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貴族と王族

ローデリック公爵令息の引きこもり姫君

作者: 喜多結弦

 頭のいい父が何故彼女を僕にあてがったのか。頑固な母が何故それを嬉々として賛成したのか。僕は知っているけれど、それを彼女に教えてやるほど優しい人間じゃあない。

 父も、母も、人や物事に執着心の強い人で、五つ上の姉も同じだ。だから僕のこの性分も、遺伝によるものなのではないかと思う。

 僕は彼女に、ひどく執着している。




***




 貴女は一体、誰の子供なの?


 お姉さまがたはよくおっしゃる。


 気味の悪い娘だ。


 お兄様はよくおっしゃる。


 お父様は、私が本当の娘かわかりかねているそうで、極力接触しないようにされている。お母様は、私のせいでお父様とぎくしゃくしていることが納得できなくて、私のことを忘れようとしている。

 私は両親ともに、お兄様と、二人のお姉さまと同じ人だ。同じ二人から生まれた、はず。だけど凛々しく美しいお父様にも、いつまでも愛らしいお母様にも似ていない。家族の皆、髪が金色なのに対し、私の髪は赤毛。高貴とは言い難い。国民も、私は国王の娘ではないのではないかと噂されている。


 情けないことに、私はいつからか外へ出ることを拒否するようになった。加えて、王太子であるお兄様が私の行動していい範囲を制限するようになったので、すっかり引きこもってしまった。

 自分の将来はどうなるのだろう。いつまでもこのままでいていいはずがない。何度か外に出ようと試みたものの、未だうまくいかない。


 将来への不安が消えないある日、お父様に呼び出され謁見の間へ行くと、お父様の前に膝をついてかしこまる男性がいた。後姿から見て、見覚えがない。お父様に入るよう言われ、男性の隣まで行く。男性はお父様に許可され、ゆっくりと立ちあがった。それから私に向き直って、浅い礼をする。


「フィリップ・ローデリックと申します」


 彼が発したのはたった一言。綺麗な声をしていた。

 声だけではなくて、顔立ちも整っていて。涼しげな目元と、瞳と同じ藍色の髪はサラサラと流れ、落ち着いた雰囲気は逞しさも感じさせた。背は、私より少し高いくらい。

 思わず見とれてしまった私は返事をするのが遅れてしまった。


「はじめまして、フィリップ様。エルヴィラと申します」


フィリップ様の眉が、ピクリと動いた気がした。

 ローデリックという家名は聞いたことがある。隣国で代々宰相職を担う公爵家だったはず。隣国は我が国よりはるかに力を持っているので、建前上の地位はお父様が上でも、フィリップ様に失礼があってはならないだろうということはわかった。

 けれど見たところ、歳は多分、私と同じくらい。現宰相様ではないだろう。


「ええ、はじめまして。どうぞ末永く、よろしくお願いします、姫」


フィリップ様はにこりともしなければ表情を動かすこと一切なく、不思議な物言いをする。末永く、とは?心の中で首を傾げる。


「しばらくは私がこちらへ通う形になりますが、姫にはいずれ我が国へ来ていただくことを考えています。姫にはご理解いただけているとうかがっていますが、間違いありませんか?」

「通う…?貴国へ…?あの、それはどういう…」


お父様がわざとらしい咳払いをする。

 フィリップ様は小さな溜息をついて、体をお父様へと向けた。


「どうやら、話の食い違いがあったようですね」


 お父様は口を閉じたまま、目をふせた。

 お父様に何かを訊くのを諦めたらしいフィリップ様は再度私を見て、やはり表情を一切変えず説明をしてくれる。


「貴女と私は婚約関係にあるのですよ、エルヴィラ姫。決まったのは、二年前になりますか。そのことも、ご存じありませんでしたか?」


婚約なんて聞いたこともない。

 だとすればこれは隣国との関係を強固にするための政略婚になるけれど、そんな重役を私が勤めていいものか。私は、お父様の子ではないかもしれないと疑われている身なのに。それならば、美しいお姉さまがたの方がよほど適役だ。


