13/自覚
次の日からまた山道。
夜は淫魔の宴の騒々しい鳴き声から解放されるし私はこっちのほうがいいって思った。
昨日は月に酔ったけど、今日は勇者さまの血に酔っているみたいでなんだかぼおっとする。
勇者さまに部屋を追い出された後もなんだか身体が妙に疼くような渇くような不思議な感覚に襲われていて、だけど不快じゃない。
そんなことは初めてだったからやけに疲れて本当なら眠りこけたいところなんだ。
深い森の緑に包まれていると人界に出てきた甲斐はあるけど、他の人間から完全に離れたわけじゃないし。
山の中に人間がいる。
今までの旅じゃこんなことはなかったけど、一体何をしているのだろうか。
木や草の陰から遠巻きに私たちに着いてきている。
勇者さまに助けを求める村人か何かかと思ったけど、興味もなかったので深く考えずに放っておいた。
そうではないことが分かったのは崖下の細い道を一列になってぱっかぱっか進んでいる時だった。
ぱらぱらと土が降ってきて、勇者さまのいる前の道とジェンニのいる後ろの道を塞がれた。
ふんっ、人間ってのはなんて煩わしいんだろう。
魔界から遠ざかった今、制御を解いている私の魔力に気付けば余計なことなんて仕掛けてこないのに。
上級魔族たちが人間を愚かだの下等生物だのと言う理由が分かった気がする。
それでも不思議と魔界に帰りたいほどに勇者さまは私を惹きつける。
かけらと共に駆け下りてきた人間達は問答無用で勇者さまに斬りかかってきたけど、勇者さまは余裕で薙ぎ払う。
漂い始めた血の臭いに吐き気がした。
不快な感覚がどんどん高まっていった。
眉は顰まり、眉間にシワが寄り、目はどんどん吊りあがって、口が曲がっていくのが分かった。
ああいやだ。
目を閉じれば醜い肉や血を見なくて済むけど胸糞悪い臭いが余計に研ぎ澄まされた。
パタパタまばたきを繰り返していたら、身体に剣を受け、苦痛に歪んだ勇者さまの顔が目に焼きついた。
溢れる醜悪な血肉の臭いの中から勇者さまの馨しい血の匂いがした。
勇者さまの腕から血が流れていた。
勇者さまと剣を打ち合わせている男の剣から勇者さまの血が滴っていた。
一瞬怯んだ勇者さまに周りの男たちが斬りかかろうとしていた。
背中が冷たく震えた。
耳の奥でわんわんと高音が鳴っていた。
マグマの中に放り込まれたみたいだ。
きっと、古今東西最大の魔力を持つ魔王の治癒力が追いついてないんだろう。
体中溶けだしたからか、心臓の音が良く聞こえた反面、脳がうまく動かなかった。
* * * * * * * * * *
「リュリュ!!」
名前を呼ばれて、鼓膜ではなく、心臓が震えた。
* * * * * * * * * *
何をしたかったかはぼんやり分かってる。
何をやったかも分かってる。
その結果何が起こったかもちゃんと分かってる。
分からないのは見つめてくる勇者さまの視線の意味だ。
見開かれた目のその意味を聞こうと思ったのに、周りの群小が騒ぎ出した。
「頭をどこへやった!!?」
「どこへもやってない。残り滓がないだけ」
ヴィサはよく「魔王さまはつんとした冷酷な表情がよくお似合いになります。普段は可憐であらせられるのに、これぞまさにギャップ萌え」と言っていた。
後半はともかく、私は魔王らしく冷酷な表情が冴えているらしいのでエイネとよく練習したもんだ。
「貴様らもさっきの輩のように焼尽させられたくなければ疾く去ね」
とにかく今の私はその練習の成果を存分に発揮できたらしく、人間たちは「化け物」だの「怪物」と叫びながら去っていった。
目障りな存在を駆逐できて、私の思考は私の身体を勝手に動かした不可解な何かについて考え始める。
何も考えずに身体が動いてた。
灰も残さず焼き消してた。
私の脳を揺らしたのは多分怒りってやつだ。
我を忘れるってああいうことなんだろう。
何かに怒ったことなんてなかった。
何かに支配されたなんてことなかった。
自分でも驚いてるけど、勇者さまは無事だし私も怒りの業火から解放されて結果オーライだよね?
でもせっかく不可解なものから解放された私の身はさらに不可解な何かに支配されることになる。
「なんであんなに簡単に人を消せるんだ!! このクソガキがっ!!!」
胸倉を掴みあげられて、燃えるような青葉色が私を睨みつけていた。
勇者さまがとっても近くにいて、大好きな目がこちらを向いているはずなのに、よく見えない。
どうやら勇者さまは怒っているみたいだ。
訳が分からない。
放っておけば勇者さまとジェンニが殺されていたかもしれないのに。
邪魔だから焼いた。
血肉を見るのが嫌だったし、残しておいたら邪魔になるのも分かっていたから消した。
アルゲンタビスの時と同じことだ。
だってアルゲンタビスを消した時は褒めてくれた。
いったい勇者さまは何に怒っているんだろう。
何がいけないのか分からない。
どうしたらいいのかも分からない。
「お前は山を下りるべきじゃなかった。都に来れば必ず禍をもたらす」
「勇者さま? なんで? どうして怒るんですか?」
勇者さまの目が歪んだ。
怒りに燃えてた緑の目の奥がゆらゆら揺れて、勇者さまは胸倉を掴んでいた手を離し、私から目を背けて、言った。
「山に帰れ。俺にお前の面倒は見れねえよ。もしも都に来たりしやがったら、俺はお前を牢にぶちこむ。それでもダメなら、その腕斬り落としてやる」
「た…隊長! なにもそこまで…!!」
この場にいることに耐えられなかった。
だから勇者さまに背を向けて走っていた。
勇者さまは私が魔王だって分かったんだ。
自分が魔王を倒す存在だってことに気付いてしまったんだ。
同族を殺されて、怒って、目覚めちゃったんだ。
だから斬るって言ったんだ。
私のことを斬るって。
必死で逃げていた。
なぜだか目の奥から火が噴き出したみたいに頭が熱くて痛くてたまらなかった。