File.2
この日の任務もやはり過酷を極めた。
セナたちの任務は、箱庭周辺の荒野に潜伏している過激派テロ組織の動向を監視するというものだった。
テロ組織を刺激しないようソーラーバギーで荒野を巡回するのだが、敵もそれを警戒しているのは丸わかりでまさに一触即発といった状況。
さらに言えば、箱庭の外はとんでもなく暑い。
南極点付近とはいえ、最高気温は摂氏43度という猛暑だ。
あらゆる資源が枯渇したこの環境において、エネルギー源として最も重宝されているのは太陽光、それに次いで風力だ。
テロ組織は乾燥地帯に作られた風力発電施設を中心に潜伏しており、施設を乗っ取られることがないよう監視軍が動いたというわけである。
その日の深夜まで特に目立った動きもなく任務が終わるかと思われたとき、監視軍は突然テロ組織と衝突した。
敵はどうやら奇襲を狙ったようだったが、訓練された監視軍の兵士たちとは実戦経験が違う。
2時間ほどの攻防の末、過激派テロ組織の大部分を拘束することに成功したセナたちの隊は、交代にやって来た小隊へ任務を引き継いで箱庭へと帰還した。
*****
家を持たず、ホテル住まいのセナがチェックインできたのは日付が変わってから数時間経った頃だった。
最終日の任務を終え、セナは次の任務を命じられるまで事実上の休暇となった。
次の招集がいつになるのかはわからないが、少なくとも数日は身体を休めることができそうだ。
「ああークソ、ムカつく」
酒の瓶をぶら下げてホテルの廊下を歩くセナの足取りは覚束なかった。
「なんで最終日に限って暴れるかなぁ。たまには穏やかに仕事を終えたいんだけど」
セナが腹を立てているのも無理はない。
本来なら別の隊に引き継いで任務終了となるはずのタイミングで敵の奇襲を受け、前線に駆り出されることになってしまったのだ。
「こういう時に限って誰も煙草勧めてこないし。アタシから誘えるわけないじゃない。少しは察してくれる男はいないわけ?」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、セナは借りた部屋の前まで辿り着いた。
ドアはカードキー式で、チェックインの際には部屋の扉が開け放たれている。
部屋に入ったセナはドアノブを引っ掴んで乱暴に閉めると、そのままベッドに倒れ込もうとした――
――しかし、ベッドの上には先客がいた。
そこには真っ白な髪をベッドの上に広げた一人の少女がすやすやと寝息を立てていたのだった。
あれ、部屋間違えた?
セナはもう一度廊下に出て、扉の番号とカードキーの番号を見比べる。
しかし間違っていない。
部屋に戻り、ベッドの上の少女の姿を確かめる。
そしてもう一度廊下に出て部屋番号を確認する。
何度確かめても結論は同じだった。
間違いなくここは自分が借りた部屋であるはずなのだ。
ベッドに歩み寄り、少女の姿をじっくりと見つめてみる。
髪は腰まで伸びていて銀色。
その毛先は少しうねっていて赤みを帯びている。
歳は十代と思われるが、あまりはっきりとはわからない。
なんでここで寝てるの……?
ていうか、誰?
起こさないほうがいいのかな?
でも、ここアタシの部屋だし……。
悩んでも仕方ないと思い、セナは恐る恐る少女の肩を揺すってみた。
「もしもーし。大丈夫ー?」
「……うぅ……」
セナの声で目を覚ましたのか、少女が小さな呻き声を漏らした。
目を擦って上体を持ち上げた少女は、セナの姿を見ると悲鳴を上げて飛び上がった。
「わああああーっ!!? ごめんなさい、ごめんなさい!! 怪しい者じゃないんです。ただちょっと疲れちゃって、ここで休んでたらいつの間にか寝てしまっていて、本当にごめんなさい!!」
「ちょっとちょっと、落ち着いて。別に取って食ったりなんてしないから!」
慌てて壁際まで逃げた少女はひたすら頭を上げ下げしている。
会話もままならない彼女をひとまず宥めようと、セナもあたふたと両手を踊らせていた。
*****
「はい。口に合うかどうかはわからないけど」
「あ、ありがとうございます……」
セナは持ち歩いているティーパックで緑茶を淹れた。
日本人の血を持つセナは、祖父母が好きだった緑茶を好んで飲んでいる。
しかし少女は緑茶を眺めるだけでまったく口にしようとしなかった。
「どうかした?」
「いや、あの……これ、なんだか埃みたいなもの浮いてませんか?」
「ああ、それは茶葉の産毛みたいなものだから飲んでも平気よ」
「そうですか、失礼しました……」
少女は恐る恐る緑茶を啜った。
彼女もようやく落ち着いたため、今なら話が聞けそうだ。
「それで、どうしてここにいたの? 迷子?」
「いいえ、そういうわけではないです……」
「そっか。まあ、とりあえず警察に保護してもらえるようにアタシが――」
「それだけは! ダメです!!」
少女はセナの提案を慌てて遮った。
物静かの様子が一変したためセナも少しばかり身構えてしまったのだった。
「えっと、どうして……?」
「それは…………他言無用でお願いできますか?」
もじもじと俯く少女にセナは頷いてみせる。
どうやら何か事情があるようだ。
「実は私、ここじゃない他の箱庭から逃げてきたんです。『アクルックス』っていう箱庭なんですけど……」
「アクルックス!? そんな遠いところから一人でここまで!?」
セナの問いに少女が頷く。
アクルックスは、今セナたちのいるカノープスから約60km離れた場所に位置する箱庭だ。
少女はそれほど長く続く灼熱の乾燥地帯を、それも徒歩で越えてきたのだという。
にわかには信じがたい言葉だった。
「どうしてそこまでしてカノープスに?」
「……怖かったからです。アクルックスの人たちは狂っています。私たちを使って毎日実験を繰り返していて、それが嫌で私は……!」
少女の手は震えていた。
セナはその手をそっと握って彼女を落ち着かせようとした。
彼女は警察に引き渡されることでアクルックスに帰されることを恐れているようだ。
アクルックスのことは、セナも少しばかり噂で聞いたことがある。
すべての箱庭の中でも特に突出した技術力を持つアクルックスは、主に科学技術の開発に力を入れているのだという。
少女の言っていることが本当なら、その技術開発の裏には彼女のような被験者を用いた人体実験も行われているということだろうか。
「お願いです。今夜だけで構いません、ここで私を匿ってもらえませんか? 夜が明けたら出ていきますから、どうか……!」
少女の目には涙が浮かび、セナが握る手はまだ震えている。
その姿を見たセナの胸の内にはある感情が芽生え始めていた。
そうだ、長いこと忘れてた。
あれほど過酷だと知っていながら、私が停戦監視軍に志願した理由――それはこの子みたいに苦しんでいる人の力になりたかったからだ。
セナに選択の余地はなかった。
この少女を見捨てることは、兵士としての自分の誇りを捨てることになるような気がした。
自分は大概ろくでなしだが、その初心すら失ってしまうようではいよいよ救えない人間に成り果ててしまうように感じられた。
震えの止まらない少女を、セナはそっと胸に抱き寄せた。
少女は何が起きたかわからず、セナの腕の中で固まってしまっていた。
「すぐに出ていくことなんてない。アタシの周りには訳あり連中なんて沢山いるし、一人くらい増えたって全然平気よ。だから安心して休んでいって。ね?」
セナの言葉で少女の震えが止まった。
その代わりに少女は大粒の涙を零しながらセナの胸に顔を埋め、声を押し殺すように咽び泣いたのだった。