「はい……」

「そうですか。では急な話で驚かれたでしょうが、受け入れていただくしかありません。先程言った通り私が十八になるまではこちらへ通い、その後は貴女に我が国へ来ていただく。私の屋敷に住まうことになるので、今より幾分不自由な生活になってしまうかもしれませんがやはりそれも、受け入れていただくしかありません」


 隣国の規模や経済状況、力、全て我が国の倍以上ある。城から公爵家に移るとしても、隣国の宰相様のお屋敷となればむしろ今よりも恵まれた環境になるのではないかと思う。


「通う…とは…」

「無論、私と貴女の間に信頼関係を築くことが目的です。何も知らない相手と突然生活を共にするのでは、貴女も不安でしょう」


信頼関係を築くと言うわりに、フィリップ様は親しみを感じさせる笑顔など一切見せない。本当にその目的を果たす気があるのか疑わしいくらい。


「本日は顔合わせに来ただけですので、すぐに帰ります。本来ならば私の両親もこちらへおじゃまをするはずだったのですが、母が体調を崩し私一人になってしまいました。失礼をお詫びします。後日また参りますので、エルヴィラ姫にはそれまでに気持ちの整理をすませていただければと思います」


 フィリップ様はお父様に挨拶をすませ、私にも会釈をし、その日は帰って行った。私を呼び出したお父様からは何も説明をされず、フィリップ様が帰ると私にさっさと部屋へ戻るように命じた。


 あの方は、頬の筋肉が固まってしまっていたのかしら。

 フィリップ様の無表情はなかなか頭から離れなかった。




***




「お久しぶりです、姫」


三日後の昼、フィリップ様が部屋まで来た。

 聞き間違いでなければ彼は今、『お久しぶり』と言った。三日ぶりなのに。私の感覚で三日ぶりは久しぶりに入らない。


「中へ入れていただいても?」

「ええと……」


部屋へ男性を入れていいものか。

 私が悩んでいる理由を察したらしいフィリップ様は、やはり表情を動かさず正論を並べる。


「通常、女性が男を簡単に部屋へ入れること、更に二人きりになることは褒められた行為ではありませんが、我々の関係の上では別です。いずれ同じ家に住み、同じ部屋で眠ることになる。責任は取ります。もっともそれ以前に、婚前貴女に手を出す気はありません」


