三 夜間参拝
「やっぱりか……」
予想通りの返答に思わずため息がもれる。
「頼む! 翠。これで最後にするから、な?」
墨染桜
その桜は死者があの世に行く時、最後に現世に別れを告げる場所に咲く。死者はこの桜の下で、それまでの未練や想いを捨てる。そして桜吹雪を抜けてゆくという。
そんな言い伝えがあるためか、満開の墨染桜の下ではこの世に留まっている死者に会える、なんて言われている。この街の子供は、中学生ぐらいになると皆この言い伝えを確かめるため春になると墨染神社へ冒険しに行くのだ。好奇心を満たすために。
俺も中学の時に透に無理やり連れて行かされた。諦めるのは男じゃねぇっ! といつまでも探索を止まない相手に付き合った結果……
見事迷子になった。春といえども日はまだ短い。夕暮れ時の森は普段と違いなんだか恐ろしかった。風で揺れる木々も、その先に何かがいるんじゃないかと思え、必死に前だけを見て歩いた。二人で泣きそうなのをごまかそうと、無理矢理大きな声で話しながら進み続けた。
「お前も忘れられないだろう? あの光景」
「まあな」
透の問いかけに素直に頷く。
そう、何故だっただろう。突然目の前に満開の墨染桜が見えたのだ。綺麗な薄白い満月を背に、死者を見送るというその桜は堂々と立っていた。口をぽかんと開け桜を見上げれば、風で舞う花びらが服にひらひらと落ちてくる。いつの間にか陽はすっかり暮れていた。
知らぬ間に元の場所に戻ったのだ。真っ暗な森の中、桜の咲く場所だけが月に照らされてぼんやりと光っている。あまりに美しいあの光景を忘れるなんてありえない。
「だろ! 今回は夜に堂々と見に行けるんだぜ! 前回と違ってな」
「そうだな。あの時は、男のロマンって言って家族に秘密で出かけたからな。神主さんに家まで届けてもらった後、家でがっつり怒られたのを思い出すよ」
恨めしげに透を睨んだ。
何故迷ったのか。それはこいつが桜の裏側にある茂みの奥を指さし、こっち側行ったことないよな? チャレンジだ! とか言ってどんどん奥に進んだからだ。
「大丈夫だって! 今回は俺ら以外にも人いるんだから」
何故だろう。こいつが自信ありげに言えば言うほど不安が強まる。だが、あの桜に魅せられているのは俺も同じだ。目の前に置かれたチラシ手に取り透の方にひらひらと振る。そして、
「何時に待ち合わせする?」
期待を隠すようにぶっきらぼうに聞いた。
※※※
夜間参拝当日。
珍しく時間通りに来た透と共にバスに乗り、墨染神社に向かった。ここに最後に来たのは迷子になった日だ。あの光景を見た後、何度も再び見たいと思いつつ何故か足を運ぶことができなかったのだ。
「おー! すごいな!」
バスを降り、石段の前の赤い鳥居の前に立つと見上げながら透は言った。
「そうだな。ずっと祭りにも来てなかったから忘れかけていたけれど……」
薄ぼんやりとした赤い色の提灯が石段に沿うように上へと続いている。もうすぐ祭りだからだろう。屋台が出ていないことを除けば、昔よく来ていた祭りの光景が広がっている。段の上には風で飛ばされて来たのだろうか、墨染桜の花びらが点々と重なり合っていた。
一段、一段と神社の雰囲気を楽しみながら石段を上る。足が痛くなってきた頃、やっと二つ目の鳥居に辿りついた。下のとは異なる黒い鳥居を潜と、一緒に石段を登っていた人達はそのまま経路と書かれた矢印の先、本殿の方へと進んで行く。そんな人々の流れから抜け出し、俺と透は右側の道へと進んだ。
細い砂利道を歩いてゆけば開けた場所に出た。その中央には六年ぶりに見る墨染桜があの日と同じ様に満開となり咲き誇っていた。
「おー! やっと見られた!」
「ああ」
透は大満足だ! という顔で桜を眺めている。しかし、俺は違和感を感じていた。記憶の中の墨染桜はもっとこの世のものではないような、思わず吸い込まれそうな美しさだった。確かに目の前のこの光景も綺麗だとは思う。でも何か違う。思い出が美化されてしまっていたのだろうか。悶々としていると、透るの大声が俺の思考を中断させた。
「無い! え、嘘だろ!」
「急に大きな声出すなよ。驚くだろ! 何が無いんだよ?」
「定期! バス降りてポケットに入れたはずなんだけど無いんだよ! うわー、どこで落としたんだろ……」
「お前ここに来る途中でポケットから飴出して舐めてただろ。ほら、俺にもくれたし。その時とかじゃないか?」
「うわ、そうかも。ちょっと待っててくれ! そんな大した距離じゃないしさっと見つけて戻ってくるわ!」
「え、おい……」
人の返事も待たずにスマホの明かりを点けると、透は今来た道へを駆け抜けて行った。相変わらず猪突猛進なやつだ。一人で改めて墨染桜を見上げる。桜の背後には因縁の迷子の入口、茂みがあった。なんだか懐かしくなりつい歩み寄ってしまう。
当時あんなに大きく感じていたこの茂みも、今ではこんな小さいんだな…
自身の成長に思わず感慨深い思いがわいてくる。そんな時だった、突風が後ろから吹いてきたのは。
その風に背を押され、俺は茂みの方へと顔から突っ込んでいた。




