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三 あやかしと人間の境界線

 がしっと掴んだ黒檀の毛は思ったより柔らかい。手に込めた力を緩めず、そのまま黒檀の頬を横に引っぱる。意外と伸びた。


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔ってこういう顔なんだろうな。


 先程まで細めていた眼を丸くしたまま固まっている黒檀を見て思う。キョトンとしたその表情はどこか幼く、見ているとさっき膨らんだ怒気が少ししぼんでゆく。静かな山道に、萌黄がパタパタと羽ばたく音だけが響く。

 次の瞬間、俺にされるがままにしていた黒檀が口を開こうとしているのを指先で感じた。させるかと、もう一度黒檀の顔を掴み直し口の動きを封じる。そして、腰を落として視線を合わせた。


「あのさ、俺に伝えたいことあるならちゃんと言ってくれよ。萌黄に当たるのは格好悪いぞ。親しき中にも礼儀ありって言うだろ。産まれた時から一緒なら猶更だ。そりゃ、あやかしのことは知りたいさ。俺はただの人間で、この前まであやかしの存在はおとぎ話の中だけだと思ってたんだから。でも、萌黄が嫌がっていることを無理に聞き出したいなんて思ってないんだよ」


 荒々しくなりそうな語気をなるべく抑えながら、ゆっくりと自分の思いを吐き出す。俺をじっと見つめる黒檀の目は真剣そのものだった。最後まで言い切ると、ようやく黒檀の顔から手を離した。


「ちょっと強く掴んでたかも。ごめんな」


 俺がそう言うと、黒檀は鼻先を左上に動かしふいっと横を向いた。その頬は少し膨らんでいるような気がする。


「お前の弱っちい力なんて痛くも痒くもねえし」

「なら…… 良かった。で、黒檀は何が言いたかったんだよ」


 腰を浮かせた姿勢が徐々に辛くなってきたので立ち上がる。そして、上から黒檀の頭をわしゃわしゃと撫でた。けれど、黒檀は頭をおおきく振りかぶって俺の手から逃れてしまった。そのまま拗ねたような顔で俺の顔を見てくる。


「別に…… ただ、人間に対して攻撃的なあやかしがいるってことと…… 友好的だとしても、そこには人間が絶対に越えられない一線があるってことを言いたかっただけだ。ことわりの他にもな。お前はあの館にずっといるからか、あやかしに対して距離が近すぎるんだよ。今の内にどこかで線引きしとかないと、互いにとって良くねえって言いたかっただけだ」


 最後の方の言葉は歩きながら言ってきた。黒檀が言い終わるのと、俺の横を通るのはほぼ同時だった。俺の横を通り過ぎる瞬間、さっきのお返しだと言わんばかりに黒く長い尻尾でバシッと足元を叩かれる。


「痛っ」


 鈍い痛みに足を抑える。自然と浮かぶ涙を堪えていると、前方から黒檀のからかうような声が聞こえた。


「転ぶなよ」

「うるさい!」


 即座に切り返せば、黒檀は少し立ち止まるとふんと得意げに息を吐いた。そのまましなやかな動きでどんどん前へと進んで行く。


 俺を道中守るって言ってたのはどこのどいつだ


 だんだんと小さくなる後ろ姿に突っ込みを入れていると、右側から軽やかな笑い声が聞こえた。見れば、萌黄が大きく茶色の羽をばたつかせていた。ヨモギ色のお腹が萌黄の笑い声に合わせて揺れている。萌黄はしばらく笑った後、元気な声でさえずった。


「翠さん、ありがとうございます」

「え?」

「黒檀を注意してくれて」

「注意したっていうか……」


 ついカッとなってしまっただけというか……


 つぶらな黒いきらきらとした眼で見られると、そんな大したことしてないのになあと申し訳ない気持ちになる。


「さ、黒檀に置いて行かれないように私達も行きましょう!」

「そうだな」

「まあ、私だけでも翠さんをお守りできるので安心してくださいね」

「萌黄が?」

「まあ、なんですその疑いの眼は! 私けっこう腕が立つんですよ。さあ、出発です」


 小さな胸をどうだっと張った後、萌黄は俺の頭の上へと着地した。


 萌黄は飛ぶよりも他人の頭の上に乗るのが主な移動手段なのか?

 まあ、萌黄が乗っていても全く重くないから構わないが…… 透やチースには絶対に見せたくない姿だ。あいつらは俺をからかうことに全力をかける所はよく似ている。


 にやにやと笑っている友人達の顔を思い出していると、頭の上から萌黄が話しかけてきた。その声色は優しい。


「さっき言ってたことですが…… きっと黒檀は過去の自分と翠さんを重ねてしまったんだと思います。黒檀は一時いっとき、人間のとても近くにいたことがあるので…… その時のことを思い出して、わざと突き放すようなことを言ってしまったんだと思うんです。黒檀なりに翠さんのこと心配してるみたいなんですけれど……」


 そこまで言うと、萌黄は可愛らしくため息をついた。


「黒檀、あまり考えて話すの得意じゃないので」


 その言い方があまりに可愛らしかったので、思わず吹き出してしまった。


「そんな気にしないで大丈夫だから。俺だって口がよく回る方じゃないし」

「確かにそうですねー」

「え?」

「ふふ、冗談ですよー。ささ、もっと早く行きましょう。ほら、黒檀がこっち睨んでます」


 緩やかな坂の先を見れば、黒檀が自分の尻尾を貧乏ゆすりのように地面に打ち付けながら俺たちが来るのを待っていた。

 その姿を見て思う。


 やっぱり黒檀はツンデレってやつだな。


 と。

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