32
ヘリには定員があるのでわれわれ三人はだれも乗っていけなかった。運ばれた先にむかうまえに、タクシーを呼んで雪に苦労しながら権藤の家にもどった。
タクシーに待ってもらってじゅうぞうの荷物をつくった。
「権藤さん、あちらの病院にはいったらながいとおもうんです、その間、ぼくの実家に泊まりませんか。いまは、両親とも海外にいってますし、いるのは弟だけなんです。その弟もバスケットの選手で、家をあけてるのがおおいくらいです。ですから、気にせず泊まってください」
躊躇しているおじいにわたしも声をかけた。
「泊まれよおじい、俺もそこに泊まるしさ」
「……そうじゃな」
笑いかけて、おじいの腕をたたいた。
街の駅へむかう途中で、栗栖崎はホテルをチェックアウトしてくるといい、わたしも店長に挨拶がしたいといった。
「文治、店はまだ開いてないとおもうけど……」
「あ……そうか、そうだな……辞めるっていいたかったんだけど」
「――辞めるのか雪男」
助手席からこわれ鐘の声がした。
「うん」
栗栖崎が遠慮がちにわたしの手をにぎる。
「開店時間になったら電話して……また、時間ができたときに挨拶しにきたらいいよ……ここのコーヒー好きなんだろ」
「ああ」
ホテルを経由して駅につき、朝食がまだだったので開いたばかりの売店でサンドイッチとホットドリンクを買い、食べているうちに到着した一時間に一本の電車にのりこんだ。
除雪車が先行するだけで電車ははしり、通行止めにはならずにすんだ。三度乗り換えするごとに雪は量をへらし、山はきえ、住宅とビルが、群をなしていく。
栗栖崎はたびたび席をたち、電話ブースにはいっていった。
昼に混雑する駅につくと、赤いコートをきたあつこがむかえにきていた。緊張した面持ちながら、視線があうと目が笑う。
「さ、乗って」
助手席には栗栖崎がのり、あつこに場所の説明をする。
「やあね、場所なら電話できいた次点でしらべておいたわよ――クリス、動転してるの?」
からかうようなあつこのセリフ。
「そりゃ、いろいろ僕も動揺するさ。北川、ちゃんとまえ見て運転しててくれよ。なぁ文治、僕だって動揺するよな」
「なんで俺にきく、あつこがいうとおりだろう」
車がおおきくよこ揺れした。
「ブンちゃん、わたしわかるの!?」
「北川敦子――俺の子供って男と女どっちなの?」
よこのおじいが息をのんだ気配がした。
「純子って……いうの……」
「……北川、僕が運転かわろうか」
「いいえ、大丈夫、大丈夫よ。でもね、運転中に心臓がとまりそうなことはいってほしくないわね。あと、涙がでそうなこともね」
座席ごしに栗栖崎がふりむいた。
「僕がひきとりたいっていったら拒否されんだ。純ちゃんは文治に似てるよ、こう呼ぶと、能見は怒るんだけどね……べつにあいつのことを呼んでるわけじゃないのに」
「名前はあつこがつけたの?」
バックミラーごしに視線がチラっとあった。
「そう、二番目に好きなひとの名前をつけたの」
わたしは思わず笑ってしまった。
「おまえたち複雑じゃの……」
おじいがぼそっとつぶやいたのがきこえた。
*******
大学病院の駐車場に車をとめると、四人してかけだすようにして受付にむかった。
東棟の五〇一号室。
われわれ三人をそこに置いて、栗栖崎は教授に会ってくるといってでていった。
じゅうぞうは白いベッドで眠っていた。
赤い顔はおさまっており、おだやかな顔をしている。上下の胸のうごきといっしょに布団もうごいているのがたのもしかった。
おじいがじゅうぞうの額をなで、椅子にすわった。わたしとあつこで衣類を棚におさめた。
清潔な個人部屋である。
「おじい、ウーロン茶でも買ってくるよ」
そういって病室をでてきたわたしに、あつこもついてきた。
「ブンちゃん……」
ふりむくと、涙をためてこっちを見る目とあった。
「名前、呼んでくれない?」
「あつこ」
泣いてしがみついてきたあつこを、その階の待合所の窓際に座らせ、ウーロン茶をおじいにとどけて、また戻ってきてそのとなりにすわった。
「……おちついたら、純子を見に行くよ」
「うん」
「女の子で、俺に似てるって? あつこに似ればよかったのにな」
「かわいいって評判。わたしのママもパパも純ちゃんにメロメロよ」
大学病院の五階からみわたす景色は、灰色の空どうように家々もくすんで見えた。
「――栗栖崎がひきとりたいっていったの本当か」
ハンカチを小さなバッグにもどしたあつこは、買っておいた緑茶のプルトップをあけた。まえ見たときとおなじウエーブのかかった髪が赤いコートにかかっている。
「本当よ。昨年五月に出産して、初孫を見て、意思のくじけた両親の実家にもどって育ててたら、会長といっしょにクリスが来たわ。会長は妊娠期間から出産までずっとついててくれた。そのあいだにブンちゃんのことを探したり、あの人、外務省ではたらきだしたとこでもあったし疲労困憊してた。