 私に何かを言う隙も与えてくれない。何より、無表情の彼は冷たいオーラを持っていて怖い。どうぞと言うと、彼は一度頷いて躊躇なく入ってくる。


「何もない部屋ですが……」


椅子を示すと、フィリップ様はまた頷いて座る。私も向かい合うように座る。


「あ、今お茶を」

「いえ、大丈夫です。先程すれ違ったこちらの侍女が後で持ってくると言っていたので」

「そうですか……」


気まずい沈黙が流れる。フィリップ様は顔に出ないので、気まずいと思っているかもわからないけれど。


「その…本当に何もない部屋で…」


退屈ですよね、ごめんなさい。


「そうですね、よく整頓されていますし、清潔です」

「え、あ、そうですか…?」

「はい。姫のきちんとした性格表れているのでしょうね。私の姉などは片付けのできない人ですから、あれにはうんざりしています」

「お姉さまがいらっしゃるのですか?」

「ええ。五つ上の。先日ようやく、父に恋人との婚約を認めさせたのですが、まったく義兄になる人はあれのどこがよかったのか見当もつきません」


そこで、初めてフィリップ様の表情が少し崩れた。眉間に皺を寄せて、渋い顔をする。それもほんの一瞬だったけれど。


「ガサツでやかましい姉です。私を見下す割にはすぐに泣きついて来て、基本的に考え方全てが甘い。公爵家の人間として自覚が足りない。ぼーっとしているんですよ」

「仲がよろしいのですね」


急に饒舌になったフィリップ様に言うと、フィリップ様は口を閉じて考え込んだ後、それまで散々に言っていたお姉様のことを考えたのか上を向いて、


「悪くはないですね」

「ふふ……」


 意外と素直なことがおかしくて笑うと、フィリップ様は目を見開いてこちらを凝視する。だんだんと無表情以外の表情が見えてくる。


「笑えるのですね」

「え?」

「今に至るまで、姫はずっと無表情でしたから」

「え!それはフィリップ様の方で……」

「僕の方?」

「僕?」

「あ」


 フィリップ様は手で口元を覆って目を逸らす。おそらく普段は『僕』なのだろう。

 咳払いをしたフィリップ様は何事もなかったかのように無表情を作って首を横にふった。


「私が無表情だったのなら、それはたんに緊張していただけです。私は貴女に気に入ってもらわなくてはなりませんから」

「僕、でも、いいですよ?」

「私は、無表情になっていた自覚はありません」


“私”という声が強かった。彼がそうしたいならそれでもいい。


「そうでしたか。あの、私も、自分が無表情になっていたことには気づいていなかったので、少し驚いてしまいました…」

「そうでしたか」


私の表情が固まっていたのだとしたら、それも緊張のせいだ。こんなに綺麗な顔の人と話していたら誰でも緊張してしまうし、フィリップ様は表情がない分わかりにくい。


「……姫は何か、訊きたいことは?」

「訊きたいこと…ですか?」

「ええ。三日前に婚約を知らされたにしては、落ち着いていらっしゃる」

「それは…、父の決定は私が覆せるものではありませんので、慌ててどうなることもありません。受け入れるだけです」

「私がどんな人間かもわからないのにですか?結婚してすぐ暴力をふるう男かもしれません。貴女を蔑ろにして他の女性にうつつをぬかす男かもしれません。性癖に異常のある男かもしれません」

「そういう方なのですか?」

「そうではありませんが」


フィリップ様は一度口を閉じて考えるように視線を彷徨わせてから、再び口を開いて続けた。


「貴女に好きになってもらえるか、貴女に望んでもらえるか、自信は、ありません」


 少し、眉毛の角度が低くなった。

 正直に言うと、お父様が私の夫となる人を決めるのだろうとは予想していた。けれど、たとえば過去に何人も妻を亡くした怪しい噂のある方や、父よりずっと年上の方、既に何人もの女性を囲っている方との政略結婚を予想していた。

 それが、政略結婚は政略結婚でも、歳も近く、見目も麗しいフィリップ様が相手なことに戸惑ってしまう。


「そんな…こんな私がフィリップ様のような方に婚約していただくだけでも恐れ多いのに…。私こそ、貴方に不快な思いをさせてしまわないか、自信がありません」

「私のような、とは?」


 フィリップ様は顔をずいと出して私に訊ねてくる。


「姫は私について何を知っているのですか?それなのに、私のような、とは?」


いけない。さっそく不快な思いをさせてしまったらしい。容姿です、なんて正直に言うわけにもいかず黙ってしまう。


「姫が私について知っているのはせいぜいどんな顔でどんな声かです。だから」


私の髪に触れたフィリップ様はそれを耳にかけてくれて、かと思えば出された私の耳に、フィリップ様は口元を近づける。


「これからお互いを知っていきましょう。愛は、育むものですから」


 私から離れたフィリップ様は、悪戯が成功した子供のように愛らしい顔で笑った。


「とはいえ顔を気に入っていただけたのなら、大分私に有利ですね。この顔に生んでくれた両親には感謝をしなくては」

「笑っ……」

「は…私も笑いますよ、人間ですから」

「そうですね…」


フィリップ様は、何かに気づいたように、ああ、と呟く。


「笑っていた方がいいとおっしゃるなら、極力笑みをはりつけるようにします」

「え…いえ…別に、そんなことは」


作り笑顔の宣言をされてもどうすればいいかわからない。


「そうですか、よかった。面白くもないのに笑うのは苦手なんです」

「それじゃあどうしてそんな提案をなさったのですか…?」

「貴女に、より気に入っていただくためですが」


不思議そうに首を傾げたフィリップ様は、少々天然の気があるかもしれない。笑みを貼りつけます、なんて言われた後で笑われても好印象は得られないと思うのだが。


「それは本心ですか…?」


気に入ってもらわなくてもいいと思ってあえてそんな言い方をしたとか?

 フィリップ様は、「え?」と不思議そうにする。


「今、嘘をついて私にどんな得が?」

「いえ…、いえ、それならそれでいいのですが…」


やっぱりただの天然…?


