息子のガーデニングはひどい
「父さん、父さん!」
日曜午後、自室でのんびりと雑誌を読んでいると、息子が部屋に飛び込んできた。
「どうした焦って」
「ピーマンが枯れた!」
「枯れた? どうしてまた」
息子が数日前から、学校にもらったピーマンの苗を育てていることは知っていた。しかし毎日世話をしていたようだし、特に枯れる要因は思いつかない。
ひとまず、私は様子を見に行ってみることにした。
「もう完全にしおれちゃって……」
くたびれきってしまった哀れなピーマンを見て私は頭を抱えた。本来表層にあるべき土の上に、真っ白な粉の層ができている。
「……この白いのって、まさか」
「塩まいたの」
「なんで」
「なんか友だちのケンちゃんに『清めの塩』ってのを教えてもらったの」
理由はあっさり分かった。こんなに塩を山盛りにしたら、若い芽は一たまりもない。単語の意味を間違えてしまったのだろう。
「清めの塩、ってどんなふうに教えてもらったの?」
「どんな植物も、塩を沢山あげれば空から神の遣いが舞い降りて加護をくれるって」
大嘘だった。年齢の割に難しい言葉を知っているが、ケンちゃんは確実に性悪だろう。一度抗議に行こうか。
私は清めの塩について正しい知識を教えた後、息子と共に近隣のホームセンターへ赴いた。代わりの植物を育てたがっていたからだ。
適当な花を見繕ってやると、息子は喜びも露わに頷いた。育てていたのがピーマンだったので野菜系が良いかと思ったが、別に実が欲しいわけではないらしい。というか食材としてのピーマンは嫌いらしい。悲しい事であった。
*
「父さん、父さん!」
「なんだい」
「また枯れた!」
一週間後、そんなセリフが聞こえて私は溜息を吐いた。またか。
「今度はどうしたの」
「元気になるってケンちゃんに聞いたから、チューリップにドクター○ッパーあげたの……」
またケンちゃんか。一度騙されたんだから懲りてほしかった。やはり抗議をしてくるべきだった。
「○プシだったら良かったのかな……」
「いや違うから」
息子にはまず園芸の常識を教えねばいけないようだ。
結局、またしてもホームセンターへ向かうことになった。
「今度は枯らすなよ」
「大丈夫だよ、もうケンちゃんの言うことは信じない」
こうして子供は大人になっていくのだろう。
*
珍しく残業無しで上がれた三日後の事。
「父さん花枯れた!」
「なんでだよ!」
私は頭を抱えながら、ベランダへ一直線に向かった。どうしたらこんなに短いスパンで終わらせていくことができるのか。
「なんで裸なんだこの花」
ある程度育った状態の方が楽かもしれないと、今度は花が咲く直前くらいのやつを買ってきたのだが。
葉が一枚残らずむしり取られている。
「とし君に教えてもらったの。人は裸の方が気持ちよく感じるんだって。植物も同じだって」
息子は虐められているのだろうか。ケンちゃんとの熱い語り合いを経て問題は解決したと思ったのに、別の子が出てきてしまった。それよりとし君は将来が危ない。抗議よりすべきことがある。
*
懲りずに再挑戦の意志を表明した息子。繰り返される惨劇に飽きてきた私は一計を案じた。
ホームセンターで本物そっくりの造花を多数見かけたのだ。近頃の技術は凄いものだと感心する一方で、これは使えると感じたのが一昨日。私は考えを実行に移す。
計画は成功した。息子は土の上で直立する造花に、今日も水をやっている。
結局私まで息子を騙しているし、自分でもなかなか残酷な所業だと思うが、私は近頃忙しいのだ。暇ができたらネタばらしをしようと思う。そして用心深くなることの重要性を知ってほしい。このままだと詐欺に遭う未来しか見えない。
*
「ヘイ……マイファザー……」
ある日、仕事帰りの私を迎えた息子は、暗黒色のオーラを全身から発していた。まさか知ってしまったのか。そして悲しみと怒りで『力』を手に入れたのか。これはまずい。
「今日……マイハニーに、例のフラワーをプレゼントしに行った」
あかん。これはダメだ。まさかあれが彼女へ渡すものだとは知らなかった。というかこいつ彼女いたのか。
「ハニーは言った……『ディス・イズ・ニセモノ』……どういうことだ」
そもそも何で突然英語を使い始めたのか。主に単語の知識が足りないせいですごくかっこ悪い。なんだよディスイズニセモノって。
「あ、あれー? 父さん間違えちゃったかな……ごめんごめん」
「ドント・ふざける!」
慌てて弁解する私を息子は一喝した。十歳にしては英文法を知っていたがやっぱりかっこ悪い。むしろ半端な知識のせいで一層ひどい。お前は出来の悪い翻訳機か。
「喰らえ!」
叫んですぐ、息子は小学生にあるまじき腰の入った右ストレートを放つ。私は寸前でかわしたが、ワイシャツに生じた小さな裂け目が目に入った。
なんだこいつ、何時の間に強くなった! 近頃の子供は成長が速いな!
