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『此処まで戦わされて、労いの言葉一つも無いのか』と若干の苛立ちを覚える。しかし当の閏日さんは恍惚とした顔で、喜んでいる為、心配するのがアホらしくなってきた。
「で、回復ですか? 貴方は犬にでも踏まれて、惨めな姿を晒している方が、よっぽどお似合いなんですけどねぇ」
「きゃんっ。いけずー」
そう言いながら、今度は足の甲全体を使って、閏日さんの体を蹴飛ばした。ころころと床を回転し、悶えるように体を動かす。
あぁ本当に気持ち悪い。いっそ死ねばいいのに。……まずい、日に日に私の性格が罅荊に近付いて行く……。
そんな悩みを知ってか知らずか、罅荊は私の元に歩み寄ってきた。
「はぁ……またですか……」
「そんなに目障りなら放っておいて」
前髪を掻き上げて無機質な目で見下してくる。陶器に変化した、傷口に突き刺さる視線が痛い。私はその視線から目を逸らしたくて、そっぽを向いた。
罅荊は呆れたとでも言うように、私から遠ざかって行く。タイルと靴底が擦れ合って、固い音を立てる。
怪我をすると罅荊の世話になる事くらい、私だって分かっている。でも言い訳したい。あれだけの数を相手にして、無傷で済ませという方が無茶な話しではないか?
「何時までぶすくれた顔をしているおつもりですか? 怪我しているのは貴方だけではありませんし、落ち込むくらいなら相手の攻撃を回避する方法でも考えて下さい」
「手当てしてくれるんだ」
「見たところ、受け身のとれていない貴方が一番の重傷のようですしね。お二人は殆ど掠り傷程度です」
罅荊が自身の聖遺物を持って、しゃがみこんでいる。見下すような視線は変わらないが、膝の上に肘を立てて、視線だけでも合わせようとしているのは分かる。
罅荊は屍荊鞭を体に巻き付けると次々と回復させていく。数分かけて全てを治すと、私の元を去って行った。
「全く、掠り傷程度で呼ばないで下さい。どうせ貴方のことだから踏まれたくて呼んだのでしょう?」
今度は所長に屍荊鞭を巻き付けながら、閏日さんと会話する。閏日さんは突っ伏したまま、親指を立てた腕を大きく掲げた。罅荊の忌々しいく、不愉快な舌打ちが辺りに響き渡った。
その様を見て、所長が軽快な笑いを堪えて顔を隠す。
罅荊が『動かないで下さい』と言った。その後も何かを小声で話しているようで、手当てが終わるまで、所長と罅荊の口が閉ざされる事はなかった。
「で、貴方はピンポイントで手当てして欲しいのですよね。何処ですか? さっさと言って下さい」
「腕痛ぁ……」
自らの問いに応えず、踏まれる事を甘受していた閏日さんに苛立ったのか、罅荊の束ねられた髪がふわっと膨張した。ドライアイスのような冷気が此方にまで伝わってくる。
……閏日さんって本当にマゾなんだな……。
「言わないと帰りますよ。醜い雌」
「えー……。あと小一時間程踏みつけてよー」
「あんまり五月蠅いと、血で汚れた靴を貴方の口にねじ込みますよ?」
「いい靴ね~」
どうしよう、次元が違う。まぁ、今更なのだがこの二人には付いて行けない。
罅荊は未だ無表情に閏日さんの腹を、腕を、顔を踏みつけている。そんな体制なのに、未だ恍惚とした表情で、罅荊の行為を受け入れている。此処までくるともういっそう清々しい。
彼は屍荊鞭を地面に叩き着け、起き上がるろうとした閏日さんの体に巻き付ける。胴に巻き付いたそれは、閏日さんの上半身だけを回復させた。
「もう付き合いきれません」
業務を終えた罅荊は、一瞬にして体を空気に溶け込ませた。
「本当にもう、罅荊は素直じゃないんだから」
傷を回復させた私達は立ち上がり、互いに集まった。所長の呆れめいた小言は聞き流しておきたい。閏日さんは未だ恍惚とした表情のまま、余韻に浸っているようだった。
私は気が抜けたせいで、欠伸が漏れる。疲れた。難戦だった。そんな中でも所長は真っ直ぐな顔をして、狩場の空間を閉ざしてくれた。
崩壊する教会。全てが瓦礫に還るとき、元の場所へと戻されていた。
暗い路地裏で三人、若干の疲れを感じつつも事務所へと向かう。
突然ですが、罅荊ちゃんの短編を書かせて頂きました(*´∀`)
相変わらずです、罅荊ちゃん(´ー`)