「どんなに長くかかっても三年で貴女に好意を寄せてもらわなくてはいけませんから、できることはなんでもするつもりです」

「三年……?それはなんの時間でしょうか」

「私と貴女が夫婦になるまでの時間ですよ」


たしか先日、フィリップ様は、フィリップ様が十八になったら私を国に連れていくとかなんとか……。

 なら、十八まであと三年ということか。つまり、今は十五で……。


「年下…?二つも…?」

「ええ、姫より()()()二つだけ年下です」


あんまりしっかりしているから、同い年か、せいぜいひとつ違いだと思っていたのに。二つも離れているとは思わなかった。


「道理で、身長差があまりないわけですね」

「まあ僕はまだ成長期まっただ中ですから」


僕に戻った。


「あ、でも成長期って、そろそろ終わる頃じゃ…」

「男女の成長期は時期が異なりますから。まだこれからです」

「そうなのですね」

「そうです。……この話はやめましょう。悪気がない分なおタチが悪い。貴女のことを聞かせてください、エルヴィラ姫」

「私のことですか…?」


もう長く引きこもりです。かろうじて勉強はしていますが、学力、常識、礼儀作法、どれも平均的という自己評価。筋力は衰えています。卑屈です。王の本当の娘ではない説が出ています。

 どれもプラスになることがない。

 後ろめたいことを隠すのはよくないけれど、第一印象が大切だと言う。最初に言うのは好印象のものがいい。

 なんてこと。好印象を持ってもらえるようなエピソードが何一つない。


「そう難しく考えなくてもいいですよ。姫の趣味や好きなものを教えてくだされば。自分を客観視するのはすぐにできることではありません」

「趣味…。趣味ですか…?趣味すら特には…ああ、本は好きです。それと、ええと、最近は薬草学にも興味があります。お部屋でお手軽に育てられるものもあると聞いたので、どうしようか迷っていたり」


 フィリップ様は真剣な顔で私のどうでもいい話を聞いてくれている。


「薬草学ですか。私の姉の婚約者は薬剤師をしているんですよ。ユリウス・アルウィックというのですが……ご存じですか?」

「まあ!イアン・アルウィック様のご子息のお名前ではないですか!よく存じています。イアン様の著書は全て読みましたし、ご子息も優秀な方とうかがっています」

「はあ…そうですか…。イアン殿はこちらの国まで名をとどろかせていると……。まったくいくつになっても……」


何故かうんざりとした顔になったフィリップ様は頭を抱えて小さく唸った。


「それでは、フィリップ様はイアン様のご親戚になられるのですね」

「なると言うか…、イアン殿と私の母は従兄妹になるので、生まれた時から親戚ですね。彼とこれから親戚になるのはむしろエルヴィラ姫ですよ」

「私?何故?」

「貴女は私の、妻になるのですから」


そうだった。

 フィリップ様はクスクスと笑う。


「忘れていたのですか?妬けてしまいますね、私よりもイアン殿に夢中だ」

「そんなことは……。イアン様はあくまで憧れと言うか……、あの、妬くって、フィリップ様こそ、まだそこまで私のことを知らないのでは…?」

「自分がそうだからといって、相手が同じとは限らないのですよ、純粋な姫君」


 フィリップ様の手が、私の頬を辿った。その仕草が、表情が、やけに色っぽくてゾクリとした。




***




 フィリップ様は、基本的に三日に一度やってきて、しばらく来られない時は手紙をくださる。やっぱり表情が変わることは少ないけれど、常に無表情というわけでもなくて、ふとした瞬間見せる穏やかな笑みが私は特に好きになった。

