一 まどろみから覚めて
山姫の差し出した品物を萌黄から受け取る。ずっしりとしたそれは布の上からでは何か四角いものということしか分からない。壊れ物かもしれないのでしっかりと包みを持ち、別れを惜しむ山姫達に挨拶をした。
その時山姫が教えてくれたのだが、ここに来る途中で俺に物騒なことを囁いていたのは小鬼だったらしい。そいつらに再び付け狙われないように萌黄と黒檀に館まで送るよう言ってくれたが、その申し出は申し訳ないので断った。
本当に危ないのなら頼るが、狐さんの蝶がいるから大丈夫だろう。
山姫達も蝶が一緒なら大丈夫だと太鼓判を押してくれたしな。
俺の周りをふわふわと飛んでいる赤い蝶に向けて、頼んだぞと力強い視線を送っておく。そんな俺の様子を面白そうに山姫は見ている。彼女は最後に
「今度はゆっくりと遊びにいらっしゃい。人の寿命は私達から見るとあっという間だからなるべく早く来てね。」
と、山姫は障子の奥で艶やかに微笑みながら言った。きっと彼女も椿たちに負けないぐらい、相当な年なのだろう。
萌黄と黒檀の二人はというと、せめてお見送りぐらいはさせてほしいと、渡り屋の玄関まで一緒に来てくれた。
「またいらっしゃるのを待ってますね」
「お前の所と違ってここはいつ来ても大丈夫だからな」
そう言って元気よく手を振る萌黄と、腕組みをしたままの黒檀に別れを告げた。
※※※
行きはよいよい帰りは恐い
よく聞くわらべ歌の歌詞だ。だが、ありがたいことに俺の使いは逆だった。行きで恐ろしい思いをしたのが噓のようだ。のどかな山道を赤い蝶と共に歩く。
ふと空を見上げれば、館を出発した時と同じように太陽と半月が浮かんでいる。
この空間の時間の経過がどのようになってるんだ?
せっかくだから山姫にもっとあやかしの世界について教えてもらえばよかった。また今度手土産でも持って話をしに行こう。
好奇心は一度溢れると尽きることはない。教えてもらいたいことを考えているうちにあっという間に館に戻って来てしまった。帰り道はなんとも平和だ。なんとなく肩透かしを食らったような気持ちで、開け放たれたままの門に近づく。
行きはなんとも思わないで潜った門。しかし、先ほど聞いた昏睡状態の運び屋の話を思い出してしまったせいで、足を踏み入れるのを少し躊躇してしまう。
いや、俺は狐さんに頼まれて行ったんだから何を怖がることがあるんだ……
よし、と勢いよく前へ進んだ。山道と館の境界線を越える時、一瞬ひやっとしたものを感じる。しかし、それは俺の恐怖が感じさせたものだろう。数歩進んでも、全く眠ることなく庭に立っているのがその証拠だ。
そのまま庭をどんどん突っ切って行く。狐さんと別れた噴水まで戻ったが、もう彼の姿はそこには無かった。
椿の体調悪いって言ってたしな。
彼女の傍にいるのだろうかと、庭から見える椿の部屋の窓を見上げてみる。しかし、白いカーテンに防がれて部屋の中の様子は分からない。
その時、赤い蝶が俺の視界を遮るように顔の前で飛びでてきた。そのまま、俺の目の前を左右に揺れると、最後にくるりと正面玄関の方へ向きを変え去って行く。
館の中に入りたいのか?
そう思い門を開けてやると、蝶は正面ロビーを通り抜け二階へと続く階段へと消えて行った。
「おお、帰って来たんやな。お疲れさん」
ぼんやりと蝶の飛び去って行った方を見ていると、チースが蝶と同じ方向から現れた。
「ただいま」
「品物ちゃんと渡してもらえたみたいなや」
俺の持っている白い風呂敷を見てにかっと笑う。そのまま階段を降りてきて横に立った。
「はよ狐に持って行き。椿の部屋におるから」
「椿の体調は?」
聞いた途端にチースの表情が曇る。俺が外へ行っている間に悪化してしまったのだろうか……
「ちょっと悪うなっただけで、今は静かに寝とるから大丈夫やで。翠が部屋に行く頃には目覚めとるかもしれんけど」
「俺全然知らなかったから驚いた」
「狐が何て言うたかは知らんけれど、椿にとっては眠ることが元気になるための何よりもの近道なんよ。獏の習性やからな。だから寝たらすぐ良うなるから安心し」
獏。
その言葉から連想されるのはアリクイのような動物だ。あれカバだったか?
