14/魔界
雲が立ち込めて、太陽が消えて、いつのまにか濡れていた頬は乾くことなく雨に打たれてむず痒い。
それでもずっと街を眺めてぼんやりしていたら、暴風に逆らう突風と共にちょっとばかし懐かしい存在が飛んできた。
銀糸のベールが地面に広がる。
地面からあまり遠くない所から紫の瞳が私を見上げていた。
「ヴィサ」
「ご機嫌麗しゅうございますか、我が魔王陛下。下等生物と生活されていたようですが、そろそろ飽きられた頃でございましょう? 私は陛下が恋しくて堪らず、お帰りいただきたく参上いたしました」
ヴィサは飛びかからんばかりに私を見つめてくる。
いつものことだけど、いつもより数倍鬱陶しい上に気色悪いのはなんでだろ。
なのに、熱くて濃い紫は記憶の中の魔界の景色と重なって、今までちらとも思わなかったのになんだか無性に懐かしくなった。
「なんでここが分かったの?」
「陛下の甘美な魔力であればちょっと嗅いだだけですぐにお側に参上できます。まさかまだこんな近くにいらっしゃるとは思いませんでしたが」
つまり私がいくら魔力を隠しても、ヴィサの鬱陶しいまでの偏愛の前では徒労でしかなかったってことらしい。
余計腹が立って無駄に長い銀髪をぐいぐい引っ張った。
ヴィサは抵抗もしないで嬉しそうに笑ってるだけだ。
「ヴィサは機嫌がよさそうだね。私は全然麗しくないよ」
「やはり人界はつまらぬものでございましょう? 人間など数が多いだけで単体では浅はかで脆弱で愚劣な生き物でございますよ」
ドヤ顔で言うヴィサにイラっとしたので顔をグーで殴ってやった。
「陛下?」
ヴィサは嬉しさと困惑を綯い交ぜにしたような顔で私を見つめてくる。
「自らのお手をあげられるとはなんとめずらしい。いかなる心境の変化があったのでしょう?」
「心じゃなくて身体のせい。変態したあとから魔力がうまく制御できないだけだもん・・」
「それはいけません! やはり魔城にお帰りになるべきでございます。魔力の中心におられるほうがご自身の魔力も安定しやすいというものです」
帰ろうというヴィサの言葉で、山に帰れと言った勇者さまの声が耳にチラついたかと思うと鼻から粘液が垂れそうになったので慌てて啜りあげる。
魔力が不安定だから目や鼻から体液が溢れたり胸がちりちりと痛くなるのかもしれない。
「そうだね、ヴィサ。帰ろうか」
私とヴィサは途中で草を摘んだりしながら魔城に帰った。
魔界を出てから7日近く経っていたけど帰りは半日もかからなかった。
* * * * * * * * * *
「エイネ!」
「あらぁ、陛下ったらもうお帰りになったんですの? 短い家出でございましたわねぇ」
私はエイネの豊満で柔らかい胸に飛び込んだ。
「お顔をよく見せてくださいませ」
エイネは私の顔をじっと見つめてくすりと笑った。
「いやですわ、陛下。ちょっと見ない間に何があったんですの? あとでエイネにお聞かせくださいね」
なにが可笑しいのかと首をかしげても何も言ってくれない。
うふふと笑いながらエイネも一緒について大広間に来る。
そう長い間というわけでもないけど、生まれて初めて離れたにも関わらず、戻ってきていつもの自分の椅子に座ると、離れていた時間などまるでなかったかのようにいつもの景色が広がっていた。
座ったところでなんの感慨もない魔王の椅子。
居て当然のヴィサやエイネやその他の魔族達。
誰もが私に傅いて逆らうことも楯突くことも軽んじることすらも決してない。
私が世界を支えてなお有り余る強大な力を持っているから。
真新しいものはなにもないけど、10年間反乱せずにそこにいたけど、やっぱりそれはなかなかどうして悪くない環境だったみたいだ。
自分のものを粗末に扱ったことに言い知れない後ろめたさを感じてちょっと反省した。
ないがしろにしたりしてごめんね。