五 あやかしの名づけ方
涼しげなその目に見つめられ、顔を上げたまま一時停止する。
おお、美人……
俺の少ない語彙ではそんな表現しかできない。
椿も美人だが彼女は儚い感じが漂う美人だ。一方山姫は、ぱっと見ただけでも分かるスタイルの凹凸のすごさと、少し気だるげな様子から夜の蝶のような色っぽい美人だ。年齢の見当が全くつかない。
それにしても、ただ座っているだけなのに色気が漂っている。これまでにお目にかかったことのない美女に固まったままでいると、山姫は脇息から身体を持ち上げこちらを手招きした。
「ちょっとそんなに緊張しなくて大丈夫よー」
ケラケラと笑いながら何とも軽いノリで言われる。セクシー美女然としたそれまでの雰囲気と声色とはえらいギャップだ。その様子に驚いていると、今度は「キャー可愛いー」と脇息に掌をバシバシと当て叫びだした。
萌黄のバタつき癖は間違いなく主人譲りだな……
先ほどの萌黄と同じような行動をしている山姫を見て思う。
「さっさと入れって」
部屋に入るタイミングを見失い、まだ部屋の入口で止まっている俺の横をスタスタと誰かが歩いて行く。
この偉そうな口調と声は間違いなく黒檀だ。一体どんな姿なのか確かめるべく声の主を目で追う。
そこには、薄水色の着物に萌黄と同じ紺色の前掛けをした少年がいた。短く硬そうな黒髪と鋭い金色の目は狼の姿の時と変わらない。そして年齢は萌黄と同じ十歳前後に見える。
狼の時は睨まれると恐ろしかったけど、人型だと小生意気な感じでそんなことないな。
口を真一文字に結んだその姿を見て思う。黒檀は部屋の真ん中まで進むと、畳の上に黒いお盆を置いた。その手前に、素早く萌黄が座布団を出す。二人はそのまま山姫の左右に一人ずつちょこんと座った。
「お茶冷めるから早く座っちゃいなさい」
「はい」
山姫が笑いながら言う。その言葉に返事をするとゆっくりと立ち上がった。すると、俺より先にそれまで静かに肩の上にいた蝶がふわりと飛びお盆の近くに止まる。その後を追うように俺も用意された座布団に座った。目の前のお盆には和菓子の乗った純白の皿と茶碗が置かれている。
「あら、あいつの蝶はお利口さんね。そんなに小さいのに坊やを守ろうとしてる」
蝶がゆっくりと羽ばたくのを見て山姫が呟く。あいつ、という時の山姫の表情はどこか苦々しく感じた。しかし、それは俺の勘違いだったのだろうかと思うくらい素早く笑顔へと切り替え、こちらを見つめてきた。
「わざわざ商品を取りに来てくれてありがとうね。本当なら運び屋に頼んで館まで運んでもらうんだけれど……」
片手を頬に添え、ふうっと色っぽく息を吐く。
運び屋というのは言葉の通り配達員のようなものだろうか?どうやら運び屋とやらに何かあったらしいことが彼女の口ぶりから分かる。気になったので早速聞いてみる。
「何かあったんですか?」
「きちんと運び屋にはいつ館へと届けるか伝えていたのよ。でも、新人君が他の配達ついでに予定時間より早めに行ってしまってね。昏睡状態になっちゃたのよ。もうどれくらい経つのかしら?」
「人間の世界でいう1週間だな」
「夢境の館に招かれた人以外が入ろうとすると夢の中に囚われちゃうんですよ」
山姫の説明を、黒檀と萌黄が補足してくれる。
これまでに何度も通っていたのにそんな場所だなんて知らなかった……
新情報に驚いていると、山姫が腕組みをしながら話を続けた。
「まあ、ここら辺のあやかしなら知っていて当然のことなんだけれど…… 新人君が入口ぐらいなら大丈夫って思って近寄っちゃったのね。運び屋の手違いだから他のあやかしがすぐ代わりに行こうとしたのだけれど、今は誰も彼も手が空いていなかったみたい。それを聞いたあいつは早く商品が欲しかったみたいで、それならば自分で取りに行くって伝えてきたわけよ」
「あいつってやっぱり狐さんのことですか?」
「え、狐? ああ、今はそんな名前だったかしら。」
今は、ということは前の名前があるということだろうか?