え、というか椿も渡し屋の萌黄と黒檀のように変身を解いたらそういう姿になるのか……
俺の脳裏に動物園で見た必死にエサを食べていたアリクイと、美しく微笑む椿の姿が交互に浮かぶ。
何故だかとてつもないショックだ。
いや、アリクイも可愛いよな。あのつぶらな瞳とか。椿もその名残あるしな。うん。
必死に自分を納得させていると、呆れたような顔でこちらを見ていたチースが口を開いた。
「あんな、翠今しょうもないこと考えてるやろ。あやかしにも色々なやつおるんよ。俺も椿も狐も初めから人型やからな。獏言うても人間の伝承で伝わってるんとは少しちゃうんやで」
「そうなのか! よかった……」
その言葉にばっと顔を上げ、普段出さないような大声が出てしまう。そんな俺の姿にチースは更に呆れた顔を向けてきた。
「なんや、見た目で判断するなんて失礼なやつやな。それにそれ笑顔なんか知らんけど怖いわ。もう無駄口きいとらんではよ行きや」
そのままさっさとラウンジの方へと歩いて行ってしまう。こっちはあやかしと付き合うなんて初めてなんだから、ちょっとした感情の揺れ動きぐらい多めに見てほしいものだ。この館の住人は皆、自分たちが人とは異なる存在だということは初めに教えてくれた。けれど、それ以上のことはまだ教えてくれていないのだから。
そんな不満を胸に、ノロノロと椿の部屋の前まで移動する。そして、椿のプレートが入っている扉の前で足を止めた。
ここに入るのは初めてだ。
少し緊張しながら、眠っているかもしれない椿の邪魔にならないように小さくノックをする。
「翠ですね、どうぞ」
すると、中で狐さんが小さな声で答えた。静かに扉を開け部屋に入る。
部屋の中央には大きなベッドがあった。そこに真っ白な顔で眠る椿がいた。横に飾ってある青い花が、窓からの淡い光を受け、青い影をその白すぎる顔に落としている。
彼女を起こさないようにそろりと狐さんの傍に行き、品物を渡した。受け取りながら小さな声で狐さんは「ありがとうございます」と言い、口元に笑みを浮かべる。
彼女の眠りの邪魔をしないようさっさと退出しよう。
最後にもう一度顔を見ようとした時、横に飾ってある花が庭の噴水の彫刻と同じだということに気がついた。
一体なんという名前だったか?
足を止め、必死に花の名前を思い出そうとしてみる。が、なかなか思い出せない。すると、狐さんが小さな声で
「勿忘草ですよ」
と囁いた。
その時だった。狐さんの声に反応するかのように椿が薄っすらと目を開いたのは。何度か瞬きをした後、まだ半分夢を見ているような表情で横を見る。素早く狐さんが膝をついて目線を合わせた。
「お目覚めですか。お嬢様」
その声を聞き、椿は何かを思い出すように目を細める。そして狐さんに尋ねた。
「誰?」
寝ぼけているのだろうか?
ふざけて言っているようには見えない。椿はしばらく狐さんを見つめた後、俺の方へと顔を向けようとした。すると、狐さんはベッドから出ていた椿の片腕を持ち上げ、その掌を自分のお面へと導いた。
「狐ですよ、椿」
噛みしめるように言ったその言葉を聞くと、椿は何かを確かめるようにお面を上から下へと滑るように撫でた。
「狐……」
小さくそう呟き目を閉じる。数秒後、再び目を開かれたその瞳には、いつものような輝きが戻っていた。
「ごめんなさい、狐。もう大丈夫」
そう言うと、椿はゆっくりと上半身を起こした。そのまま俺の方へと顔を向け微笑む。
「お帰りなさい、翠。心配かけてごめんなさいね」
「いや……」
さっきまでの雰囲気に呑まれ、何もできずに固まっていたがようやく声が出る。戸惑ったままの俺とは違い、狐さんは椿に素早く上着をかけていた。
「飲み物をお持ちしますね。翠、その間に持ってきてくれた品物をお嬢様に渡してくれませんか?」
テキパキと言うと狐さんは部屋の外へと去って行ってしまう。椿と二人、部屋に残される。
え、これの中身が何なのかすら知らないんだけど……
勝手に俺が開けていいのかと思うが、椿は横に置かれた品物が気になってしょうがないようだ。
「一体何でしょうね?」
「何でしょう……」
椿が早く見たそうなので、風呂敷包みさっさと開くことにした。すると、縛られた木の箱が現れた。緩く結ばれている紐を解き、蓋をかぱっと持ち上げる。
箱の中に入っていたのは一冊の画集だった。
勿忘草…私を忘れないで・真実の愛・思い出




