1 秘密主義
「よっ、大丈夫か? 空蝉になってんぞ」
赤煉瓦が連なる異国の路地裏。この光景も随分と久し振りな気がする。最近は禄な夢見ていなかった事もあって、彼の存在が遠い昔の事のように思えてくる。
私は彼の呼び掛けに応えるように口を動かした。
「はい……平気です。ちょっと喧嘩して仕舞いまして」
喧嘩じゃない。私が一方的にふっかけて、相手を困らせて、勝手に落ち込んでいるだけだ。本当、馬鹿みたい。
瞼を伏せると頭上に何かが当たる感触がした。顔を上げると要智さんが頭を軽く叩いている。慰めて……くれているのだろうか……?
「そっかそっか。仲の良い証拠じゃないか。俺も鳥兜とはしょっちゅう喧嘩してたぞ? いや、あれは殺しか……」
最初は輝くばかりの笑顔であったが、徐々に怪訝なものへと変化していく。顎に手を当てて思案し、過去を振り返っているようだ。
いや……“殺し”って……。あの硝級鎌が……? 常日頃、べたべたと私に絡み、キスを強請り、セクハラ紛いの行動に出ている彼奴が? 要智さんは男だからそう言った事は無いといえど、茶や菓子を出す事はあってもおかしく無いのではないか?
相当私は歪な表情をしていたのだろう。要智さんは右手をひらり、ひらりと振りながら説明してくれる。
「そうだなぁ……挨拶代わりに嫌みを言い合い、鎌で首を掻切られかけ、挙げ句魂を抜かれそうになったこともあったな!! 今では笑い話だが……」
嫌に明るい口調で解説してくれているが、全然穏やかじゃない。其れに比例してか、目が笑っていない上に、こめかみに血管が浮いている。 挨拶代わりの嫌味の言い合いならば罅荊とよくやるが、流石に殺され掛けた事はない。と言うかあんたら本当に相棒だったのか!?
思わず目を見張ると、微かに笑いながら息を吐き出した。困った問題児を見る担任の目をしている。
「彼奴……多くは言いたがらないけど、結構過酷な道を歩んで来たんだと思うよ。俺と出会った時も空気が凄かった。剥き出しの良く切れるナイフみたいな……」
「………」
硝級鎌は確かに秘密主義者だ。其れを格好良いと思っているのかは分からないけれど、自分に関する事は話したがらない。特に自らの過去の事……。
いや……一つだけ言い聞かせた事があった。でも……泣く私に向かって言い聞かせたのは“御伽噺”の一言だった。きっと気が向いたから聞かせただけだろう。
私は溜め息をついて少しだけ瞼を伏せた。もっと知りたいと思う反面、必要以上に踏み込むと人間関係は悪化する。今は……待とう。
「確かに凶悪かつ凶暴だけど、忠誠心はある奴だよ。だから“鳥兜”ってなっ」
要智さんは悪戯っ子のように笑った。とても硝級鎌に“鳥兜”と名付けたようには思えない、邪気の亡い笑顔だった。
「おっと、そろそろお目覚めの時刻だ」
そう促され、私は要智さんと別れる事となった。