 話していてもフィリップ様が優秀なことはわかる。だけど初めに感じたものは正しかったようで、やや天然なところもある。

 嘘が苦手で、嘘をつくときには無表情が崩れる。

 私に気を使って持ってきてくれたプレゼントは、私が育ててみたいと言った薬草の苗や読みたいと言っていた本。私の話をきちんと聞いてくれているのだと思うと嬉しかった。


 今日も、部屋の扉が叩かれる。


 だけどおかしい。このリズムは、この乱暴さは、フィリップ様のものではない。


 私が返事をする前に開いた扉。入って来たのはお兄様。

 お兄様は不機嫌そうに顔を歪め、舌打ちをした。


「なぜお前があの男の婚約者に選ばれたかわかるか」


前置きもなく、そんな質問を向けられる。お兄様と目が合うと、癖で俯いてしまう。


「いいえ…」

「だろうな。俺も、陛下ですらわからない。ローデリック公自らがお前を息子の妻にと言いだしたそうだ。他の姫でもなく、誰の子かもしれないお前のような不肖の娘を」


だが。

 呟いて、お兄様は嘲笑を浮かべる。


「少し考えればわかった。お前はいわば人質だ。我が国が脅威にならぬよう、隣国は今のうちから手をうとうという魂胆なのだろう。せいぜい今を楽しめ。夫婦になった途端、お前は見向きもされなくなる」

「……」


それを言いにわざわざここまで来たのだろうか。私が楽しそうにしているのを、お兄様は気に入らなかったのかもしれない。


「そうとなれば、隣国は一つ失敗をした。三人目だから手頃だとでも思ったのか。他の姫だったならばともかく、お前など人質にもならない。いつ死んでも惜しくない不肖の娘」


 肩に置かれた手が、ギリギリと力を増して掴むようにしてくる。痛みに歪んだ顔を隠すために、もっと顔を伏せる。

 扉の方で、咳ばらいが聞こえた。

 お兄様の手は離れ、私もお兄様もそちらを見ると、無表情で腕を組むフィリップ様が立っていた。


「初めてお目にかかりますね、王太子殿下。本日はエルヴィラ王女殿下の元へ来ることを事前にお知らせしてあったはずですが、伝わっていなかったのでしょうか」


 お兄様はフィリップ様を前にしても不機嫌さを隠さない。


「いいや、聞いていないな…。先約があったとは知らず申し訳ない。私は失礼する」


 お兄様が出ていくために一度よけたフィリップ様はすぐに部屋に入ってきて私の腕を引っ張った。


「痛みますか?」


フィリップ様の手が、お兄様に掴まれていた肩に触れる。優しい手つきで撫でられて、心配してくださっているのがわかった。


「いえ…、大丈夫です」

「姫…何があったのですか?何をされたのです?」


フィリップ様は、私とお兄様の会話をしている最中にはまだ着いていなかったらしい。


「何でもありません。少しお話をしていただけですよ」

「姫。私たちは夫婦になるのですよ。隠し事はやめてください」

「本当に……」

「ご兄弟の不仲は陛下からうかがっています。それでも嘘をつきますか?」


フィリップ様は知っていらっしゃる。私が兄弟と、家族とうまくいっていないこと。お父様とお母様の本当の子供でないかもしれないことも、もしかしたら。

 お兄様の言っていたことが思い出される。

 国王夫妻の本当の子供でないなら、私は人質にはならない。


「わた…し…は……」


後ろに一歩下がると、足に何かが落ちて来た。床にぶつかり、キン、と音が鳴る。二人で、床を見る。

 ガラス玉のついたシンプルなデザインの首飾りが落ちた音だった。

 私が首に着けていたものが切れて落ちた。

 慌てて拾って割れていないか確かめる。


「よかった…」


幸い、欠けてもいない。


「それは……?」

「え?ええと、いただきものです」

「誰から?」

「子供の頃、我が国の宰相の、お嬢さんにです」


ゴンッ。


「ええ!?」


 フィリップ様が壁に頭を打ち付けた。


「ど、どうしたんです!?」

「……別に…なんでも…」


絶対に痛いはずなのに、フィリップ様は顔色を変えない。


「大切にしているようですね。状態がいい」

「はい……。初めてできたお友達でしたから」


 一度遊んだきりだったけれど。その日は一日中遊んだ。帰る前、彼女は青いガラス玉の首飾りを渡してくれた。これは自分の宝物だから、貴女に持っていてほしい。次にまた会う時に返してくれ。これは、もう一度貴女に会うための約束だと、そう言って。


