File.8
自分はベッドの上。
目下には大きくはだけたバスローブ姿で息を整える一人の少女。
彼女は真っ赤になった顔に枕を押し付けて、その表情を見られぬよう必死に隠していた。
大きく息をつき、セナはイヴの隣にばたりと倒れ込む。
ベッドが揺れると、イヴは真っ赤な目元を少しだけ覗かせてセナの方を見た。
「ずるいですよセナさん……。なんでそんなに上手なんですか……」
「ふふ、なんでだろうね。大人だから、かな?」
「大人……いいなあ、私も大人になりたいです……」
顔を枕に埋めてもごもごと呟くイヴ。
セナはそんな彼女の真っ白な髪を優しく撫でてやった。
「なったらなったで、子どもに戻りたいと思うものよ」
イヴはセナの言葉に何も答えなかったが、その代わりにまた枕から目元だけを覗かせてセナを見つめた。
「……セナさん」
「ん?」
「どうしましょう。私、ひょっとしたら――」
そこまで口にしておいて、イヴはその先を言うことを躊躇っているように見えた。
イヴが思い切ってその続きの言葉を吐き出したのは、それから少し間が空いてからだった。
「――セナさんのこと、好きに……なっちゃったのかもしれません」
潤んだ瞳をきょろきょろさせながら極まりの悪そうな声を出すイヴに、セナは「ふぅん、そう」と簡単に答えた。
「なんか照れ臭いけど、嬉しいな」
「……驚かないんですか? 私たち、女同士なのに」
「別にいいじゃない、女同士でも。アタシのことしか考えられなくなってるイヴ、すごく可愛かったし」
「~~~~ッ!! もうっ、セナさんッ!!」
からかうようなセナの言葉で先程の行為を思い出したのか、イヴは起き上がるとさらに顔を赤くして枕を振りかぶった。
「わわわっ、ちょっと、そんな怒んないでって! アタシもイヴと同じだからさ!!」
「えっ……それってどういう意味ですか……?」
セナの言葉にきょとんとするイヴ。
どうやら枕で殴られることは回避できたらしい。
その代わりに説明をしてくれと視線で訴えかけられてしまっているのだが。
「いや、だから、そういう意味……。イヴがアタシでいっぱいになってくれるのが嬉しかったし、アタシもイヴでいっぱいになれて嬉しかった。誰かで心が満たされるって、こんなにいい気分だったんだね。しばらく忘れてたなぁ」
半分独り言のように話すセナの言葉を、イヴは少し恥ずかしそうに聞いていた。
セナはベッドを軽く叩き、また隣に寝転ぶようイヴに促した。
さっきまで怒っていた割に、それに素直に応じてくれるイヴがやはり可愛らしいと思えてしまう。
「……アタシね、ずっと男癖が悪かったの。いろんな男と"こういうこと"して、不安とか苛立ちとか、そういう嫌なことからずーっと目を背けてきた――」
「……」
「だけど男らもアタシも、お互い欲しいのは身体だけだった。だからなのかな、何回同じことを繰り返しても、胸がどうしても寒いまんまで……」
イヴの胸元に手を当てながら、セナは自身の過去を語り始めた。
イヴはそんなセナの目をしっかりと見据えて、一言一句にしっかりと耳を傾けていた。
「でもイヴは違った。イヴは心の底から"アタシ"を求めてくれてるのがわかった。それが嬉しかったのかな……。久し振りに身体じゃなくて、心を見てくれる人が現れたのが」
どうしてこのようなことを打ち明けているのかは自分でもわかっていない気がした。
それでもセナは自分を求めてくれる少女の気持ちが嬉しくて、もっと自分の心を見て欲しいと、そう思ったのかもしれない。
セナは隣に寝転がるイヴを抱き寄せると、額と額を合わせて白い少女の瞳を見つめた。
「――アタシもイヴのことが好きになったの。だから"かも"なんて曖昧に濁したりしないで、イヴにもはっきり言って欲しいな……」
「……セナ、さん……」
潤んだ紅い瞳がきょろきょろとせわしなく動く。
