28
翌日は閉店までおり、二十時すぎに常連の奥さんから手編みだといってもらった赤いマフラーをぐるぐるまいて店をでた。
夕方から雪がふっていたので片手には傘。もう片方には懐中電灯をもっている。帰路には外灯がない道もとおる。それはほんとうに真っ暗で、月あかりがなくても段差のあるとこでころげてしまわないための用心だった。
「文治」
やっぱり居るんだなぁとおもいながら、男に視線をやった。男も防寒をしっかりして傘をさしている。
ついてくるにまかせてあるき出した。
あと二週間もしたら小学校は冬休みにはいり、クリスマスがある。じゅうぞうはすでにクリスマスパーティの招待をうけていた。
わたしはバイト代でケーキと、なにかしらのプレゼントを用意しようとかんがえていた。高いものなんて無理だが、できる範囲でふたりによろこんでもらえるものが贈りたかった。
(なにがいいかなぁ……じゅうぞうはカードゲームにはまってるしなぁ……おじいは漁にでるときの服とかかなぁ……)
一センチほどつもっている雪をふみつけて、人気のない街をぬけ、二股道にでて、どんどん人家のない一帯へとすすんでいく。
「わ!」
声とともにどしん、と音がした。
わたしはびっくりして足をとめた。躊躇して数歩ちかづいた。
「――おい、大丈夫か」
「ああ……すべったよ」
それはわかっている。
「ここから先は外灯もすくないし、まっくらだぞ。もう帰れよ」
「…………もうちょっと……」
「道と原っぱとに段差があるんだ、すべってそこにおちたら足くじくぞ。今夜はずっと雪らしいし危ないんじゃないのか? おまえライトももってないだろ」
男はたちあがり、雪をはらい、傘をひろった。
「心配してくれてありがとう。でも、もうちょっといっしょにいたいんだ。一日でふたりきりなのってこの時間くらいだしな」
わたしは返事をする気になれなくなった。
こいつが事故って怪我しようが自業自得だ。
男はいつもより距離をつめてわたしをつけてくる。わたしはライトをつけていた。追っ払うとまた男が転ぶかもしれないとおもうと接近していることに黙ってしまっていた。
「文治」
しつこい男だ。
「文治」
「……うるさいな、雪男って呼べよ」
「おまえは加西文治なのになんで別人の名前で呼ばなくちゃならないんだ」
あまりな倣岸さに鼻をならした。やっぱり腹のたつ奴だ。
「……きっと、文治は思い出すよ……家族といっしょに暮らした家でのことも、僕の両親も兄弟も犬も猫も鳥も、小川や能見、北川のことだって。文治のご両親のことも思い出すだろう。
それが時間がかかるっていうんなら、それまで僕はずっと傍についてたいんだ。第一、僕がそばにいないと思い出さないだろうしな」
ほうっておいたのをいいことに男は勝手にはなしている。
雪がゆっくりとたえることなくふっている。黒い空間からとつぜんライトに照らされた明るい空間にとびこんでくる雪。
「――おまえは、俺にときどき会うだけでいいっていってなかったか?」
「…………ああ……それは……無理みたいだった……」
いつしか男は足がながすぎるせいかよこにならんでいた。
「おまえ…………俺のなんだ」
メガネの男は、息をふかくはいた。
「文治にとっての僕がどうだったかははっきりとはわからない。僕にとってのは文治は、最初は友人だ。
小学校四年で出会って、友達になって、つぎは家族になったんだよ。それから…………」
雪をふむおたがいの音だけがしばらくつづいた。いわないつもりならば催促するべきだろうかと考えた。結論がでないうちに男はつづけた。
「それから……文治は僕の発想の源だったよ。芸術家にとってのミューズというわけだ。特別だった。
文治はどの人間とも違ってたしな。
じっさいよく人間じゃないだろうっていわれてたよ。そういうのは文治の耳じゃなくて僕の耳にしかはいってなかったけどね。
常識のずれたところにいて平然としていた文治に僕は、思考の転換を触発されてたんだ。それに、それだけじゃなくて、この、どこか社会に存在しそこねそうな友人をささえるのは僕の役目だともおもっていた。
北川が文治についてうまいことをいってたよ。
――文治がきえて、北川が出産して、……僕はふたりの子供が見たくてしかたなくなった。いや、文治がのこしたものに触れたかったんだ。母子ともにきれいだった。
北川は……」
男はとぎれとぎれながら饒舌だった。
北川という名前に、能見とならんでたっていた姿をおもいだしていた。
「僕に赤ん坊を見せながら、この子は妖精の子供なのっていった。僕はそれでよくわかったんだ。
ああそうだ、妖精だ。
加西文治という人間は、いわば人間家庭にまぎれこんでしまった妖精だったんだと。北川は妖精の子供がほしかったんだ。僕は妖精に発想をたすけられ、つねに自分のにしたかったんだ。
研究でいきずまって、僕はそれを両手で紙みたいにくしゃくしゃにしてしまった……もっと…………力がほしくて……達成したくて…………僕は妖精の両足を切ったり、声をうばったんだ」
よこをあるく男はすするような音をたてて息をすった。
「君が好きだ」
わたしの前方を照らしていたライトのゆがんだ円がぶれた。
(家、まだ見えないな……)
「――帰ってきてくれ。僕だ、栗栖崎だ。またいっしょに暮らそう」
わたしはライトを男にむけた。
スポットライトをうけた男は、この寒さのなかでいくぶん頬を赤くしていた、メガネのおくの目がまぶしそうに細められる。
「おまえにいっておく。俺は自分が雪男じゃないっていうのはわかっている。文治ってのはしらない。おまえは自分を栗栖崎周平だってなのってるな。
それは、――栗栖崎周平は俺だ。
なんで俺とおまえの名前がいっしょなんだ? どっちかが嘘か、同性同名なのか?」
弾劾しようと皮肉な口調でいたわたしに、突然ひとつの考えがおちてきた。
……それとも……。
ちょっとまごつきながら、口にしてしまった。
「……それとも……俺たちはおなじ人間なのか?」
男が眉をよせた。
そうだ、わたしはなにをいってるんだろう。
それでも傘をすててまでして、わたしは男の胸にさわった。この肉体とわたしの肉体はいっしょのものか? それとも精神? もっとちがうもの?
頬に当然のようにあたっていた雪がなくなった。ライトに照らされつづけている男が、わたしに自分の傘をかたむけたのだ。
「……文治、どうしたんだ」
耳元にとどくきづかう声。
(――そんなの、どうしてだよ……)
落ちてきたおなじ人間という考えは一瞬にしてわたしを染め、それを否定すればするほどわたしの胸をくるしめた。
(どうしていっしょじゃないんだよ――俺もこいつもどっちかが栗栖崎じゃないなんて、なんでなんだよ……!)
ライトをにぎったまま男の背に腕をまわし、頬をコートにおしつけていた。男も傘をてばなし、わたしを抱きしめ、髪に頬をなんどもおしあてる。
おなじではないのかという考えがおちてき、それを否定して、どうして自分がこれほど、目の前の人物に抱きつかねばならないほど哀しくなったのか。
自分は栗栖崎で……それでいて……だれかといっしょの存在で……それが違うなんていうのは……もっとも哀しいことらしかった。