11/インキュバス
町が見えたのは太陽が天辺に上る頃で、日が落ちる前には町に入っていた。
「町に入る前にこの草を人目につかないようにしろ」という勇者さまの言葉に従って、魔力で作った布で草を隠した。
城壁に囲まれたその町は、勇者さまと出会った町よりも高い建物が密集していて、町の様子もなんだか浮足立ってるみたいだった。
ジェンニが宿を探している間、広場の小さな噴水に腰掛けて勇者さまと人間たちを眺める。
「この町は辺境でも交通の便が良い。それに今日は休日で何かと騒がしいんだろう。日が暮れたら一人で町をうろつくんじゃねえぞ」
「なぜですか?」
「なぜってなあ。お前は若い女だし、何もしなけりゃ見目もいいからどこかに売り飛ばそうなんて考える輩もいんだよ。余計な騒動が起こるとこっちの仕事に障りがあるかもしれねえからな。邪魔だけはするんじゃねえぞ」
「はーい」
「返事だけは立派だな」
店で酒を飲み騒いでいるオスや、色とりどりの服を身につけたメスの人間たち。
なんの力もない人間がうじゃうじゃといた。
魔界にだって無力な魔族はうじゃうじゃいたけどやっぱり違う。
高級魔族と同じ形をしてるから余計に違和感があんのかな。
でもこんなに人間がたくさんいるのに、勇者さまみたいに強烈に私の目を引く人間は一人もいなかった。
その肉が芳しく香る人間もいない。
もっとよくその匂いを嗅ぎたくなって勇者さまに身を寄せようとしたら、急に勇者さまが立ちあがったのでずっこけたよ!
「大丈夫、リュリュちゃん?」
ジェンニにひょいっと抱き起こされた。
「もう戻ってきたの?」
「…頼むから理不尽な怒りを向けないでくれよ」
「お前ら、なにをぐずぐずしてやがる。さっさと行くぞ」
着いたのは、洞穴とどちらがいいか天秤にかけられるほどのボロ宿だった。
「主人、3部屋頼む」
「同じ部屋じゃないんですか?」
勇者さまと離されるなんて不満だ。
「や、そういう訳にはいかないだろ。野宿ならともかく、同じ部屋ってのはまずいよ」
「なんで」
「なんでってもさあ、リュリュちゃんのためでもあるんだぜ? 年頃の女の子と男が同じ部屋で一夜を明かすのはまずいんだよ。隊長も立場があるし、行きずりの女ならともかくリュリュちゃんは王都まで一緒に行くわけだから。それにー、大人の事情ってやつ?」
「私も大人のはずだけど」
「分からないって時点でまだまだ子供。これ以上は俺からは言えねーよ」
ジェンニは苦笑して気安く私の頭をぽんぽんと叩いたので、すぐに振り払ってやった。
「…すっげえ痛てえ」
* * * * * * * * * *
寝る前に廊下ですれ違った時、勇者さまの腕には人間のメスが絡みついていた。
そのメスを見た途端、肉を見た時に似たひどい嫌気を感じた。
長い髪、長い爪、赤い唇、昔見たニンフに似ていたのに、なぜかハルピュイアが思い浮かんだ。
皺くちゃの人間のメスの顔と身体、鷲の羽と爪を持つ。
旺盛な食欲が特徴で、食べ物を見ると意地汚く貪り食って、飛ぶ鳥後を濁さずどころか汚物を巻き散らかして去っていく。
あれを初めて見た時には全部ゲロッたっけ。
まさかこのメス、明日からついてくるなんてことはないよね?
大体、なんで勇者なのに魔物みたいな生き物を側に侍らせたりするんだろうとちょっと文句を言いたくなったけど何か考えでもあるかもしれないし、これ以上腐臭を嗅いでいたくなくて早く部屋に戻ってしまいたかったから何も言わなかった。
「おやすみなさい、良い夢を」
勇者さまはなんだか歯切れの悪い返事しか返してくれなかった。
むしゃくしゃしたので、たくさん摘んできた草の束を半分くらい食べちゃった。
それでちょっと落ちついたけど、今夜は妙な鳴き声が止まなくて騒々しい夜だった。
何?
もしかして本当にハルピュイアだった?
でもこの声どっかで聞いたことある。
うーん?
思いつかないまま、いつのまにか夜は明けてしまっていた。
「おはようございます、勇者さま」
次の日の朝、勇者さまの顔は妙に血色が悪く、目の下には濃い隈もできていた。
「どうされたのですか、お顔の色が!」
「……ただの寝不足だ」
「長旅の間はよく睡眠をとらないといけないのでしょう? 眠れなかったのですか? これなら洞窟の方がよかったですねえ」
私がしゃべっている間にも勇者さまはどんどんカウンターに沈んでいってしまわれた。
低いうめき声さえ聞こえる。
しかも身体から昨日のメスの移り香が立ち上っていてとても癇に障った。
「体力回復の薬でもお作りしましょうか?」
「…できるのか? なら、頼む」
作るとこ見られたらまずいかな。
作ってるとこ見られたら確実には魔族だってばれるよね。
ヴィサだって「さすがは我が陛下でございますね。凡夫にはまったく考えの及ばないお力をお持ちです」って言ってたし。
部屋に戻ろ。
「おはよ、リュリュちゃん。部屋戻んの?」
「勇者さまにお薬を作るから部屋入ってこないでね」
階段途中で会ったジェンニは曖昧に頷きながら下に降りて行った。
「うわっ、どうしたんすか?」
「いや……。………………………………………。……………………。………………………。………………」
「つまり、相手の女とイタシタもののどうも気分が乗らないので早々に床につこうとしたが、相手の女がそうさせてくれず、むしろ狂喜して隊長の身体を求め続け、気付いたら朝だった、と。羨ましい話じゃないすか!」
「搾り取られる身にもなってみろ!」
「隊長、いつもより睨みの威力が弱いっすね」
「…おまけに女は死んだように寝てて怒鳴っても揺さぶっても起きねえし」
「へ? じゃあまだ部屋にいるってことっすか? 俺も相手してもらいてー!!」
「……うるせえよ。これからすぐに町に出るから支度して来い」
「はっ! これってもしかしてリュリュちゃんの呪いなんじゃ……」
私が勇者さまを呪うだなんて失敬な。
っていうか、この宿ほんとボロい。
ただの人間でも他の部屋の物音が聞こえるだろうし、私なんか階下の勇者さまとジェンニの会話まで聞き取れちゃう。
おかげで夜聞いた声が淫魔の宴の時に聞いた声だったことを思い出した。
どうりでどっかで聞いたと思ったんだ。
まさかエイネが迎えにきたのかとも思って焦ったけどエイネの匂いはしないから大丈夫のはず。
まったく人騒がせな話だ!
incubus
1.(睡眠中の女性を犯すという)夢魔 (cf. succubus)
2a.悪夢.
b.(払いのけることのできない)心の重荷,心配事 《借金・試験・重荷となる人など》
(研究社 新英和中辞典より)