「だけどそれきり会えていません。私は、どうも、その、とろくて。宰相も私を避けているものですから、お嬢さんに会うことなんてとてもできなくて……」


 あの子も私の噂を聞いてしまっただろうか。嫌われてしまっただろうか。きっとそうに違いない。だけど、この首飾りを返すまで希望を捨てたくもない。

 ちらりと盗み見ると、フィリップ様が額に手を当てていた。


「ものすごく…もどかしい」

「え?なんて?」

「姫、私は、ローデリック公爵の長男です」

「え?ええ、わかっていますけれど…、何故改めて言うのですか?」

「確認です」




***




 私の部屋は二階にあって、窓を開ければ庭での話し声も聞こえてくる。


「私ではいけませんか?」


一つ上のお姉さまの声がした。続いて、知っている人の声。


「なんのお話でしょうか」


フィリップ様は動じた様子もない落ち着いた声で答えている。手紙を書く手を止めて、耳をすませる。盗み聞きはいけないことだけれど、姿の見えないところに座っていればバレないし。それに、これは偶然聞こえてしまっているだけで盗み聞きなんかじゃないんだから。


「あの子……、エルヴィラは…、私が言うことではないけれど、気の利かない子でしょう?引きこもってビクビクしてばかりで。臆病なのです。他国になんてとても行けませんわ。私ならば、貴方にどこまでもついていくことができますわ。貴方がここに通う姿を見ていて、私は一途な貴方に心を打たれたのです」

「そういえば、エルヴィラ姫はあまり部屋から出ていないそうですね。何か理由があるのでしょうか?」


声だけ聞いても、きっと今のフィリップ様は無表情なのだろうなと思う。お姉さまの声が、動じないフィリップ様に苛立っているもの。


「言いにくいのですけれど……あの子の出生は明らかではなくて…。父にはお会いになりまして?エルヴィラと父は似ていないでしょう?兄弟の誰とも、母とも。もしかしたら、王家の血を引かない子かもしれないのです」

「根拠は?」

「え?」

「似ていないという以外の根拠は?」


 お姉さまの言葉がつまる。


 フィリップ様の声は最初から最後まで抑揚が乏しく、感情が読み取れなかった。

 ああ、だけど、知られてしまった。私は人質にする価値もない娘かもしれないこと。もう半年ほど続けた恋人の同士の真似事が終わってしまう。

 心に、ぽっかりと穴が開いたようだった。




***




「お久しぶりです、姫」

「三日前もお会いしましたよ」


いつも通り無表情のまま部屋に入って来たフィリップ様は、いつも座る席に座ってから首を傾げた。


「元気がありませんね」

「そうですか?」

「姉君に嫉妬ですか?」


 座りかけて、動きを止めた。不格好なポーズで固まってしまう。


「気づいていらっしゃったのですか?私が、聞いていたこと…」

「ああ、やはり先ほど聞いていましたか。いえ、気付いていませんでしたよ。かまをかけただけです」


 全身の力が抜けて、結局椅子に崩れるようにしながら座った。


「私…、私は、自分が両親の子供でないとは思いません。私の両親はあの二人だけです。だけど他の方がどう思うかはわかりません。私は、人質にする価値もないかもしれません。黙っていて、ごめんなさい」

