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分身  作者: みやしろちうこ
第3部
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 あの栗栖崎となのる男は、定休日いがいは毎日店に顔を見せた。モーニングを店でとるとでていき、午後二時くらいにふたたび来店し、読書や書きものをしながら店の隅のテーブルですごす。


 顕著な変化として、週末になるとかよってきていた男女はあらわれなくなった。

 この男がわたしをマークするので、自分たちはお役ごめん、というわけなのだろう。


「長谷川さんたちがいってたが、テーブル席のメガネの男は、自称親友のあらてか?」

「はい」

 午後の暇な時間帯だった。

 冷蔵庫にオレンジジュースを補充していた。

「……彼、毎日きているな」

「そうですね」

 学生なのだろうか。社会人なのだろうか。どちらにしても休んでいるのにはちがいない。

 膝をついていた姿勢からたちあがり、うるさい前髪をふった。

「おまえ、彼に冷たいよな」

 おもわず店長にふりかえった。

 豆をいれたガラス容器を几帳面にならべている店長は、背中をまるくして顔をふせている。

「最初から、ぼけーとしてるというか、淡々というか、飄々としてて、度胸がいいのか、なにも考えてないのか、人間じゃないようなとこがあったけど、おまえも人間だったんだな」

「て……店長?」

 怒ってるわけではないがそれが地顔のような店長は、しずかにわたしを見た。

「じゃけんだ」

「――」

「誰にたいしても丁寧すぎることもなければぞんざいでもない態度だったくせして、彼にだけおまえはじゃけんだ。あからさまだ。彼はここの客だぞ」

「――すみません……なんだか……」

「なんだか?」

「腹がたつんです。うっとおしいんです。毎日、顔見にこられちゃ店長も頭にきますよ」

 そういうと店長は口のはしで笑った。



 店長はしらないのだ、奴がわたしの跡をつけていることを。


 朝、自転車でじゅうぞうを学校におくると、校門そばの電信柱ちかくで奴はたっている。それから店に出勤すると、徒歩のあの男も来店してテーブルにつき、モーニングを注文し、わたしがはこぶと「おはよう」という。

 わたしはいつもよっぽど、音をたてて盆ごとテーブルにほうりだしたくなる。それを我慢するだけで体力をつかい返事をわすれる。故意でもある。


 じゅうぞうを迎えにいくために早あがりする場合、男は二股道でたっている。じゅうぞうは自転車のうしろで「バイバーイ」と手をふり、男も手をふりかえす。


 迎えにいかず閉店までいる場合は、店の裏手でまっているのだ。話しかけられないうちに自転車にのろうとするのだが、あの長い足であっという間にちかづき、サドルをつかむ。

「文治」

 わたしは無言で手をふりはらい自転車にのって帰宅する。




 憂鬱なのは、雪がふっているからだ。


 四日前から自転車がつかえない。奴は距離をたもちつつずっとつけてくるのだ。じゅうぞうがいるときは図々しくいっしょにならぶ。算数や理科につよいらしくじゅうぞうの質問になんでもこたえてしまう。

 ながい登校時間は、じゅうぞうと奴の科学の時間になってしまうのだ。わたしは嫌でたまらないのだが、じゅうぞうが嬉しそうなので追い払うのは校門に到着するまで待たなくてはならない。


 追い払ったところで次は店だ。

 迎えをするときは当然ついてくるし、ないときは、わたしに追い払われながら家が見えてくるまでうしろをついてくる。

 うっすらつもった雪を踏む音があとからあとからついてくるのだ。うっとおしくてかなわない。



********




 その日は店にいかず、ひさしぶりにじゅうぞうのクラスを見学した。

 五年一組のめんめんはわたしを大歓迎してくれた。美希先生が教室にはいってきて、隅で椅子にすわっているわたしを見て微笑みうなずいてくれた。

 一限目は国語。

 二限目は理科。


 チャイムが鳴って教室にはいってきた美希先生につづいて、頭をさげてドアをくぐり男がはいってきた。

 黒のコートを片手にした灰色のセーターに紺のパンツのメガネの男。

「あー!」

 といって、じゅうぞうが手をふった。

「みんな、このかたは栗栖崎周平さんといって、大学で科学の研究をされている学者さんです。しばらくまえから磯路川で泊まってらっしゃるそうで、今回、この五年一組で科学のおはなしをしてくれます」

 生徒達から歓声があがった。

 先生は男のコートをうけとり、教卓をゆずった。


「――みなさんこんにちは、いや、まだおはようかな。

 僕は今日、みなさんに僕が科学についておもしろいとおもっていることについてきいていただこうとおもいます」

 そういって、メガネの男は自然に笑みをうかべた。

 ドアをくぐっているときにわたしをチラッと見ていたが、話をしだすとわたしなど眼中にないかのように、たまに黒板に絵をかいたりしながらのびのびとかたった。



「草木をもやしたあとの残る灰を木灰といいます。英語のアルカリはアラビア語の植物の灰、つまり木灰が言葉のもとになってできたものです。この木灰というのは人類がふるいふるい時代からしっていた化学薬品のひとつなんです。


「灰は残りものだから余計もののようですが、とても役にたつものでもあって、日本人のわれわれも昔から大切にしていました。灰買いという職業があったくらいです。江戸時代のことです。


 木灰は洗濯やアク抜きに役立ちます。

 灰は水にとける部分ととけない部分があって、このとける部分が、衣類や植物の繊維のあいだにはいりこんで、汚れやアク、渋みをとけださせてくれるわけです。

 この水にとける部分を灰汁といいますが、繊維をやわらかくするだけでなくそれをあつかう人間の肌をあらしてしまいます。

 だから灰を素手でさわると手があれます。長所もあれば短所もあるわけです。


 科学薬品はこのように激しいはたらきをするものがおおい。

 くさいだけ、きついだけ、なんてはしっこにおいやっていた薬品が、ある日、他の薬品とあわせて、ある状態でおくととんでもない、びっくりしてしまうような反応をおこす場合があるんです。

 僕はね、こういう無数の組み合わせが、無数の可能性におもえるんです。これとこれがいける! これはこうできる! とひらめいたり、結果がでたりするときは興奮します。芸術家といっしょです。


 役にたたないといわれていたり、邪魔だなといわれたりするものがこの世にはおおく存在しています。でも本当にそうかな?

 科学はひとの知恵の歴史でもあります」




 わたしは子供たちといっしょになってしょうことなしに男の話しをきいていたが、やがて「へえ」と感心していた。

 男はときどき子供たちに質問をしたり、笑いをつくったりしている。こうして教卓にたつ男を見ていると、嫌悪もわいてこない。


 栗栖崎周平となのる男について、いまなら冷静にかんがえられるかとこころみてみる。


 学者というのが本当なら、その仕事をほってここでなにをしている? わざわざわたしの名前をかたって、わたしをつけまわして、いったいなにを?

 奴は帰ってきてくれとはいえないが、ときどき会いたいと、たしかいっていた。



 ときどき会いたいというなら、店にいるといってあるんだし、なにも毎日「しょっちゅう」来ることはあるまい。

 なぜ「しょっちゅう」来て、しかもあとをつけ、こうしてわたしの親しいじゅうぞうのクラスにあらわれ科学の話をする。


 どうしてわたしに関わってくる。ちかよってくる。「ときどき」なんて嘘か。「帰ってきて」とはいえないが「帰ってきて」ほしいのが本心なのか。



(――俺はあいつと暮らしてたのか?)





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