1 死体多発中
「紅葉、来てくれて助かるよ」
「……おはようございます」
建て替えられる事もなく、やたらに古臭い事務所の中で、彼は事務椅子に腰掛けていた。
彼は両肘をつき、指を組み、笑顔を浮かべる。
「で? 死体なんでしょう?」
「うん。まぁ、それと……」
そう言ってロッカーから鋼性の十字を出す。普段は刃の部分の無い、ただの鋼の塊。形を潜め、戦闘時にしか本性を表さない“彼”。私の大切な契約者だ。
「硝吸鎌が寂しがっていたからねぇ」
「昨日の今日ですよ?」
そう言って鋼の塊を投げつける。眼鏡越しの凛とした眼が印象的だった。
私は重々しい塊を抱きしめ、頬を擦り寄せる。すると幻影が脳裏を掠めた。
長い黒髪に、英国紳士の服を纏い、人を食った眼で口角を上げる。
「来てくれたのか」
「呼び出し命令があったから」
彼が悪い訳でも無いのに八つ当たりしてしまう。そっぽを向くと長い指先が頬を撫でる。
「此方を向け。汝が向かねばつまらない」
瞳だけを“硝吸鎌”に向けると笑みがますます濃くなった。
これは硝吸鎌の精神体に過ぎない。精神体というのは聖遺物が持つ魂のようなもので、それぞれ人型を保っている。前に硝吸鎌に『九十九神のようなものか?』と尋ねたら、『根本的に間違っている』と否定されてしまった。
そんな有耶無耶な魂の塊だが、触られた感触はリアル……なのだ。人と違うのは冷たいこと。生暖かさがない。故に触られても拒否反応を起こさない。
「汝は私に甘いからなぁ……」
私の両頬を指先で抑えられ、無理矢理固定させられる。そうやって暫く見つめ合う。
大して甘い雰囲気にもならず、物欲しそうな彼の眼が私の眼球に収まる。
此奴が私に向けて来るのは“好意”と言うよりも“執着”。自分のものが奪われることを拒む、只の独占欲に過ぎない。
「あぁ……本当に欲しくなる……」
「首が痛いから離して」
私の唇を愛おしそうに撫でる親指を引き剥がし、睨み付ける。どうせ直ぐに手に入るのに、どうしてこうもせっかちなのか。
彼も私の気持ちを見切り、俯いてくつくつと笑う。長い髪が微かに震えていた。
「汝は、他の者には殺めさせない。例え契約が枷となったとしても、汝を死後奪うのは私の役目だ」
「言わなくても分かってる。貴方が欲しいのは私の命、魂、目、腕、脚……それら全てだもの。取られる前に自分で奪う」
『あぁ、勿論だとも』。聞こえぬ声と共に瞼が閉ざされる。辺りの闇が消えゆき、元あった古臭い事務所に変わる。
「硝吸鎌と話せた?」
「はい。何時ものように私の生に執着してましたよ」
『硝吸鎌ってヤンデレっぽいとこあるよね』と誰かが言っていた。何の略語かと尋ねたときは確か……『精神的に病みながらも愛する』と返された気がした。でも硝吸鎌は私を愛してはいないため、これには当てはまらない。
所長は掌の上に分厚い書物を乗せていた。革張りの表紙に金で十字が施されている。聖書のようにも見える。
「『滅籍』も最近私にツッコミを飛ばすようになってしまって……本当に嘆かわしい……」
「シスターにツッコミを飛ばさせている所長が悪いと思います」
黙って書物を受け取り、そっと表紙を払う。硝吸鎌と出会う予兆のような雰囲気が漂ってきた。
「おはようございます。紅葉さん」
「おはよう、シスター」
金髪の緩やかにうねった髪の美人が優雅に微笑む。漆黒の修道服を身にまとい、肩に掛かる髪を払いのける。
「…………」
やっと紅葉と同じくらい大切なキーキャラ、『硝吸鎌』が登場しました。
実は結構気に入ってます。