求められた言葉を返そうとし、躊躇い、何度も小さな呼吸を繰り返すイヴ。
そんな彼女の葛藤を真っ直ぐに見つめながら、セナはイヴの言葉を待ち続けた。
「私、も……セナさんが……好き、です」
「ありがと、イヴ」
その一言が胸の中に火を灯したかのように体温が上がる。
セナはイヴの前髪を持ち上げると、思いをきちんと言葉にできた褒美でも与えるように、小さな額にキスをしたのだった。
*****
いつの間にか眠っていたようで、気がつくと外は明るくなっていた。
ベッドから起き上がったセナは大きく伸びをしながら欠伸を零すと、ベッドで眠そうに目を擦るイヴに目を向けた。
「おはよ、イヴ」
「んぅぅ……おはようございます、セナさん……」
「うわぁ……また頭すごいことになってるよ」
今朝もイヴの頭は寝癖でぼさぼさだ。
しかし髪が乱れているのは、今回も半分はセナのせいだから笑えない――
――はずだったのだが、セナは小さく吹き出してしまった。
ライオンのような髪型になってしまったイヴが、目を閉じたまま眠そうに頭を揺らす様子が面白くてたまらなかった。
昨日のようにイヴを椅子に座らせたセナは、白く長い髪をまた櫛で整えてやったのだった。
*****
「にしても、わからないことだらけよね。イヴのいた箱庭に行ってみれば、少しは状況が把握できたりするのかな?」
「そんなことしたら、私を匿った罪でセナさんも何をされるかわかりませんよ……?」
「だよねぇ、弱ったなぁ」
昨日と変わらず後ろ向きな小言ばかり漏らすセナだったが、その表情や心持ちは随分と明るくなっている。
二人の胸の内を曝け出し合い、今までよりも強い信頼関係を築くことができたのがとても心強く感じているのだ。
イヴもそれがわかっているのか、昨日のような不安そうな様子はまったく見せなかった。
「……ねえ、そういえばさ――」
セナの呼びかけにイヴが振り返った。
しかし――
「……いや、やっぱいいや」
――セナはその続きを口にするのをやめた。
何かヒントになればと思い、「実験ってどんなことしてたの?」とでも聞こうと思ったのだが、イヴ本人にこれを尋ねるのは酷なことかもしれないのだ。
イヴから話してくれるまで、この話題は避けるべきよね。
できるだけ自分一人で調べてみることにしよう。
「これからどうしますか、セナさん?」
「うーん、どうしよっか」
首を傾げて少し不思議そうな顔をしていたイヴだったが、セナが言いかけたことについては何も追求してこなかった。
それは非常にありがたいことなのだが、この先どうするのかという疑問に答えを見出せていないことには変わりない。
「アタシ、ホテル住まいだからさ。ひとまずは寝床を転々としながら様子見かな。その間に追手が諦めて帰ってくれれば一番いいんだけど」
「……多分、私を諦めて帰るようなことはないと思います……」
不安げに俯き、両手を握り合わせるイヴ。
そんな彼女の様子を見ていると、セナの胸もなんだかちくちくと痛む気がした。
「――よし、じゃあイヴ、どっか遊び行こっ!」
「……へ?」
イヴが目を丸くしてセナを見つめているが知ったことではない。
彼女の不安そうな顔は見ていられない――大好きなイヴには笑っていてもらいたいのだ。
「何を言ってるんですか? 今は遊んでる場合じゃ――」
「いいからいいから。ほら支度して!」
「ちょっと、セナさんッ!?」
イヴの言葉には耳を貸さず、せっせと出掛ける準備を始めるセナ。
どうせうじうじと考えたところで、何をすべきかなどわかりはしないのだ。
今は追手に見つからなければそれでいい。
今まで苦しい思いばかりしてきたイヴに、何か楽しい思い出の一つでも作ってあげたいと、セナはそう思い立ったのだった。
*****
強引に連れ出されたイヴは、きょろきょろと周囲を警戒して落ち着かない様子だ。
