24
じゅうぞうを学校までおくり、喫茶店は定休日だったので、そろそろ秋色に染まってきている周囲の木々に目をうばわれながら、わたしはゆっくり帰路についていた。
繁華街と学校の二股道に男女がたっていた。
見慣れないふたりだ。
男は上下グレーのスーツで、銀縁のうすでのメガネをかけている。まだわかそうであるのに老成した雰囲気がある。女はウエーブのかかった髪を、やわらかい色のカジュアルコートにたらしている。かしこそうな目と鼻をしていた。
ふたりの視線がわたしのうえでとまっている。
ジャンパーに両手をつっこみ、ぶらぶらあるいていたわたしは、交差する道で、足をとめた。
「あの、なにか……?」
そう問いかけると、女性が叫ぶような声をあげて、わたしに抱きついてきた。両手でうけとめることもできず、わたしはよろめいた。頬に彼女の髪があたり、弾力のある熱いからだが、わたしを力強く抱きしめる。
(な、なんだ!?)
ポケットから手をひっぱりだし、女性の腕をつかむが、ぎゅっとひっついて離れない。男のほうに視線をやると、ゆっくりとわたしたちのもとに近づいてくる。
店長にまけないくらい無表情に見えた顔が、紅潮している。そのまま手がのびてきて、わたしの腕にさわった。
「――ひさしぶりだな…………さがしたぞ……」
そういうと、顔をがっくりふせた。
女性は、わたしの首に腕をまわしながら、しきりとなにかを連呼している。よくきき取れない。
わたしは身をふるわせた。
(なんだこいつら……!?)
女性をどうにかひきはがした。
目が真っ赤で、鼻の頭も赤い。
うるんだ瞳が、ひしとこちらをみすえている。わたしはいくぶんたじろいだ。
(だれだ)
なぜ、こんな目でわたしを見るのか。
「生きててくれてよかった……っ……わたし……」
涙がもりあがり、すべすべした頬をつたっていくのをながめた。激情におそわれている女性をまえにして、わたしは困惑していた。ふたりの緊迫感がつたわってくるのだが、うけとめかねて、それは喜劇のようになっている。
わたしを相手にこの見知らぬふたりは劇を演じている。
帰路にむけてわたしがからだをうごかすと、ふたりが腕に手をかけ追ってきた。
「どこに行くんだ?」
「帰るよ」
男がなにごとかいった。
「手、離してくれ」
また男がなにごとかいった。女もいう。
人気のない朝の道で、三人して景色を見るでもない。
「ね、さっきからなにいってるのか俺、わからないんだよね。だからね俺、もう帰るよ。手、離してくれ」
男女の顔がそろって痛みをうけたようにゆがんだ。その顔になぜか胸が痛んで、わたしはいそいでふたりに背をむけた。
「待て! 待ってくれ――帰るって、権藤ってひとの家に帰るんだよな」
「なんで……」
追いすがってきたスーツの男に疑問の視線をやる。
「しらべたんだ。さがしたっていっただろう――な、本当に俺たちのことわからないのか。無視しないでくれ。さがしたんだ。ずっと、おまえがいなくなってから、さがしたんだ」
「……」
無言でいるわたしに、また男がなにかいう。……名前か?
「…………なんで俺のことをしらべる……俺があんたたちの探し人だとでもいうのか……。でも、俺は、あんたたちをしらない。わからない。わからないんだ」
「そうだ、俺たちの探し人はおまえだ。おまえをさがしてた。話がしたいんだ、泊まってるホテルにこないか。どこか店でもいい」
わたしは首をふった。
ふたたび背をむけてあるきだすが、あとをついてくる足音にしばらくして足をとめた。
林へとつづく草原のなかの道路にそって、わたしについてくる男女。冷静で、賢明そうなふたりであるのに、していることは理解できない。
「ついてくるな」
声が周囲にこだました。
「話がしたいんだ」
男もわたしどうよう声をあげた。
「話なんてない。俺は理解できない。家にくるな」
男が押し殺したような声で呼ぶ。わたしはきこえないと首をふった。まぶたをとじ、走りだそうかとおもったが、わたしは目をひらき、ふたりにかけよった。
「――『喫茶牧』って店で、定休日の水曜日以外はアルバイトをしてるんだ。たまにでない日もあるけど、俺に会いたくなったらこの店にきてくれ。でも、話はできないとおもう。俺、本当にあんたたちのことわからないから。家にはこないでくれ。それから、そのさっきから呼んでる名前もやめてくれ。耳障りなんだ。俺、ここでは雪男って呼ばれてるからそう呼んで。――いい?」
自分勝手な要求ばかりだったが、家にはきてほしくなかったし、かといってあきらめてくれるかどうかわからないし、なにより、このふたりに冷たくしたくなかった。
わたしにできる譲歩はこれが精一杯だった。
「雪男……」
「そう、おじいとじゅうぞうに名付けてもらったんだ」
女性がちいさく微笑んだ。
「いまは、そのふたりが家族なのね……」
わたしは男に視線をやった。
「いいか?」
「……また、姿をけさないって約束するなら……暫定的にそうするしかなさそうだな。それでいいか、北川」
「ええ……すぐには無理そう……」
ふたりの視線が痛かった。
「姿は、けさないよ。じゅうぞうの傍にいたいから……じゃあ」
ようやく背をむけても追ってこなくなった。
家にむかってひたすらあるきながら、ふたりのことが頭からはなれなかった。あのふたりの目。
冷酷そうですらある男の顔の奥にある目は、森のおくぶかくにある、ひとに汚されることのない澄みきった湖を連想させた。
あんな瞳をもつ男をわたしはしらない。
美人といっていい女の目には、冒険家の夢見る力強さがあった。幻想や、はかなく、美しいものにものおじせず、愛でることがきる人間にちがいない。
印象にのこるふたりだった。
(――きっと、店にくる)
わたしに会いに。
わたしの知らないふたりは、わたしを知り、探し求めていたという理由で、店にくる。
(でも俺は、なにもしてやれないけど……)
それが残念でもあり、安堵することでもあった。