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ノーベル賞とは、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルの遺言で基金を設立して、その利子を毎年最も人類に貢献した人に賞として与えるようにしたものだ。
その賞は財団により運営されており、一九〇一年から授与が始まり、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞の五部門があり、一九六九年よりノーベル記念経済学賞が新設され、現在では六部門になっている。
授賞式は、ノーベルの命日である十二月十日に行われ、平和賞以外の五賞はストックホルムのコンサートホールでおこなわれる。
わたしはその模様をテレビで見た。
タキシードを着た栗栖崎が英語でスピーチしている。
ずれたメガネをなんども人差し指でおしあげるが、言葉はとまることなくつむぎだされていく。
カメラはときどき栗栖崎から客席にいる盛装したパパさんとママさんをとらえる。
ふたりはゆったりと笑みをたたえ、手と手をにぎり、三男のすがたを見逃すまいと目をむけている。
屋根裏においてあった小型のテレビは画像の色がうすい。それを居間のテーブルにおき、わたしはすわっていたソファによこになった。
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記者会見に栗栖崎は出席しなかった。
「自分は現在、研究をはなれた人間だから」と。
日本のマスコミは最年少受賞者のあかるいニュースにとびついてきたが、その本人が受賞拒否という姿勢をとっていることにいよいよ取材攻勢はいきおいをました。
それに栗栖崎はあのシュウイチ・クリスザキの弟でもある。まったく話題にはことかかない存在となった。
電話がかかって外出していった日から、栗栖崎は能見のはからいで身をかくしとおしていた。わたしは栗栖崎家でひとりとりのこされ、塀のまわりをマスコミでかこまれ、窓をあけることすらできなくなった。
『あの研究のリーダーは僕だし、もともとの発想も僕なんだけど、それが完成したいまも同僚たちは研究室をまもってくれているんだ。その応用を実験してくれている。……受賞をうけたら賞金がはいるだろう? ……そうすると、その研究室にわたせるってことなんだ……』
電話口で栗栖崎はあきらめたような口調でいう。しかしまだ、おもいはふっきれていないようだ。
「だったらそうすりゃいいだろ」
『僕はもう学者としての人生は閉じたんだよ……それなのに? あの賞は、貢献にたいしてと、今後の助成でもあるんだよ、僕はもうそれには値しない』
「バカだな栗栖崎――」
『なに?』
「いいんだよ、もらっとけ。いいから」
『…………いいのか……?』
受話器からのびるコードに指をからめる。壁にかかったカレンダーをながめ、そこに栗栖崎がいるかのように、むけて笑みがうかんだ。
「おまえが次になにするか知らないけどな、そのまえにまだすることがあったってだけだろ。もらって、いいようにその金はつかえよ。今後、おまえが期待できるところにさ、それで手をうてよ。そしてはやく帰ってこい。紅茶いれてくれよ。飲みたいんだ、おまえのいれたやつ」
沈黙がつづき、やがて、
『…………そうだな。ああ…………そうしよう。文治に、僕も紅茶いれてやりたいよ。もうちょっとまっててくれよ』
「ああ」
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栗栖崎の受賞理由は、新物質ガモールの発見と構造の研究、ということらしい。
小学生のころから英語で論文をものにしていた天才児だった栗栖崎は、中学生のころから特別に大学に通い研究を進めていた。
そのために奴の一家は引越しをしたほどだ。
飛び級することなく高校生活を送ると、てぐすねひいて待っていた研究室に入り、その成果を世界に発表した。
若くしての受賞には、その影に恐るべきほど若いころからの取り組みがあった。
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帰国して猛烈なフラッシュを浴び、さまざまなメディアからオファーが奴におそいかかった。
それをかいくぐり、やっと栗栖崎が帰ってきた。
深夜一時。
よれたコートをきた話題の男。スーツケースをおもそうに玄関におき、靴をぬぐと、さっそく出迎えたわたしを抱きしめる。
「――ただいま」
「――おかえり」
寝室にふたりしておさまった頃には、奴はベッドに大の字になり、メガネをはずし、放心した顔をしていた。
「電気消すぞー」
子供部屋だった部屋は改良されて、われわれのベッドがおしこまれている。
はしに腰かけると、パジャマの袖をひかれた。
「……文治」
「ああ」
わたしは奴のうえにのっかり、前髪をすいてやり、かるく唇にふれた。
栗栖崎の腕がわたしの背にまわる。
「……文治がいると、僕は、なんでもできそうな気がするよ……なんだって……どうしてかな」
奴の息が頬にあたる。
「そんなの俺がしるかよ」
「……文治」
わたしはしずかに目をとじた。
翌日、栗栖崎は陶芸に興味があるんだ……とつぶやいていた。わたしはブランチ用のトーストにマーガリンをぬりながら片眉をあげた。
まあ、なんだっていい。したいことをしたらいい。
奴が生き、俺が生きているかぎり、俺たちが分身同士ってことは変わらないんだから。
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ひろい庭のあるちいさなこの家は、空間デザイナーであるパパさんと、声楽家のママさん、長男で俳優の周一、動物保護とナショナル・トラスト活動家である次男周太、化学者で陶芸家に転向した三男周平、日本バスケットボール代表チームのエースである周介の日本での住処であるとともに、わたし加西文治のいつでも帰っていく家でもある。
現在は栗栖崎家の面々はそれぞれ足をのばし、異国を本拠地として活躍しているため、この家の留守番はわたしと、犬のつくねがつとめている。
栗栖崎でさえ長期となると二ヶ月は帰ってこない。
だれもいない家もいい。
ふいに電話や訪問で、なつかしい顔が見れるのもいい。
おおきくあけはなった居間のテラスから、晴天の空気がながれこんでくると、わたしは幸福感につつまれる。
いつだって風とともに飛んでいける気がする。
だが足は床にあり、大地をはなれない。
人間とはなんてややこしいのだろう。どうしてこうも周囲にひとがいるのだろう。
そうのぞんで絆ができるわけでもないくせに、知らずできてしまうこともある。そしてそれに一生縛られるのだ。
まぶしい光の午後などには、わたしはそれが不思議でならないのだが、いくら考えたところで解答などでない。
だからしかたがないので、わたしはここで、わたしの分身がいるかぎりは今後も生きていく。
いまのところわたしにわかるのはそれだけだ。
完結