「復讐の時は来た!」
「もっと復讐すべき相手いるだろう!?」
何故この戦闘力を生かさなかったのか。これをもっと早く発揮していれば、私はケンちゃんと剣を交える必要は無かったのに。
「あらあら、元気ねえ……夕飯までには終わらせるのよ?」
嫁はこの状況に気付いていないか現実逃避をしているのかどっちだ!
こうなれば、私も力を発揮して――武力制圧するしかない!
「ブラント・チョップ!」
繰り出した手刀は、瞬時に息子の左手で捌かれる。だがそれこそが私の狙い!
「ファザーズ・オーダー!」
「くさっ」
息子の右拳が入る前に、もう片方の手で持っていた私の靴が飛び出す。その一撃で勝負は決まった。
私の靴の臭いは、春日部在住のあの男にも引けを取らないと自負している。いざという時の最終兵器だ。ちなみに私の人生においてこの兵器は、役立ったことよりも足を引っ張ったことの方が遥かに多い。靴なのに。
「……ごめんな。頑張って、また花を育てような」
倒れ伏した息子の傍で、私は呟く。
「それで、彼女にまた渡そう。まだ間に合うよ。多分」
特に根拠は無い。なんかもうどうでもいいや。
*
それから数か月が経った。今我が家には、一つの大きな植木鉢がある。祝日でのんびりしていた私はベランダに出る。
目覚めた息子に怒りの記憶は残っていなかった。翌日息子は、自ら育てたい花を――造花ではない本物の花を探しに出かけた。そして、どこかの森の奥で見つけてきたという花がここにある。
「よく育ってるな」
私は思わず声に出した。よく育ち、どでかい袋をぶら下げたウツボカズラ。代表的な食虫植物だ。野生種は日本にいないはずだが。
「これ、学校にもって行こうと思うんだ!」
息子が怖い。
「ケンちゃんととし君と、あとマキちゃんを入れて遊ぶの! 入るかな?」
多分入るだろう。想像していたよりずっと大きく育ってしまった。人間サイズの食虫植物なんて日本はおろか原産地にも無いと思うので、あるいは異星まで行ってきたのかもしれない。
というか先の二人はともかく、ハニーのマキちゃんは完全に逆恨みだ。いや、私のせいか。
「そんなことをしちゃだめだよ、死んでしまう」
「大丈夫、ケンちゃんは斬鉄剣を持ち運んでるから」
そうだった。彼の剣捌きならこれくらい脱出してしまうだろう。
私はほっと一息ついて、手に持っていたコーヒーを飲む。紆余曲折あったが、息子と一緒に穏やかな園芸を楽しめる。それは、改めて考えてみれば、実に幸せな事ではないだろうか。
「あっ」
息子がウツボカズラにゴックンチョされたのは、その直後のことだった。
描写薄めで、だいたい勢いで書きました。
「葉っぱ」「人工」「塩」というテーマで三題噺をするはずだったのに、何故かこんなことになっていました。
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