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からだをうごかして男から離れた。そのさいに自分の傘をふみつけて骨を二本まげてしまった。
わたしはそれをもちあげることもなく、ひきずってあるいた。ライトは前方ではなくだらりとさげた地面を照らしている。
「文治」
男はわたしの左手から懐中電灯をとり、自分の傘をかたむけてきた。わたしは好きにさせ、足をうごかしつづけた。
「文治……どうした」
返事をしないまま家についた。玄関よこの窓からじゅうぞうの顔がみえた。帰宅をまっててくれていたらしい。
「ライト、かしてやる」
男の視線を無視して背をむけ、それだけいって家にはいった。
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わたしは男を追い払わなくなった。
なんだかどうでもよくなったのだ。嫌悪も苛立ちもなく無関心になった。喫茶店でのバイトもだんだん休みがちになった。そういった日中はひたすらぶらぶらしていて、雪のなか何キロもあるくわたしを、男はじっとついてきていた。
意識にうかんでくるのは、じゅうぞうだけだった。
あとは自然がつねに自分を呼んでいる気がした。それいがいは視界にはいっても景色の色でしかなく、たいして見たいものでもなかった。声は形ではなくなり、ひろがり、単語は消え、空気にとけこんでいく。
なにをいっているのかわからない。それを追求する気もない。今日が何日かという興味もうすれていたが、クリスマス、というのは思い出した。
じゅうぞうにプレゼントをあげる予定だったのだ。
重そうな雲をながめながら、わたしは進路を街にむけた。一日でいちばん日がたつ時刻であるのに薄暗いほどだ。一面はホワイト。
(なにか買おう……)
風がふいて、それが予想以上に冷たくて、わたしはダッフルコートをきた自分をだきしめた。
街のおもちゃ屋と洋服店を二回づつ見てまわった。
じゅうぞうのプレゼントだというと、それぞれ店のひとがおすすめをしてくる。
「やっぱ、カードか……」
足をおもちゃ屋にむけた。
「百科辞典なんてどうだ? 僕はあれを小学校五年でもらったときはうれしかった」
「本をもらってよろこぶような不良に育てたおぼえはない」
「親はしらないもんだ」
わたしは初志をつらぬきカードをセット買いした。包装してもらったのをかかえて店をでると、メガネをかけた長身の例の男もわきに包みをかかえていた。
急におじいの顔も思い出し、洋服店で、防水のこれでもかというくらいの防寒手袋を買った。
「文治、ケーキはあるのか?」
「渚ちゃんとこのパーティでどうせ食べてくるんだ。家でも食べたかないだろ」
「いや、子供は自分の家で自分用のデコレーションケーキがあるほうがいいにきまってる」
「自分用のか……そうだな……」
洋菓子店でいちばんおおきいケーキを注文したが、お金が半分も足りなかった。
レジでかたまるわたしのよこで、男がさっさとのこりをはらった。
男は家にむかうわたしについてきた。
家についても中にはいってきて、おじいに挨拶をし、ストーブのよこの椅子におさまる。
わたしはとがめだてせず勝手にさせた。別段ケーキ半分の恩でもなく、どうでもよかったからだ。
**********
じゅうぞうは渚ちゃんのママの運転する車で夕方かえってきた。
コタツのうえにケーキとジュース、皿やコップなどを見ると顔をかがやかせた。
「うわあ、ケーキ!」
「じゅうぞう、昼もケーキ、夜もケーキじゃうんざりだろ?」
ぶんぶんと首をふる。
それから視線をキッチンにやった。
「あのおにーちゃんなにしてんの?」
「さあ……」
あのおにーちゃんは、椅子にすわってストーブであったまっているのかとおもっていたら、おじいと会話したあと、いきなり料理をはじめたのだ。
冷蔵庫を空にするいきおいでつくっている。
夕飯の時刻には、魚の天ぷらと、骨付き鳥肉、野菜シチューができあがり、ケーキの存在と、四人というメンバーでいつもとちがう豪華な雰囲気ができあがっていた。
じゅうぞうはずっと頬を紅潮させ、はしゃぎにはしゃいでいた。
わたしと男からプレゼントをわたされると、すぐに包装をやぶいた。おじいにも手渡すとびっくりした顔をしていた。例年、この家ではクリスマスでケーキを食べないらしい。もちろんプレゼントもない。
「わーなにこれー」
重そうな本をかかえてじゅうぞうが目をまるくしている。
「これはね、しりたい事柄を、ほら、こうして調べることができるんだ。ただ、こうしてめくってるだけでも、いろんなのが載ってるだろう? 世の中にはしらないことがたくさんあるんだよ。この本はそのちょっとした招待状みたいなものだ」
畳のうえで本をひらき、ふたりして頭をくっつけるようにしてのぞきこむ。わたしのカードはコタツのうえで健気に注意をむけてくれることを願っているようだった。
(惨敗か……)
食事とケーキがすむと、コタツのうえをきれいにしてトランプを四人でした。じゅうぞうを勝たせようと三人でさんざん苦労をした。
夜もふけ、寒さがましたとおもったら雪がまたふっている。
「あんた帰るの大変じゃな、泊まってけ」
「ありがとうございます」
背後で会話がなされ、視線をかんじたがなにもいわなかった。好きにすればいい。
わたしはいつものようにじゅうぞうのよこで敷布団におさまり、男は余分な布団がもうなかったので、コートにマフラーをし、そのうえにおじいとわたしのコートをかぶって、おじいの反対側のコタツにおさまった。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
子供の寝息をききながら、真っ黒な空間を見上げる。
(……もうちょっとしたら俺、きえてしまうんじゃないか)
自分がまるまる自分でしかありえないのだとおもってから、どうにもけだるかった。
必死で地面をひっかくのに、天にのぼっていく感じだ。抵抗しても無駄な気がする。
(じゅうぞうも、天につれていけたらいいんだけどな……)
目を閉じた。