1/人界
「すごい……」
見たことのない景色が広がっていた。そう、
「……木が緑だ」
魔界の植物は大体がもっと赤っぽかったり、紫だったり、薄黄色で美味しい草を探すのに一苦労なのに!
「……空が青い」
空といえば灰色の雲海だとばかり思っていたけど、人界の空は全くそうじゃなかったのね!
見るもの全てがすごく綺麗で、歴代の魔王達が人界を欲しがったのも分かる気がする。
魔界の天空はいつも雲海で覆われているから太陽も本物を見たのは初めて。
あと人界に出たとたんに身体が軽くなった気がした。
身体をとりまく空気がとてもサラサラしていて、魔界のように身体にペタペタしたりピリピリしたりヌルヌルしたりトロトロするようなものが何もなかった。
それはそれですうすうともの足りない気がしたけど悪くない。
気の向くままに山を下りて行く。
人界の地面はふかふかしていて、服が一瞬にして灰になるほど熱かったり、ものすごくベトベトで足が地面にくっついたり、食べカスや何かの残骸が噴出したりすることがなくてすごく快適。
目に入った植物を手に取り、口に入れてみると、どれも言い知れない甘みがあって、すっごく美味しかった。
ただ、魔界では小魔族達にまとわりつかれていたのが、人界では小動物に代わっただけという点が唯一の共通点だ。
うっとうしい。
小魔族よりもさらに脆いものだからうっかり手で払っただけで羽根やら毛やらが焦げてしまったのにはびっくりした。
慌てて回復させてあげたけど、扱いづらくてしょうがない。
これは慣れるまで少し時間がかかるかも。
* * * * * * * * * *
どれくらい歩いたのか分からないけれど、下の方に人家が見えてきた。
煙も見えるし、小さな集落か村みたい。
遠くからでも少し騒がしい。
それから血の臭いとあと、魔力だ。
追手を出したのかな、でもいくらなんでもそんな愚かなことするかな。
すぐに諦めてくれると思っていたのだけど。
状況確認に行く必要があった。
そう、これは断じて野次馬ではない。
* * * * * * * * * *
なんだっけ、あれ。
そういえば、最近、
「魔王様、アルゲンタビス・マグニフィセンス族から死肉ではなく生物を襲うようになった者が出たため、一族から追放された者がいるそうです」
「ふーん」
というような会話をしたっけ。
興味ないから忘れてた。
アルゲンタビスは何代か前の魔王が人界から連れてきて改造した種族だ。
8mを越える巨体だが自力ではばたけるようにした、糞尿が毒素となって出るようにした、などなど。
下等の怪鳥だったのに魔界で進化して、怒ると火を噴けるようにまでなった中級魔族。
一族を追い出されてどこを彷徨っているのかと思えば人界に出てきていたのか、迷惑な。
てことは私の追手でもなんでもないのか、じゃ、関係ないや。
* * * * * * * * * *
と、思ったのだけれど、人間がどうやってアルゲンタビスと戦うのか興味があったので見物することにした。
実は私は人間を見たことがない。
魔族の中には人間を甚振ったり嬲ったり弄んだりして楽しむ者が多いけれど、私は全然興味がなかった。
そんなことよりも本を読んだり、植物の研究をしたり、魔石を使って造形物を作ったり、ペットと遊んだりしているほうがよっぽど楽しい。
でも最近、人間の生態についての本を色々読んでいたらとても笑えた。
一番笑えたのは戯曲だった。
気に入った人間が死んだからといってなんで自らも死ぬことがある?
しかも人間は共食いを忌み嫌っているというのに、それを究極の愛だとかなんとか言って崇めている節があるから笑える。
だから見てみたかったんだよね、人間が。
なんてぼんやり歩いていたら目の前は火と血の海だった。
全部で3羽のアルゲンタビスは怒って火を噴いていたし、その下には血を流して倒れている人間が幾人かいた。
人間のオス達はなんとか撃退しよう細い剣を振りまわしているけど、アルゲンタビスが羽根を羽ばたかせた時に起こる風のせいでアルゲンタビスに近づけないようだった。
その上吹き飛ばされる者までいるとは……人間って弱っ!
ぼけっと眺めていたらアルゲンタビスの一羽に気がつかれた。
私は魔力を身体の外に溢れさせないようになるべく隠しているけど、まとっている質の良さだけは隠しきれないらしい。
それを嗅ぎつけたアルゲンタビスはまっしぐらにこちらに向かってくる。
私を喰らおうなどと無礼千万だが、ここでアルゲンタビス撃退のために魔力を使えば居場所が確実に割れてしまう。
どうしようかと迷っていたらアルゲンタビスはもう目の前だった。
とりあえず逃げようとしたらいきなり何かに横から押し倒された。
何が起きたのか分からなくて押し倒されたまま呆気に取られていたら、アルゲンタビスは轟音と共に薙ぎ倒されて血を噴いていた。
アルゲンタビスの血は猛毒だから血の流れた地面はまるで魔界のようにしゅうしゅうと泡を立てて腐乱していく。
押し倒してきた何かの隙間から、二羽目のアルゲンタビスに飛びかかる人間が見えた。
光り輝くたてがみを靡かせて、アルゲンタビスを切り裂き、優雅にその血をかわし、最後の一羽も地に還す。
腐った返り血を一滴たりとも浴びずに雄々しく立つ姿に体中が泡立ち、脳髄が沸騰したかと思うとふっつりと意識が途切れた。