「貴女がそう思うのなら、それが真実でいいのではありませんか?貴女のご両親は貴女の思う二人だけだ」

「フィリップ様は、お優しいですね」


 恋人同士の真似事のようだった。けれど、彼との時間は楽しかった。

 私はもうすっかり、彼に心を奪われてしまった。


「私よりも、お姉さまの方が、貴方に利益を運びます」


 だけど今更、好きです、なんて言えない。


「それが姫の答えですか?」


フィリップ様は微笑む。苦しそうに。


「私は姫の心に、少しも触れられなかったのでしょうか」

「そんなこと……」

「貴女は私に、貴女の姉君を選べと言うのでしょう?」


立ち上がった彼は、帰りますと言って立ち上がり、扉に手をかける。それから、出ていく前、思い出したように振り返って、悲しそうに笑って、


「君じゃない女性なんて、僕はいらない」




***




 書きかけの手紙を出しっぱなしにしていたことに気づいたのは、彼が部屋を出て行ってすぐだった。

 一枚と少し書き終えた手紙。

 他愛ない内容の後に、私は続けて、なんて書こうとしたのだったか。


『貴方の好きなものを教えてください』


たしか、そう書こうとしていた。

 曖昧な質問。好きな人なのか、学問なのか、食べ物なのか、本なのか、季節なのか、花なのか。もっと具体的に訊けばいいのに。これではフィリップ様を困らせてしまう。

 どうしてこんなことを訊こうとしたのだろう。

 彼は私にたくさんの質問をしたけれど、私は彼のことを少ししか知らないと気づいたからだ。だから、彼のことが知りたくなって。

 ならどうして私は彼のことを知りたくなったのだろうか。気づいたら彼のことばかりを考えるようになっていたからだ。彼に惹かれていたから。

 それならどうして私は彼に惹かれるようになったのだろう。彼が優しかったから。時々可愛いところも見せてくれたから。一言一言、きちんと考えて話してくれたから。上辺だけでなく、きちんと私と向き合ってくれたから。私を知りたいと言ってくれたから。


 フィリップ様にもらった手紙を取り出して読み返す。




『貴女はどうすれば喜んでくれるのでしょうか』


『貴女はどうすれば笑ってくれるでしょうか』


『貴女はどうすれば私を見てくれるのでしょうか』


『貴女のことが知りたい』




 三日に一度は来るくせに、たまに来れないと交換していた手紙。手紙で書いた内容は、次私のところへ来るとまた直接聞いてくる。


 貴女のことが知りたいと、彼は言ってくれた。

 私自身のことを。

 彼は初めから、私の置かれた立場や能力のことなんて訊かなかった。趣味は?好きなものは?そうして、私自身のことを知ろうとしてくれた。


 それなのに私は、彼になんて言ったのだろう。


 お姉さまの方が利益をくれる。


 そんなことを言ってはまるで、彼がこれまで私に優しくしてくれたことも全て打算だったのだろうとつきつけているようなものだ。

 私は彼の優しさまで否定した。


「謝らないと……」


今ならまだ間に合う?

 もう彼は帰ってしまった?

 この扉の向こうには、私を嫌う世界がある。

 それでも、帰ってしまっているかもわからない彼を追うためにこの部屋を出る?


『君じゃない女性なんて、僕はいらない』


それが、彼の本心だったなら、私はまだ受け入れてもらえるだろうか。貴方が好きですと言っても、彼は嫌な顔をしないでくれるだろうか。


そんな風に、私に悩んでいる時間はあるの?


悩んで、どんな意味があるの?


 悩む時間があるのなら、早く、彼に追いつくべきだ。



部屋を飛び出て、階段の方までたどり着く。

 階段を駆け下りると、人にぶつかった。

 私は跳ね返されて、ぶつかったお兄様の方は驚いた顔をしながらもよろけることなく立っている。


「どこへ行く気だ?」


立ち上がると、肩を押されまたしりもちをついた。


「お前が行動していい範囲はとうに超えているぞ」

「急いでいますので」

「質問の答えになっていない」


 こんなところで足止めされるわけにはいかないのに。


「部屋へ戻れ、エルヴィラ。王家の恥め」

「私の、婚約者の元へ行くのです。許可を取る必要はないはずです」

「部屋へ戻れと言っているだろう!!」

「…っ、うるさい!!」


こんなところで止まっている暇はない。


「私がお父様の子でないとお疑いになると言うならお好きになさってください!!けれど私が次期ローデリック公爵の妻になることを、お忘れにもならないで!私にこの国を恨ませることが得策でないこともわからないのですか!」


お兄様は、顔を真っ赤にして怒っている。今の自分が冷静でないことはわかっているけれど、焦りもあって勢いが止まらない。


「私は、フィリップ・ローデリックの妻です!!国のためを思うのなら、私の邪魔をしないで!!」

「嫁ぎに来る決心がついたのですか、姫」


は?


