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四 山姫の渡り屋

 

「夢境の館もその外も、翠の住んでいる世界とは全く異なります。なので、外には勝手に行かないでくださいね。あ、館の中は私たち三人の領域なので、鍵さえかかってなかったら好きに全ての部屋を出歩いて大丈夫ですよ。」


 初めて館を案内された日に椿に言われたことを思い出す。確かに、依頼人が来た時や去る時などにこの館が非現実な存在であることを感じる。しかし、慣れとは恐ろしいもので…… 

 最近はその光景に慣れてきている自分がいる。それに、椿もチースも狐さんも話しているとまるで普通の人間と変わらないのだから、彼らがあやかしと言われても「そう言えばそうだったな」ぐらいで気にすることなんてあまりなかった。だから、この空間においてただの人間である俺がいることがいかに特殊かということを少し忘れていたのだ。


 ※※※


「夢境の館に人間がいるって聞いてびっくりしました」

「どんな人間かと思えば、まずそうなことぐらいしか特徴の無い普通のやつだったけどな」

「お客様になんて失礼なことを! ほら、お客様のお顔が険しくなっているじゃないですか」


 途中で出会った雀のようなあやかしは萌黄もえぎ。狼のようなあやかしは黒檀こくたんと名乗った。彼らは出会ってから止まることなく話し続けている。さっきまで俺の前を飛んでいた蝶は、彼らに道案内を託したのか今は俺の肩の上に静かに止まっている。

 萌黄はともかく、黒檀の第一印象は最悪だったが、彼らと一緒に移動するようになってから、ずっと聞こえていた物騒な声が聞こえなくなった。あの声が聞こえなくなったというだけで、俺の二匹への好感度は急上昇だ。少し失礼なことを言われたぐらいじゃ下がらない。俺の口の挟む間もないぐらいテンポの良い二人の会話を聞きながら、山道をひたすら歩く。


「もう少しですよ。この坂の上がお店です。お客様がんばってください」 

「ああ…… おい、黒檀。牙当たってる」

「黒檀! 隙あらばお客様の足元狙うの止めてください!」 


 異界であっても現実と同じように疲労は蓄積される。一生懸命萌黄が可愛い声で励ましてくれるが、どんどんきつくなる勾配に歩みが遅くなる。一方、黒檀はちょいちょい俺の足に向かって黒いしっぽや鋭い牙で攻撃を仕掛けてくる。


 黒檀はもともと山道を行く旅人を転ばせ、転んだ相手を襲うあやかしだったそうだ。今はあまりそんなことはしないと言っているが…… あやかしの本能で山道を歩く人間を見ると転ばせ、かつ襲いたくなるそうだ。

 そうだ、なんて他人事のように考えているが実際に真横で自分の足元を見つめられていると冷や汗が出る。しかし、蝶への信頼と萌黄の黒檀への叱責でなんとか落ち着いていられる状況だ。


 黒檀には店に着くまで本能に負けずに頑張ってほしい。

 そもそも、迎えの人選間違えすぎだろ!


 まだ見ぬ店長への抗議を心の中で叫ぶ。だんだんと店に近づいているらしいが、一体この二人の雇い主はどんなあやかしなのか興味、それに加えて心配が募ってくる。


「店長ってどんなあやかし?」

山姥(やまんば)

「え……」


 黒檀が間髪入れずに答えた。


 山姥か……

 そうだな、山と言えば山姥は外せないよな……


 脳裏にボロボロの山小屋の中で包丁を研ぐ老婆の姿が浮かぶ。今の回答で心配が興味に打ち勝った。しかし、黒檀の答えを聞いた萌黄がものすごい勢いで羽を羽ばたかせて反論してきた。


「違います!山姥じゃないです、山姫様です!」

「変わらねえよ」

「全然違います!聞こえていないと思って適当なこと言うと後が恐いんですからね」


 姫、という響きに大いに気持ちを立て直す。これは更なる情報を得ていこう、と萌黄に話しかけた。


「山姫?」

「はい、とっても良い方です。実際に会っていただけたら分かりますよ。ほら、もうお店につきました」


 山姫について詳しいこと教えてもらう前に坂が終わり、道が平坦になる。ようやくたどり着いた峠には、平屋で純和風の木造建築がぽつんと建っていた。店を見るや否や、萌黄は嬉しそうに「お客様連れてきました」と言いながら、ひゅんとお店の中に飛んでゆく。


