09
栗栖崎の助骨には二本ひびがはいっていた。一日だけ入院して頭の検査をするということだった。
わたしの右太股は打撲で、湿布と痛み止めをもらった。
午後三時。わたしが目ざめたのは早朝だったようだ。
午後にはあの場所で倒れていたのが嘘のような気がしていた。ベッドでよこになっている栗栖崎のまわりを、わたしと、周一さんと、連絡をうけたママさんが囲んでいた。
「文治」
栗栖崎はわたしの手をにぎってはなさなかった。周一さんが連絡して病院にかけつけてきたママさんはふたり分の衣類を持参してきた。わたしがそれに着替えるときだけ、栗栖崎は手をはなした。
ベッドサイドのパイプ椅子にすわると、また手をのばしてくる。
「…………どうしたの周平?」
栗栖崎は視線をママさんにむけるがなにもこたえない。
「周平、手をはなすんだ。そろそろブンちゃんを家に送ってくるから。明日、また病院に俺がつれてきてやる」
「――」
「周平」
ママさんのもってきたパジャマを着た栗栖崎の顔は、手当てされ、それでもはれあがっていた。メガネのスペアがなく、目を細めている。
わたしもとても離れがたかった。栗栖崎の手をつよくにぎりかえしていた。周一さんにうながされ椅子から立つが、手はそのまま。おたがい腕をのばしあう。
「周平、ブンちゃん」
ママさんの声でようやくあきらめたのか、ぼそっとベッドのうえの人物がいった。
「――明日」
「うん」
手をはなし、周一さんと白い廊下にでた。肩をささえられながら右足をひきずるようにしてあるいた。周囲の視線がよこの周一さんにそそがれているのがわかる。
残していく、という感覚があった。
廊下の突き当たりの窓からの日差しは強烈だ。まばたきを何度もしながら、抜けた穴が胸にあるのではないかと手でさすった。
「どうしたブンちゃん」
息をふかく吐いた。
「うん……なんか……穴……」
「あな?」
上体をかしげて周一さんが顔をのぞきこんでくる。わたしは首をふり、まぶたを閉じて、周一さんにもたれた。
「――疲れたろう、ブンちゃん」
うなずくと、周一さんはわたしの肩に腕をまわして、いっしょにエレベーターにのった。
**
見知らぬ街を車内からながれるままながめた。
わたしの当時住んでいた家の二つとなりの市だったそうだ。
助手席にふかくもたれていた。会話もなく、どんどん車ははしった。
自分を置いてきたような感覚だと、ようやくこのとき気づいた。
自分の一部を病院に残してきたのだ。
栗栖崎だ。
栗栖崎に自分の一部がある。加西文治の一部が奴のなかに。
そしてたぶん、自分のなかに栗栖崎の一部がある。
奴は目ざめてから、ほとんどわたしの名前しか口にしなかった。
苦しいような、求めるような声で。
わたしはまぶたを閉じた。からだに伝わる振動。
白いコンクリートのうえで目がさめて、自分を栗栖崎とおもったのも道理だった。
なぜかわたしたちの一部は相手のなかにはいったのだ。
おたがいが、おたがいの一部分をもったのだ。
――この感覚は圧倒的だった。
自分が自分を残していくなんてナンセンスな話しだ。当然、栗栖崎とわたしはいっしょにいるべきなのだ。自分だから。
たがいの分身をそばにおいておくのは、空に雲や星があるように、そういうものなのだ。
なぜ、なんてないだろう。雲は雲だ。生まれたときから頭上にあって、名前がついていた。
わたしも気がついたら加西文治だった。
加西文治は自分が自分である当然のことのために、一部をもっている栗栖崎とともにいるのだ。
栗栖崎も当然、わたしとともにいるだろう。
それは疑いがない。
われわれは分身だ。一部を持っている。
栗栖崎とはなれていく車のなかで、わたしはそう感じていた。一部を他人にやり、他人の一部をうけたというのに、わたしは不快でもなく、そうなのかと判明したことをうけいれていた。
栗栖崎周平は加西文治と小学四年生でともだちになり、中学一年生で分身同士となった。それだけのこと。




