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彼は怒りを抑えるように、押し殺した声で慎重に言葉を繋げた。まるで綱渡りだ。
「貴様に……言われなくとも……私自身が一番見損なっているさ!! 今すぐに唐紅との契約を破棄し、身の安全を保証出来る奴と契約を結び直させる程になぁ!!」
言い終わった途端に窓硝子が粉砕された。木端微塵、そんな言葉では到底表せない。それ程までに細かく砕かれ、砂となって大地へと降り注いだ。しかしまだ怒りが収まらないのか、質の良い黒髪を逆立てながら、後ろに並んだロッカーに圧を加える。爆音と共に巨大なへこみが出来ていた。
初めて見たかもしれない、硝吸鎌の逆鱗。彼は誰よりも自身を許しては居なかったのだ。その心に気付かず、悪い事をした。
「悪かった。硝吸鎌、頼むから少し落ち着いてくれ」
そう言いながら黙って携帯を取り出し、電話を掛ける。怒らせた原因は私にあるとはいえ、今の此奴を止められる奴なんてこの世に一人しか居ない。
このままでは事務所が塵と化す。別に構わないが、建て直す期間を考えると少々厄介だ。
──はい。
「さっき振りだね」
──紅葉──
その言葉を聞いた途端、塵に成り掛けていた机や椅子、その他諸々の動きがぴたりと停止した。まるで時でも止まったように。彼を一瞥すると、舞い上がっていた長髪は成りを潜め、窓から入ってきた微風にふわふわと揺れていた。
「君は………硝吸鎌との契約を破棄したいと思うかい?」
途端に時が動き始める。支えをしていたテーブルや椅子の脚が薬品でも掛けたかのように、ドロドロに溶けていく。“溶ける”という形容が最も適した表現であると思わせる程、外壁から徐々に砂へと変化していく。そして硝吸鎌の長髪も威嚇をする猫のように逆立っている。
しかし次の言葉でまた時が止まる。
──馬鹿言わないで下さい。硝吸鎌に頼み込まれたら理由次第で考えますけど、所長が勝手に破棄するなら怒ります。
その返答に思わず吹き出しそうになった。全く、良いバカップルじゃないか。
硝吸の髪もさっきとは違った意味でふわふわと舞い上がっている。雰囲気が鮮血からパステル調へと変化していた。
「今ね、私のせいで硝吸鎌がお怒りなんだ。だが私がいなしたところで間違い無く火に油を注ぐ」
──……まぁそうですね……。ていうか今の発言が正にそれなんじゃ……。