 ここが山姫の店か……

 時代劇とかで見る町屋って感じだ。


 店の外観を観察しながら、萌黄を追いかけ玄関へ向かう。店の玄関には、白い布に〈渡り屋〉と見事な楷書で描かれた大きな暖簾が地面にまでかかっている。声もかけずに暖簾へと手をかけていいのか悩んでいると、黒檀が俺の足を前足ではたいてくる。


「さっさと入れよ」


 そう言うとするりと暖簾をくぐって行ってしまった。


「お邪魔します」


 従業員がそう言うならと声かけ、急いで暖簾の奥へと進む。暖簾の奥からは真っすぐに土間が続き、その先は襖で見えない。黒檀がそっちに進んでいるので追いかけようとすると、左側から萌黄の声が聞こえた。


「こちらへどうぞ!」


 声の聞こえた方を見る。そちらは今いるところより一段高くなっており、ぱっと見たところ畳が6畳ほど敷いてある。その先には水墨で竹林が描かれた障子があり、声の主はその障子を開きこちらへと小走りで向かっているところだった。


「ん?」


 その姿を見て首をかしげる。声は確かにさっきまで喋り続けていた萌黄のものだ。しかし、俺の目の前には薄い緑色の着物に鮮やかな黄色の帯。それに紺色の前掛けをした幼い少女がいた。前に親戚の集まりで会ったいとこと同じぐらいに見えるので十歳ぐらいだろうか? 彼女の二つに結んだヨモギ色の髪の毛と、黒く綺麗な丸のくりっとした瞳を見る。


 まさか……


「萌黄?」

「はい! そうですよー。さあさあ、店長がお待ちです。お靴は段の下でお脱ぎくださいね」

「そ、その姿は?」

「肩凝るんで普段は本来の恰好をしていますけど、店の中ではこの方がお仕事しやすいんです」


 頬を真っ赤にして嬉しそうに答える。感情が高まるとパタパタと腕を上下に振るのは鳥の姿でも、人間の姿でも変わらないようだ。


 そうだな、鳥の姿じゃ商品とか持てないもんな……

 ってことは、黒檀もきっと店の中では人間の姿になっているんだろう。昔から動物のあやかしは化けると相場が決まっている。化け狐しかり、化け狸しかり。いわんやこの世界のあやかしをや。


 一人で納得し、靴を脱ぎながらちらりと黒檀の去って行った襖の奥を見る。あの恐ろしい見た目の狼が一体どんな姿になるのか非常に興味深い。ここで出てくるのを待ちたいが、襖の開く気配はまだない。あまりに萌黄を待たせてしまうのも悪いので、ワクワクした顔で障子の前で待つ彼女のもとへ向かった。俺が近づくと、萌黄はくるりと障子の方へと身体の向きを変え、奥の部屋へ声をかけた。


「店長、お客様をお連れしました」

「ご苦労様。どうぞ」


 やや低い女性の声が聞こえる。ハスキーボイスというやつだ。萌黄は正座のまま障子を開けると、再びこちらへと向き直る。そして三つ指を立て小さくお辞儀をした。


「お入りください」


 突然の恭しい態度に戸惑いつつ頷く。開かれた障子の前まで恐る恐る進み、萌黄の真似をし正座をする。


 こんな感じか?

 こういう所でのマナーとか全然分からん。


 横の萌黄をもう一度見、指先を床につけ軽くお辞儀をする。


「失礼します」


 緊張で声が軽くひっくり返ってしまった。すると、前方からぷっと吹き出したのが聞こえる。


 やってしまった……


 恥ずかしいが、このまま顔を下げている方がいたたまれない。勇気を出し顔を上げる。すると、そこは先ほどよりもはるかに広い和室だった。

 その部屋の最奥、一段高くなった場所で白い着物に赤い帯を結んだ女性が脇息(きょうそく)に肘をもたれるようにかけている。こちらを向くその顔や、着物から覗く細い腕は白いを通り越して、青ざめているように見える。そして、彼女の額から左右へは畳につくほどの真っ白な長い髪が流れていた。


 渡り屋の店長の山姫。

 何もかもが真っ白なその女性の深紅色の瞳がこちらを真っすぐに見つめていた。

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