「は?」


お兄様も、間抜けに声をあげる。

 お兄様の後ろに立っていたフィリップ様は、目を大きく開いて、でもどこか嬉しそうに、口元を手で覆っていた。


「フィリップ様……?」

「今聞き間違いでなければ、私はフィリップ・ローデリックの妻ですと貴女は言いましたね」


違う。違う。


「ちが、ちが…っ!勢いで…!間違えて…!まだです!まだ妻ではありませんでした!ごめんなさい!間違えました!」

「いいのですよ姫。我が国では十五から成人扱いですから、姫さえよければ今すぐ嫁いで来られても問題ありません。ただ私は学生ですから、しばらく頼りないかもしれませんが」


学生なのに三日に一度も来てくれていたのですかという質問はこの際置いておく。


「い、い、いつから訊いていらっしゃったのですか?」

「姫が、王太子殿下に押されて後ろに倒れたところでしょうか。声が聞こえて戻ったのですよ。ああ、そうだ、忘れていました。王太子殿下、失礼します」


何が、とお兄様が問う前に。

 フィリップ様がお兄様のことを蹴り飛ばした。二、三メートルお兄様が飛ばされる。この華奢な身体のどこにそんなパワーが。


「お父上がお呼びですよ。姫の行動範囲を勝手に制限なさったこと、お父上は大層お怒りです。それと、私はエルヴィラ姫の味方です。今の暴力に対する謝罪はする気はありませんので悪しからず」


 フィリップ様が、にっこりと笑んでお兄様に言う。本物を何度も見て来たからわかる、この笑顔は完全に作り物。


「それとエルヴィラ姫。姫とは話さなければならないことが多そうだ。外まで送ってくださいませんか?歩きながら、話しましょう」


 外まで送ってもらうのは初めてですね。言いながら、フィリップ様は今度こそ本物の笑みを浮かべた。




***




 フィリップ様が言うには、お父様はたしかに私を愛しているということ。お父様はフィリップ様に話してくれたらしい。

 幼い頃こそ、疑ったものの、私の癖や好みはお父様やお母様と同じで。成長するにつれ、お父様のお母様…つまり私のおばあ様の若い頃にそっくりになった私に、自分の子でないかもしれないなど思いもしなくなったと言う。けれど今更私にどう接すればいいかわからず、もどかしい思いをしていたと。

 私に婚約の話をしてくれなかったのは、なんとかして破談にしたかったかららしい。


「まったく男親というのはどこの人も……」


フィリップ様は頭を抱える。


「貴女は愛されています。貴女のお父上は、貴女がいかに素晴らしい女性か、いつも私に話してくださいましたから。貴女は正真正銘、この国の王女ですよ」

「で、でも、私は、人質なのでは……」

「人質…。さっきもそんなことを言っていましたね。どういうことですか?」


お兄様が言っていたことをそのまま話すと、フィリップ様はわかりやすく不機嫌になった。


「我が国が人質をとってもなんの意味もありませんよ。こう言っては失礼ですが力の差は歴然です。逆ならまだしも、この国が我々の脅威になることはない」

「では、なぜ私だったのですか?」

「……父が、気を利かせてくれたのです。私がずっと貴女を想っていたことを知って」

「え?ええと…」


 ずっとって。


「半年前が、初対面でしたよ…ね…?」


フィリップ様の頬がひくりと動く。


「貴女が気づくまで黙っていようと思っていたんですよ。まあ、もう諦めました。少しだけ種明かしをしましょう」


 フィリップ様は指を一本ずつ立てていく。


「一つ、半年前がはじめましてではありません。二つ、貴女の国の宰相は独身です。三つ、子供の頃貴女と遊んだ子供は自分の親がどこの国の宰相とまでは言っていません。四つ、私の姉はこの国へ来たことがありません」


 五本目の指をたてなかったフィリップ様は、私の首元に手を持ってきた。そして、切れた部分をなおした首飾りをすっと持ち上げる。


「五つ、この宝石の中、よく見るとある家の家紋が小さく入っています」

「宝石?ガラス玉じゃ……」

「ガラス玉だったら、落したときに簡単にわれていますよ」


 馬車の前につくと、色々とわかった。それはもう、色々と。


「今日は帰りますが、またすぐに来ます。そうそう、まだきちんと言っていなかったのを先ほど思い出しました。私は貴女を愛しています。それは忘れないように」


 頬に、キスをされた。

 理解するのにそれなりの時間を必要とした。


「あ、あの…っ、私も…、好き、です」

「それならよかった。そのうち貴女からキスをもらえること、待っていますね」


フィリップ様を乗せ走り去る馬車には、首飾りにあった紋章と同じものが描かれていた。


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