表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
分身  作者: みやしろちうこ
番外編 その片割れの断片
54/56

09

 まるで他人の顔をしていた。

 おまえは誰だ? 黒い目はそう語っている。

 権藤雪男ごんどう ゆきおという名前まで持ち、髪を長く伸ばし、古着をきて喫茶店でアルバイトをしていた。約三年ぶりにみた文治は男らしくなっていた。

 栗栖崎をみつめる目は冷え切り、嫌悪さえ浮かべている。

 加西文治は栗栖崎周平のことを忘れ去り、元に戻ってくる気配などまったくない。

 友好な会話さえできない。

 宿泊していた磯路川の民宿のようなホテルの一室で、栗栖崎は失意でことばもなく、眼鏡をはずし浮いてきた涙を袖でふいて、また眼鏡をかけた。

 窓の外は真っ暗だ。山陰と空の区別は星のまたたき。

 室内灯は消したままで、鏡の電灯だけをつけその前に腰掛けた。

 憔悴した若い男が映っていた。

 学問の塔にもどればだれからも大歓迎され、賞賛され、研究費用と部屋を与えられる身分を投げ捨て辺境地にきてみれば、切れるような寒風より冷たく、凍りつきそうな拒絶にであった。

(文治……)

 失踪人は生きていた。 

 この先、ときどきその姿をみにくることはできるだろう。

 自分に許されることなどそれくらいだ。

 だが、あの姿、あの声と形、あの動作と表情をみてしまえば、ときどき見るだけでいいなんてとてもおもえなかった。


 揺り籠のなかの丸々とした赤ん坊を栗栖崎にみせながら、薄いピンクの部屋着に白いゆったりとしたカーデガンを着た北川は産後でいよいよ美しさが増していた。そんな北川がぽつりといった。

「この子は妖精の子供なの」

 栗栖崎ははっと顔をあげた。そのことばだけで全てが了解できた。

 ともに北川の実家を訪問していた能見は紅茶カップをソーサーにもどしながら、妖精? と首を傾げていた。


(どうしたらいいんですか)

 だれに祈っていいのかもわからず、ホテルの一室でひとり、栗栖崎は鏡のまえで両手を組み、額をあてた。

 妖精を取り戻すなんてこと、いよいよどうすればいいのかわからない。



 あきらかに邪険にされながらも、田舎のさびれた商店街の小さな喫茶店に、栗栖崎は通った。

 夜は栗栖崎がここに到着するまえまで、交替して通っていた北川と能見に定期連絡をする。

『どんな具合?』

 かのじょの電話の向こうから赤ん坊の声が響いていた。

「朝の挨拶にも返事をしてくれない」

『そこまで露骨というのは、反対にクリスを意識してるのよ』

「……だったらいいんだけど。純子ちゃんは元気?」

『元気よ。ミルクもたくさん飲むし、よく眠るし』

 ホテルの部屋の窓際で、黒い影の塊となった山の連なりをながめながら、恋人の娘を産んだ母親と会話をかわす。

 北川に感じた激しい苛立ちと怒りは、いまはもうなかった。

 かのじょとは加西文治という、平凡な顔をしているが、周囲の人にとってはとても特異な人物を挟んで対峙している。

 いまでは共同戦線を張り、おたがいにとり特別な人を探し、取り戻そうと行動している。

『クリス、わたしは純子の父親を探して取り戻したいわけじゃないの。わたしが壊してしまったふたりの仲を取り戻したいの。ブンちゃんを、近くでみていたいのよ』

 北川敦子は脆いのか強いのか、栗栖崎にはわからない。

 ただ、あまりこういう女性は世にいないだろう。

「また電話するよ」

 そういって通話を切った。

 初冬は過ぎ去り、雪が降り始める。

 この地方の雪は積もる。世界は一変していく。

 願わくば、ひとの心も。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