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──塊さん、お話があります。事務所に着て下さい。──
そう氷室ちゃんから呼び出されて今に至る。
「塊さん、先輩と喧嘩でもなさったのですか?」
氷室ちゃんが何時になく目を尖らせて尋ねてきた。俺は目を逸らし、一瞬の間を置いてその問いに応える事にした。
「うん。まぁ、そんなとこ。感情が欠落してなかったら、紅葉ちゃんが怒鳴った理由も分かるのかな?」
感情とは……なんなのか……分からない。『喜怒哀楽の事だよ』と気安く話す人もいるけれど、そんな簡単なものじゃない気がする。もっと複雑で力を持ったものだと思う。
けれども俺にはそれがない。だから人と共感する事も、分かち合う事も出来やしない。こんな事を言ったら、氷室ちゃんは考え込んでしまうだろうか?
「俺ね、今の状態で会ったら紅葉ちゃんのこと殺しちゃうかも知れない」
「どうしてですか?」
氷室ちゃんが目を見開いて尋ねてきた。自分がどんな事を言ったのかは分かっている。氷室ちゃんにとって紅葉ちゃんは学校の先輩でもあり、死体狩りの先輩でもある。きっと予測しない事を言われて、困っている……? のかも知れない。
俺はソファに背中を預けて遠くを見た。空は相変わらずで、心のモヤモヤとは天と地ほどの差がある。いいな……感情が無いなら、モヤモヤも消し去ってよ……。
氷室ちゃんに目だけを向け、平坦な口調で告げた。
「モヤモヤ……するんだよね……。紅葉ちゃんが嫌な顔していると、辛そうだと。だから紅葉ちゃんが居なくなれば、こんな事思わなくて済むのかなって思い始めてるの。でもさ、そうなるとずっともやもやが晴れないとも思っている」
モヤモヤの理由が紅葉ちゃんだと言うことは分かっている。それを生み出すのも、消し去るのも、何時だって弱い人間のあの子しかいないのだ。
虚ろな目でこれからの事を考える。このまま紅葉ちゃんと顔も合わせず、永遠に過ごしていくのかな? ずっと逃げ続けるのかな?
すると氷室ちゃんが凛とした声で俺の名を呼んだ。読んで、目を合わせる。
「塊さん」
「ん?」
「あるじゃないですか、感情。何も無くなんかありません。本当に何も無いなら、先輩が苦しそうにしていても、モヤモヤなんてしません。殺したいとさえ思いません。そう考えるだけ、貴方はまだ人間です。だって殺したい程不機嫌にされるのは、それだけ相手を思っているからじゃないんですか?」
最初の鋭かった双眸も、言い終わる頃には穏やかな菩薩の微笑みに変わっていた。それと同時に、心の分厚い雲の中に一筋の光が差し込んだ気がした。
ソファから立ち上がり、氷室ちゃんを見下ろす。前よりは人間らしく笑えているだろうか?
「有り難う、氷室ちゃん。もう逃げるの止めにするよ。だからちょっとだけ付き合って」
「はいっ!! 一体何をすれば宜しいでしょうか?」
今なら会える気がする。俺は携帯を取り出して紅葉ちゃんにメールする。伝えたい事は端的に。
──会いたい──
よし、後は氷室ちゃんの協力だ。
「ねぇ、氷室ちゃん。俺が暴れそうになったら冥鬼で止めてくれる? 全力で」
「分かりました」
氷室ちゃん厳しい表情で頷くと、はロッカーから冥鬼を取り出し、徐に鎖を解き始めた。紅葉ちゃんが到着するまでに間に合うと良いのだけど──。
「塊!!」
あっ……まずい……。