会長……わたしの両親にも自分の子供として育てるし、わたしと結婚したいっていったのよ」
能見らしい、とおもった。
「両親は喜んだけど、わたしは断ったわ。クリスが来たときもおなじ、断った。純子が半年くらいのときだったかしら。じっと、寝かせているベッドにおおうようにして見ててね、かわいいっていってたわ。文治に似てるって。
ブンちゃんは、クリスのものだけど、その子はわたしのだっていった。ずっと妖精の子供がほしかったって」
お茶をすすり、テーブルにもどしても彼女の視線は景色のほうをむいたままだ。
「――ブンちゃんとクリスって不思議だったな。わたし、ブンちゃんのことなんだか学生のときから妖精みたいだなぁっておもえてしかたなかったの。きっと、間違って人間界にきてるのね、それでクリスにくっついて、クリスが重石なんだって。
妖精と契約した人間ているでしょう。クリスの学会をとどろかすような研究成果って、その契約結果みたいに見えなくもなかった。彼自身、天才であることは間違いないけど……」
あつこは、人差し指でわたしの頬の線をなぞった。
「妖精はクリスにその力をあげるかわりに、ずっと人間でいる予定だったのよ。でも、わたしのお願いをきいたばかりに、その契約は破棄。妖精はすがたをけし、クリスは成果だけのこして研究室を去る。会いにきたのは、研究から手をひいた後だったわ。
それからいっしょになって妖精探しをはじめたわけ。探偵をやとったり、写真を見せてまわったり、はりがみしたりね」
わたしはまばたきしてあつこを見た。
「――それ、栗栖崎にもちょっときいたけど、あつこ、俺は人間だぞ」
「かもね」
「かもねじゃなくて、人間だって」
「そういうことにしておきましょうよ」
あつこはわたしの腕に自分の腕をまわし、肩先に頬をこすりつけてきた。
「契約の更新はしてきたの? 妖精さん」
やれやれとおもいながら、あつこの飲みかけの缶に手をのばした。
「してきたよ」
*******
じゅうぞうの心臓手術の日は年を越して六日に決定した。
二年ぶりの栗栖崎家はがらんとしていた。
家人たちが家をあけることがおおくなり、動物たちはひとにあげたり、もらってもらったり、あずかってもらっているという。
わたしたち三人を家のまえでおろすと、また明日迎えにくるといってあつこはそのまま帰った。
日のおちた時刻。
家には電気がついており、玄関をあけると、奥から百九十センチをこすのっぽがあらわれた。
「権藤さん、弟の周介です。周介、話してた権藤さんだ」
「よろしく、お邪魔いたします。ご面倒おかけします」
「あ、いえ、周介です、ご遠慮なく過ごしてください。俺はここにほとんどいないんです。普段は大学の寮にいますから、今は休みで一時かえってきてるだけで、でもすぐに練習がありますから」
ふたりは握手をし、栗栖崎がおじいを案内しながら先にいく。
「ブンちゃん」
「よう、周介、ただいま」
周介は靴をぬいであがったわたしを、膝をついて抱きしめてきた。あいかわらずの短髪に、栗栖崎よりながい手足。
その後いくら名を呼んでも腕を離さず、しまいには居間から栗栖崎を呼んだ。
「周介」
兄が名を呼び、肩に手をやると、弟はうなだれたままわたしから腕をはずし、兄の肩をかりてたちあがった。そのまま兄の肩をかりて二階にのぼっていった。
わたしは兄弟を見上げ、居間にはいっていった。
*******
じゅうぞうは年が明けてから三回にわたって手術をうけた。入院は長期となり、おじいは家にもどり手術のまえになると上京してきて栗栖崎家に泊まった。おじいが居ないあいだ、じゅうぞうの見舞いをわたしはつづけた。
そんなばたばたしたあいだにいろんなことがおきた。
一回目の手術のあと、能見はサングラスをかけた有名人をつれてきた。シーズンオフに入ったプロ野球選手、小川貢だ。
「やあ、加西。ひさしぶりだな。捜索に参加できなくて残念におもってたんだ。あっちにも応援しにきてもらう予定でチケット用意してたんだぞ」
「うわあ、しまった!」
本気でそういうと、能見が小川の背後で笑い声をもらしていた。
じゅうぞうと小川をひきあわせると、肉のおちてきているじゅうぞうは顔をかがやかせた。
「小川選手だー……」
小川の子供用サイズのユフォームやグッズをもらうと、うれしそうにだきしめる。完治したら球場に招待するといわれ、頬を紅潮させていた。
小川と能見が帰ったあとは、ふたりして小川を褒めちぎり、いっしょに球場に応援しに行こうと話しあった。
アメリカで発売されたという、小川の首振り人形をベッドサイドにおいた。ハンサムではあるがあまり似ていない。
じゅうぞうもよこになりながら滑稽な首ふりを見る。
「小川選手、にーちゃんのことかさい、って呼んでたね。あの怖そうなメガネのおにーちゃんも。クリスのおにーちゃんは文治で、おねーさんはブンちゃん、て」
「ああ……俺は、加西文治っていうんだよ」
「そうなんだ……」