しかし持ち歩いている妨害電波装置のおかげで、追手には自分たちの居場所が特定されることはない。
考えてみれば、闇雲に探し回るしかなくなった追手と街中でばったり出くわす可能性など、ほんの微々たるものに過ぎないのだ。
「ねえイヴ、ゲームセンターとか行ったことある?」
「いえ、一度もないですけど……」
「じゃあ行こ! そこにあるから今すぐ行こ!」
「セナさん!? ちょっと、そんなに引っ張らないでくださいぃー!」
入ったゲームセンターではいろんなことをして遊んだ。
レースゲームで競争すると、車の運転ができるセナの方が少しばかり有利だったのか圧勝してしまった。
悔しそうにしていたイヴはシューティングゲームでリベンジマッチを挑んできたが、やはり銃の扱いに慣れたセナには完敗の様子だった。
というより、画面の向こうから襲い来るゾンビたちに終始悲鳴を上げるばかりで、イヴはまともに戦えていなかったのだが。
やがてムキになったイヴは、ダンスゲームでさらにリベンジマッチを挑んできた。
どうやら彼女はリズム感がとてもよいらしく、満面の笑みを浮かべながらノリノリで踊っていた。
ダンスなど踊ったことがないセナもなんとか奮闘したが、互角の勝負の末にイヴは初勝利を手にしたのだった。
「まだ……まだですよ……」
「えええ……行き過ぎたんじゃない?」
「そんなことないです、もう少しだけ右に……」
次第に明るい表情を見せるようになったイヴは、今後の不安などすっかり忘れ去っているように見えた。
二人は今、UFOキャッチャーのガラス面に張り付きながら手元のレバーを操作しているところだ。
「……ストップ! 今です!」
「上がれぇぇ!」
両手を合わせて神頼み――ならぬ宇宙人頼み。
UFOのアームはぬいぐるみの胴体をがっちりととらえ、大きく揺れながら獲物を運ぶ――
「「おおおおおぉぉぉっ!?」」
しかしあと少しのところでぬいぐるみは零れ落ち、二人は大きく床に崩れ落ちる羽目になってしまったのだった。
*****
「美味しい? それ」
「美味しいです! 初めて食べました」
「ねえ、アタシにも一口ちょうだい」
「いいですよー!」
日が傾いた帰り道。
小さなスイーツのお店で買ったクレープを齧りながら、二人は並んで歩いていた。
出かける前の物憂げな表情のイヴの姿はそこにはなく、どこからどう見ても純粋で無邪気な子どもそのものだ。
「どうだった? 今日は」
「はい、すっっっごく楽しかったです!」
ニッコリ笑って答えるイヴの顔を見てセナも満足した。
元気を出してもらおうとしてあげたことのはずが、この笑顔を見ていると自分まで元気が湧いてくるようだ。
「お姉ちゃんと一緒に遊びに行くのって、こんな感じなんでしょうかね?」
「うーん、それは多分違うと思うな。アタシらの関係だと"デート"って言うべきでしょ、これ」
セナの言葉で急に意識してしまったのか、イヴの顔がみるみる赤く染まっていくのが見えた。
「……セナさんって、時々とんでもなく大胆なことをさらっと言いますよね」
「……うん、今のは自分でもちょっと恥ずかしくなった……。でも、そうやって照れるイヴが可愛いからいいかなー、なんて」
「もう、セナさんはまた意地悪なことを……。そんなこと言うならもうクレープあげませんからねー」
「あっ、ごめんってイヴ! もう一口ちょうだい! ほら、あーん!」
口を開けて待っているセナだが、イヴはふんとそっぽを向いてしまった。
それでもセナは、イヴの頬が嬉しそうに少し緩んでいるのを見逃さない。
普段はとても素直なイヴは、セナにからかわれると意地悪をし返そうと背伸びする節がある。
そんな無邪気で何でもないやり取りが、過酷な運命と戦う二人にとっては何よりも心の安らぎとなっていたのだった。