疑問に思ったが、やっぱり狐さんのことを話す時の山姫は不機嫌そうだ。一体この二人になにがあったかとても気になるところだが、初対面のあやかしに向かって地雷を踏むほど愚かではないので止めておく。なので、違うことを尋ねることにした。
「その昏睡してしまった運び屋さんは大丈夫なんですか?」
「あらー、坊やは優しいのね。大丈夫よ、悪意があって近づいた訳じゃないし。館にいるあの子が何とかするって言ってたから。」
「椿?」
「違うわ、今の椿にはそんな余裕はないもの。えっと、あの子の今の名前は……」
椿じゃないとすればあと一人しかいない。
おいおい、チースも名前が前と違うのかよ……
そう思っていると萌黄が元気よく答えた。
「スタチスって言ってましたよ、店長」
「そうそう、随分と変わったから覚えにくいわ」
「年のせいじゃねえの」
「お黙り!」
黒檀の失礼な発言をぴしゃりとはねつける。深紅色の目で鋭く黒檀を睨むが、睨まれた本人は横を向き全く気にしていない。
主人に対してもこんな態度なんだな…
それにしてもあやかしの世界では名前がそんなころころ変わるのだろうか?
その疑問をぶつけてみる。
「あやかしの名前って頻繁に変わるもの何ですか?」
俺の質問に三人そろって驚いたようにこちらを見てくる。
あれ、変なこと言ったか?
あやかしの世界の常識なんて知るわけないじゃないかと何とも居心地の悪い気持ちになる。視線に負け俯いた俺へ山姫の楽しそうな声がかけられた。
「あら、変な顔してごめんなさいね。坊やずっと館の中にしかいなかったんですものね。私たちのことなんて知らなくて当然よね。あやかしにとっても名前は大切なもので、そうそう変わることなんてないの。そもそも私たちには最初名前が無いのよ。それぞれのあやかしの種族名はあるけれど。私なら山姫ね」
俺の質問に山姫のあやかし講座が始まる。今まであやかしの世界でバイトをしているとはいえ、実際には館の三人しか知らなかった俺には初めて聞くことばかりだ。大学の必修科目以上に真剣に聞く。
「自分だけの名前は誰かに呼ばれることによって付けられるの。ここまでは人間と一緒ね。でも、私たちの場合は名前を付けた相手と付けられた相手に主従関係が生まれるのよ。主従関係が続く間は付けられた名前を名乗れるわ。」
「じゃあ萌黄や黒檀って名前はあなたが付けたんですか?」
「ええ」
山姫はふふっと笑った。萌黄は嬉しそうに、黒檀も少し照れくさそうにその様子を見ている。きっと、山姫は二人とってとても良い主人なのだろう。ふと、「主従関係が続く間」という言葉が気になったので尋ねてみる。
「もし主従関係が切れた時には名前はどうなるんです?」
「主人が名前を回収したらまた名無しに戻るわ。でも突然の失踪や消滅でいなくなった時は、名づけられたあやかしが自分で名無しに戻るか、そのままの名前を名乗るのかは決められるの」
「主人が代わった時には?」
「そのままの名を名乗ることを許す場合もあるれど、普通は新しい名前を与えるわね」
じゃあ、狐さんもスタチスも主人が代わったから名前が変わったのだろうか?
山姫の話を聞いていて思う。それにしても……
「坊やはこの話を聞いてどう思った?」
山姫は興味深そうにこちらを覗ってくる。あやかし相手に嘘を言っても無駄だというのは館で学習済みだ。さっき思ったことを素直に答えることにした。
「名前が主人によって変わるなんて不便に思えます」
「そう? 私たちってけっこう独占欲強いのよ」
そういって掌を口に当てて怪しく山姫は笑う。
「自分の許に来る子には自分の与えた名を名乗ってほしいの。名を持たないあやかしの方が多いから、名前持ちは自分の名前をとても大切にしてるわ。忠誠心が強くて、主人以外に名前を呼ばれるのを嫌がるあやかしもいるぐらいにね。その場合本当の名前と、もう一つ別の名前をもらうのよ。ちなみに、私たちが名前を教える時は相手を信頼した時よ」
「え、俺二人の名前教えてもらってますけれど……」
あんなにもあっさりと教えてもらったのに……
名乗ることはそんなに重要なことだったのかと驚いて萌黄と黒檀を見る。
「黒檀の人を見る目は確かなので」
「……」
萌黄はにっこりと答える。黒檀は何も言ってはくれなかったが、名前を俺に教えてくれた。あやかしにとっての信頼の証をもらえた、その事実がどんな言葉よりも嬉しい。男女問わずツンデレのデレは効果抜群だ。
「さて、あなたともっとお話ししたいんだけれど…… あまり長居させては心配させてしまうわね」
残念そうに山姫は言うと、すぐ横に置いてあった赤い風呂敷に包まれたものを持ち上げこちらに微笑んだ。




