プロローグ(3)
頭部を守るべきヘルメットがこれだけで割れてしまったら何の役にも立たないのだが、しかし特別製らしきコードの絡み付いたヘルメットの破片はとても薄い代物であった。
機体は制止したがパイロットは黒い長髪を露にしてそれから白い素顔と眼帯を見せた。
どんな軍人かと思えば大人ですらない、まだ幼さを感じさせる少女であった。
しかし無骨な眼帯が少女の印象に暗い影を落とす。
「くっ……まさか私が油断するとは……あいつら、もうアレを使えるまでに……」
「しっかりしてください!大丈夫なんですか!?」
「ビームだ。私は未調整のままにしていたのに連合はこの短期間に敵地で実用化するなんて魅力的な技術力……うぐっ!」
吐血。
少女はレーダーに映る一機を苦しみに悶えながら睨んで、しかし羨ましそうに語る。
レーダーはやがてモニターにその敵の姿を映し出し、どう見ても黒い亡霊がこちらに向かってきていた。
四つの銃筒を携えて、ゆらゆらとマントをはためかせて迫る。
こんな時でもあいつはどうしても俺を攫って行きたいらしい。
しかも機体に直撃したのはどうやらあいつが放ったビームみたいだ。
エネルギー伝達効率が永遠の課題とされるJMにおいて高コストのビーム兵器は未だ実戦での投入の目処が立っていなかったはずだ。
どうしてそんな物が今出来ていてあいつが持ってしまっているのか、全く理不尽である。
機動力はこちらの方が上であったがあんなビームが相手では分が悪すぎる。
「こっちに何か武器は無いんですか。あいつ、俺を狙ってるんです。」
「狙っている?……ひょっとしたら君は真岡ヒエイ君で間違いないかい……?それなら、これは君が操縦しな。」
「は?」
この絶体絶命の危機、少女は突然俺の名前を当てた上に丸投げし言葉を失った。
何でそうなる。
「私の脳波接続装置が破損した今、この目でアレをあしらうのは至難の業だろうね。でも君が真岡ヒエイならお願いできるよ。」
「こういう時って軍人なら脱出とかそういう選択をするんじゃないんですか。」
「もう戦う以外に道は無いよ、ヒエイ少年。このハインバッハⅢは陸地に誘い込めばまだ戦えるはずだ。」
「こいつもハインバッハ……?いや、そうじゃなくて!俺がパイロットをしろって言うんですか!?」
『速く飛べるからって逃がしゃしないよ!ヒエイ、私と一緒に来るんだ!』
口論も束の間、黒いハインバッハが頭上で立ち止まり銃筒をこちらに向ける。
まさかこのまま焼き殺すつもりは無いだろうがそれでもこのままでは逃亡するのは不可能だ。
少女は操縦席から離れてコックピットハッチを開けて外の様子を片目で窺ったが叩きつけた頭を手で押さえている。
やはり受けたダメージは小さくなかったようだ。
隻眼を補う為の装置が壊れてしまった今、俺が操縦して戦うしかないのか。
しかし、戦うと言ってもどうやって。
俺は競技用のJMしかまだ乗った事が無いというのに。
「ハインバッハについてどれくらい理解してるか知らないけど、このマークⅢはベースはあくまで初代と同じ、ただ注意して聞いて欲しいのは可変機構についてだ。こんなどっちつかずの機能は仮の姿で、ハインバッハの本当の能力は……」
「僕が操縦する事で話を進めないでくださいよ。素人なんですよ?」
「君ならやれるよ、真岡ヒエイって聞いているからね。」
「え……ちょっと!?何で外に出るんですか!?丸投げですか!?」
こんなにパイロットが褒めちぎるのはひょっとしたらJMの競技の中学生の部をよく見てる人だからなのかと困惑しながら自分の中で理由を探ってみた矢先、少女はコックピットから飛び出した。
あいつが上で銃筒を向けている中、まさか逃亡にしてもありえないのに突然彼女は普通に出て行ってしまった。
『ハインバッハはただ一人で操縦する機体なんかじゃない、心を一つに合わせる機体なんだ。』
メインモニターにこちらと同じ操縦席らしきものに座る少女の姿が声と共に発される。
画面にはアーム・コックピットの文字、よく見ればコックピットの表示が三つ存在している。
眼帯の少女はハインバッハのどこかに乗り込んだのだ。
しかし三つも操縦席のあるJMなんて聞いた事が無い。
「ちょっと!何なんですかこいつは!どこに乗っているんです!?」
『腕部ユニットって表示されてる?正確には胴体に引っ付いてるけど。本当は三人で動かして心を一つにしてこそ真の力が発揮される、それがハインバッハなのさ!』
「そんなの聞いた事無いですよ?」
『だから君が初めてになるね、JMの二人乗り。本当は三人がベストなんだけど……まあさっきの状態よりはマシさ。大丈夫、今の君なら力を発揮できるんじゃないかな。』
やはり眼帯の少女は無茶振りを要求してくる。
この状況ではそれに文句を言ってももはや意味は無いのだが操縦席に腰をかけて操縦桿を握る動作を少しでも遅めようと頭が勝手に動いているみたいだ。
