いだ。


 レオナルドは手元のティーカップを注視する。いつもと変わらない濁り。これがオリバーの言う通り美味いのか。レオナルドは半信半疑のまま、ティーカップを手に取る。


 飲み慣れた紅茶だと言うのに、これ程までに勇気がいるとは思わなかった。レオナルドは、ゆっくりとティーカップを傾ける。


 レオナルドは小さく眉根寄せた。


不味い(いつも通り)じゃないか」


 口の中に、昨日とさして変わらぬ苦味が広がった。








オリバー「こんなに美味い紅茶は初めてだ」

レオナルド「まさか味音痴とは(それは良かった)

イヴァン「褒めていただけると、いれ甲斐がありますね」

オリバー「イヴァン殿の主人はこれを褒めもしないとは、さぞかし冷徹な人間なのだろう」



次回、第二王子ルーカスがリズベットの前に現れて……?

遅くても月曜更新予定です。

今月は定期的に更新したいなと思います。


よろしくお願いします。

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