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分身  作者: みやしろちうこ
番外編 父と子
36/56

02

 車内では無言のままだった。

 中学で家を出てからの帰宅となる。いまその家に母はいない。ガレージに車をおさめると、父とそろって家に入った。覚えているかぎり、昔のままの気がした。変化は母が手作りしていたレースの装飾品がいくらか増えているくらいだろうか。

「夕飯は注文でもしようか……」

 そうつぶやきながら上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、父はテーブルの椅子をひいてすわった。居間だけ電気のついた家は静けさが増して感じられた。わたしはむかいの椅子に横向きに腰かけた。テーブルと、椅子の背に両腕をのせる。

 父はいつの間にか、テーブルに組んでのせていた腕のあいだに顔をうずめていた。

「――どうしたの」

 こたえはなく、わたしは父の白髪まじりの頭髪をしばらく眺めた。

「夕飯を」

 なにか振る切るようにして椅子からたち、父は壁にかけてある電話にむかった。会話をきいていると、寿司を注文しているのがわかった。受話器をおいてテーブルにもどってきた父は、わたしを上から下まで見た。

「おまえ」

 そういった下唇をかむ。

「おまえ……」

 哀しそうな顔だ。父がわたしを気にかけていたことは小さいころからわかっていた。母とわたしのあいだで悩み、結論をくだすまえにわたしが家をでたのだ。だが父は賢明だった。わたしを栗栖崎家においといてくれた。

「おまえ、おっきくなったな……」

 ひとつうなずくと、沈黙を嫌うようにテレビをつけた。寿司がくるまでのあいだ、わたしは二階の自分の部屋を見にいった。

 きちんと掃除されていて、ベッドに腰掛けて、ぐるっと部屋を見まわすと自分が二十二才なのが冗談のような気がした。

 ――おまえ、おっきくなったな……。

(本当だ。父さん俺、おっきくなったよ)

 父の記憶はこの部屋から学校にかよっていたわたしのままなのだ。学習机には、中学の時間割が貼ってあり、きれいな教科書が並んでいる。わたしは後ずさった。今夜はここで寝なくてはならないのだろうか。それは嫌だ、とおもった。

 わたしは部屋の電気をけして、ドアをしめて一階におりていった。


 桶に飾りつきでならんだ寿司を、ふたりしてたいらげた。

「美味いか文治」

「うん」

「これ、食えよ」

「でもそれ俺さっき食べたよ」

「いいから、父さんの分も食べとけよ」

「うん」

 カウンターうえの急須を手をのばしてとり、茶葉をいれてポットの湯をそそぐ。席をたち、ガラス棚から湯のみをふたつとってきた。

「はいお茶」

「う、うん……文治、お茶をいれられるんだな」

 目を丸くしてる父に、わたしも目を丸くした。

 夕飯が終わると、父は風呂をわかしたから先にはいれといってきた。パジャマは父の予備、下着は父の新しいのをわたし用としておろした。

 洗面兼脱衣所で服を脱ぎながら、わたしは自分の動作が鈍くなるのを感じた。新しい洗濯機。女性用ヘアスプレー。歯ブラシは女性用と男性用の二本だけがかけてあった。

 どうにか浴室にはいって、湯殿のふたをあけ、湯を体にかける。湯気がまといつき換気扇にすこまれてきえていく。肌にのった湯は落下し、排水溝に飲みこまれていく。

(帰りたい)

 栗栖崎の長い腕に抱きしめてほしかった。あの家に帰りたかった。


 お風呂からあがり、パジャマのまま栗栖崎家でそうしているようにソファにねっころがっていると、おなじく風呂からあがってきた父が、冷蔵庫からビールの缶をとりだしてきた。

「飲むか文治」

「うん」

 三人掛けのソファに親子でならんですわって、冷えたビールを飲んだ。父がテレビのリモコンに手をのばした。

「父さん、テレビじゃなくて音楽かけてよ。なんでもいいよ」

「そうか?」

 栗栖崎の家ではテレビは倉庫にしまいこまれていて、日頃めったに見ない。じゅうぞうたちと暮らしていたときはテレビそのものが家になかった。わたしはすっかりテレビの騒がしさに免疫がなくなっていた。広告や流行りにまじったドラマや笑いに興味はなかった。

 タオルを首にかけたまま父は、ステレオセットのよこにあるCDケースに手をのばし、しばらくさ迷わせていた。

 流れてきたのはピアノの柔らかい曲だった。

「庸子がよく聞いてたんだ」

 庸子ようことは母のことだ。

「――俺は、母さんを守ろうとするあまり、文治には良くしてやれなかったとおもってる……おまえもずいぶん、信号をはっしてたのにな」

(信号?)

 ステレオのまえで耳を傾けるように父は立っている。父は小作りな顔をしていて、童顔だった。学生のころはハンドボール部だったと聞いたことがある。小柄だったけれど俊敏で、跳びあがって、片手で球をゴールネットにたたきつけていたと。エースだったんだぞと誇らしげだった。

「おまえを育てなおすことができたらな……」

 いまのわたしではだめなのだろうか。ビールをすすった。

「ちゃんと見てやれていたら……他人の家に預けたばかりに、そこの家の息子とできてたなんて……」

 タオルで目をおおう父に、わたしはあっけにとられていた。

「そうだ、でもおまえは北川さんと子供をつくったんだ。おまえはホモってわけじゃないんだろう。なあ、文治」

「ホモってなに。……ああ、」

 思い出した。高校のとき投げつけられた言葉だ。その意味は栗栖崎にきいた。

「ホモじゃないよ」

「そうだろう! うん、そうだとおもった。じゃ、もうあっちの家には帰るな」

「どうして?」

 父は赤い目で微笑んだ。

「いまからでも遅くない。ちゃんと、今度は俺が見ててやるから、父さんのいうとおりやってみろ文治。大丈夫だ」

 父が近づいてくると、わたしはソファから立ちあがった。気分が悪かった。

(帰ろう)

 限界だとおもった。



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