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分身  作者: みやしろちうこ
エピローグ
33/56

33

 じゅうぞうはつまらなそうな顔を見せたり、わらったり、すねたり、淋しそうでもあった。

 とくにわたしを見る目。


「――どうしたよ」

 五階の窓から桜を見下ろしていた顔をあげ、わたしのうしろすがたを見ていたじゅうぞうに問うてみた。

 窓にうつったじゅうぞうと目があう。

「ううん」

 ベッドに上体をおこしていた子供は首をふり、トイレにいく、といって個室のトイレではなく廊下にでていった。


 わたしは窓を背にし、息をはいた。前髪が額にふれる。

 しばらくまえに病院の美容室で髪を切っていた。あつこが残念がったが、おおむね好評だった。

 だんだんと加西文治である自分にたちもどり、なじんでいく。

 雪男であったことは変わらないが、帰る家がひとつではなくなっていた。

 ――おおきな変化だ。


 じゅうぞうも気づいている。



 わたしという存在が雪の化身ではなく、近しいひとびとのいる、そこらへんにいる人間とかわらない、という事実。そしてそれゆえにずっと傍にはいないことに。





 春休みに、今度六年に進級する、あいもかわらずなクラスメイトたちが、美希先生につれられてじゅうぞうの見舞いにきた。

 その訪問でじゅうぞうに笑みがもどり、元気になってみんなと六年生になるのだと口にしだした。


 駅にあつことならんで出迎えたわたしに、ワンピースを着、髪をほどき、化粧をしてあらわれた美希先生は、一瞬息をのみ、そして微笑んだ。

 そのときの淡いような笑顔が、なぜか胸をはなれない。




****



 『喫茶牧』には電話していた。

 じゅうぞうを病院にはこんだ経緯と、バイトを辞めることをつたえた。

 店長は低い声で、ああ……と、うん、とか返事をし、最後にいつでもコーヒーを飲みにこいよ、といった。


 電話ごしの店長の声が、プツンと切れた。

 ツーツーとしかきこえない受話器を、しばらく耳にあてて、反対側の耳で病院の雑然とした音をきいた。



 さようなら。

 また会うことはいくらでもできるけど、まえのようにはならない。それにはさよならしてしまった。

 

 院内のよびだし放送をききながら、わたしはそれを痛いほど自覚した。




*******



 学校にもどる、という目標をもったじゅうぞうは顔色もよくなり、つづく手術にも辛抱強く耐えた。

 頬のまるみがそげたせいか、忍耐をもって日々をすごしているせいか、じゅうぞうの顔がだんだんとりりしくなっていく。




*******




 じゅうぞうの手術とリハビリとの合間、合間にことはながれこみ、どんどんと時とともにながれていく。


 栗栖崎家のひとびととの再会、サシミの子である、つくねが戻って来たり、純子とも初対面をはたしている。


 あつこが栗栖崎家につれてきてくれたのだ。五月生まれの我が子。そろそろ一才。

「ぼやあっとした子だなぁ」

 と感想をいうと、同席していた栗栖崎、あつこ、能見、周介は、いっせいにわらった。


 抱くとじゅうぞうよりやらわらかく、乳臭く、熱かった。

 両手でもてるような顔。そのなかの黒々としたうるんだ瞳を、わたしはまったくあきることなく見ていることができた。純子は純子でこちらを見つめ、しばらく外の世界をわすれてしまった。



 純子にも、わたしの一部がそのからだにある。だから純子はわたしの分身ともいえる。だがわたしのからだには純子の一部分がない。

 親子は分身同士にはならない。

 栗栖崎のときのように、自分を純子とおもうこともない。



 それでも不思議な存在だ。

(おまえにいった俺の一部分は、ずっと俺のなかで穴があいてるってことになるんだぞ。栗栖崎とは穴を埋めあえたけど、おまえは俺を吸収したままだ。俺に穴をあけたままだ)


 わたしは腕にだいた純子のちいさな鼻先を、指でさわった。


(――でも、返せとはいわないよ。おまえにやろう。ずっとそれはやるよ。ずっと俺の分身でいてくれ。そのかわり俺が穴の抜けた人間でも、ちっともかまわない。おまえは満ちた人間になれ)



 大学を辞め、家でぶらぶらしていた栗栖崎は本をよむいがいは家事をしてすごしていた。このときは紅茶に凝っており、葉をずいぶんとあつめまわっていた。

 テラスで木製のテーブルをかこむわれわれのまえには、その栗栖崎がいれた紅茶がある。

 わたしはとても気にいっていた。もう、インスタントのティーパックでは満足できない。

 ミルクティの香りがこころを和ませる。


 親というのが、一部分を子供にさしだし、つねに穴のあいた自分を甘んじてうけいれている存在なのだと気づいた。


 子供は親から一部分をうけとり、自分のものとしてそれをけっして親にはかえさない。

 たとえ、死に別れても、一部分は親にかえらないだろう、子供は親の空間から満たされている。

 穴のない親はおらず、穴のある子供はいない。


 一方通行の分身たち。


 わたしはけっして自分にかえらないだろうちいさな分身を胸にだき、顔をあげ、栗栖崎を見た。

「どうした?」

 他の三人の視線を横顔にかんじた。

 栗栖崎家のひろい庭を背に、ひょろりとのっぽな男がテーブルについている。


「純子は俺がいなくてもやっていけるけど、俺とおまえは、おたがいがいなくちゃ穴が永遠にあきっぱなしで、きっと人間としてずっとは生きていけないだろうな」


 栗栖崎はメガネのおくのつぶらな目をまるくして、わたしを見た。ゆっくりまばたきし、照れたように首をかしげる。


「ああ――ずっと、だから、離さないよ」


 当然だろうというふうに、わたしがうなずくと、

「そういうのってふたりだけのときにしろよ兄貴もブンちゃんもさ」

「なんだかこういう雰囲気のふたりってひさしぶりに見たとおもわない? 会長」

「ああ……ひさしぶりだとくるものがあるな……おい、栗栖崎、つぎ手放したときは探す協力なんかしないからな」

 三人が三様の顔をしていった。





********




 その年の十月、ノーベル科学賞の候補に栗栖崎の名前があがっているというリークがあった。

「――ガセだよ」

 ガスコンロのまえで湯がわくのを待ちながら、奴はそんなことをいった。唇をすこしゆがめ、眉をよせ、しばらく天井をながめていた。




 それから十日もしないうちに大学から呼び出しがあり、受賞の正式なしらせをうけた。

 記者会見をひらくから出席するようにとのことだった。

 

 受話器をおき、わたしに事情をはなしながら壁掛けから上着をとり、腕をとおす。

「――ちょっと、いってこなきゃならないみたいだ。遅くなるかもしれない」

「そうか」

 ソファに腰をおろしていたわたしのよこにすわると、栗栖崎はわたしをかるく抱きしめ、頬にキスをし、出ていった。






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