聞いた事の無い機体に乗らされて俺はあいつと戦わなくちゃならない。
殺す気は無いにせよビームなんて当たり所が悪ければすぐに焼かれてしまう。
そんな物騒な物を弟相手に振り翳してくるこの状況で怯むなと言う方が無理だ。
JMの試合はいつも緊張していたがそれ以上に逃げたい気持ちが体に込み上げてくる。
『今すぐ出てきてよ。パイロットが抵抗しようともこのハインの前では無駄なのは分かってるでしょ。』
「待て……!なら俺の学校のバスも助けないとフェアじゃない。お前はそれくらいの指揮権あるなら早く手配してくれよ!」
『誠意は行動で示すんだよ。まずは投降からだ。』
「誠意か……それを示すべきはお前だろうが!」
余裕の様子を見せたあいつの隙を突いて操縦桿を駆使し機体の変形を開始。
殆どオートマチックだが多くの間接部を作動させる必要があるハインバッハは相当な時間が必要だったはずだが、この機体は二秒で変形を完成させてしまった。
ちょっとこれは早過ぎる。
あいつが微動だにする前に変形できてしまいせっかくの余裕を俺は操縦桿を動かせず少し無駄にしてしまった。
『やったなヒエイッ!』
「くっ……!過敏すぎるだろ!」
ハルナの叫びと共にハインバッハの銃筒から四本のビームが一斉にこちら目掛けて放射。
だが変形後のレスポンスが遅過ぎたと思いきや機体は操縦桿にすぐ反応し、横に転がってビームを回避。
すぐに立ち上がって森林へ姿を隠し機体の状態をコンソール操作で確認。
墜落したのが山の麓であったおかげで空を飛ぶハインバッハの砲撃への目晦ましになってある意味幸運であった。
脚部のスラスターが壊れていても一対一の近接戦闘であれば相手の脚部とウイングの両方を壊して逃げれば勝機はある。
問題はこの得体の知れない機体にそんな戦果を上げる期待ができるかどうかだが。
「何か武器は……!ビームガン?それと他は……何も無い?本当に何だよこの機体は……!」
『それで鬼ごっこのつもりかい!?木なんか焼き払えば良いんだ!』
武装の選択に戸惑う俺を考慮せず木漏れ日からビームが降り注ぎ、瞬く間に木々を炎に包み込んだ。
「くそ!?俺ごと焼き殺すのか!?」
『見境無いな、この攻撃は。もっと直情的かと思ったんだけど。』
「でも、四点からビームが撃ってるなら……勝つのは俺だ!ハルナ!」
ハインバッハの両肩と両腰に銃筒は据えられており、空からは幾多ものビームが連射されている。
しかしその出所は一定、ハルナはこちらの勝機は確実だと明らかに油断している。
JMの試合に必要なのは圧倒的な経験と技量でメンタルではそれを補えない。
もしあいつが俺の知っているあいつであるままならばあいつの信条は今も変わっていないはずだ。
そして、技量が勝敗を決する要因であるならば。
『どうする?焼き払うのかい?ヒエイ君。』
「でも収束できるんでしょ!?」
『……っ!?』
四本のビームが降り注ぐ炎のカーテンの真ん中を狙い、ビームガンのエネルギーを収束。
恐らくこれはあいつが持っている四本の銃筒のプロトタイプみたいな物だと推測できる。
当たり所が悪ければ一撃で装甲を貫きかねないエネルギー量がモニターに表示されている。
もしここで全力を放てば木々で姿を隠している事も相まって高い確率で戦闘不能に追い込めるのではないだろうか。
ハルナだって俺を捕まえる為にビームを四本も撃ってきたんだ。これJMの戦いでは相当有利になるに違いない。
この一撃次第で相手を焼き尽くす事だってできるんだ。
こんなもの、JMの競技だけでは決して手にする事無かっただろう。
……だとしても今はここで全力をぶっ放す場面ではないのだが。
細い一筋の光が放たれ、木々の先へと走る。
炎の先は見えないが確かに直撃した音が響き、ビームが止んだ。しかし。
『当てた!?逃げもせずに……この馬鹿めが!』
その代わりに降ってきたのは二つの黒い塊……グレネード弾であった。
『こんな状況下で!私に勝てると思うなっ!』
「避けられない……!?シールドは!」
携帯武装ビームガンのみで細身のこの機体には爆発から身を守る手段が一目見ただけでは無い。
森林の中で真上から降ってくるグレネードを回避するのは無謀にも近い。
しかしハインバッハはモニターにけたたましい量のデータを示す。
この状況を俺に打破させようとモニターで呼びかけてくる。
さっきまで操縦桿を握る手は、ビームガンを向けたこの腕は震えていたというのに、こいつは臆病になってる俺を生きさせようとしている。
『ヒエイ君!私が主導で分離をする!』
「分離!?どうやって!」
グレネードが目前に迫った瞬間、ハインバッハⅢは三つの小さな戦闘機に分離して一斉に森を脱出し空へ舞い上がった。
『はっ……!?何だよそれは!?』
空で勝ち誇っていたハルナであるが目的の代わりに目の前に現れた三つの戦闘機に動揺しないはずがなく三機の脱出をみすみす見逃した。