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分身  作者: みやしろちうこ
第3部
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20

 じゅうぞうは小学四年生だった。

 その年のわりにはちいさい気がする。


 じゅうぞうの学校は各学年が一クラスづつしかない。人数も十以下だそうだ。

 四年一組は五人クラスで、担当は小杉美希こすぎ みき先生。

 わたしはじゅうぞうにつきあって登校し、そのまま教室までいき、端で見学をした。チャイムが鳴ると、美希先生は、上下みどりのジャージ姿であらわれた。長い髪を首のうしろでまとめ、背中にながしている。化粧気はなく、頬が赤い。

「おはようございます……あれ……」

 さっそく発見された。

「先生、じゅうぞうくんのお兄ちゃんだそうです!」

 授業がはじまるまえに会話していた女の子が声をあげた。

権藤雪男ごんどう ゆきおって名前らしいよ、ねー」

「いっしょに暮らしてるって、それで今日、いっしょにきたって、朝、教室きたら知らないひといるんだもん、びっくりしたー」

「美希せんせー、今日、見学したいんだって、いい?」

「え、あ……うん、どうぞ」

 教卓のまえにかたまる学生机から、つぎつぎと情報があがり、わたしが一言もはっするまえに見学許可がおりていた。


 国語、算数、社会……となつかしい教科がつづいた。

 学生身分でない気軽さからか、小学四年生であった当時よりよっぽどわたしは授業をたのしんできいた。

 美希先生はなかなか教え上手だ。教える中身がずれていっても気にしない、おおきく抱擁するように話す。


 お昼の時間になった。

 机をむかいあわせの班にし、教室をつぎつぎ飛び出していく。

 このクラスにはお昼当番はないらしい、全員で給食をはこんでくる。

 わたしは端でこしかけていた小さな椅子からたち、ストーブにちかづき、窓のそとをながめた。

 教室にはひとつの石油ストーブがついている。人数もすくないのでこれで十分だった。手のひらをあたためる。

(――さて、家に帰ろうかな……)

 背後で、子供たちがキャーキャーさわいでいる。

「じゅうぞう、それじゃ俺、帰るよ」

 ふりむくと、合体した五つの席の端に七つ目の給食と椅子が用意されていた。

 六つ目が先生の分というのはわかる。


「いつもすこしあまるんですよ。よかったら給食もごいっしょにいかがですか」

 先生に、ちいさく首をかしげてたずねられた。

「……はい」

 自分のために用意された食事にわたしは抵抗できなかった。


 全員が席につくと、ひとりひとりの顔を見た。女の子が三人。男の子がふたり。この五人は、入学してからずっといっしょなのだと、このときわたしは、はじめて気づいた。



***




 春になり、いつのまにかじゅうぞうたちは五年生になった。教室の場所が移動しただけの変らなさだ。先生もおなじだ。


 あたたかくなってきたせいか、わたしはじゅうぞうの登校につきあっても、見学で長居はたまにしかしなくなった。


 家と学校のあいだには二股道があり、右が学校。左がここら一帯の買い物や娯楽の場所へとつづいていた。

 わたしはそっちへぶらついたり、まっすぐ家にもどって時をすごした。冬がおわり、芽吹く草木はいっときも目が離せない。


 ジーパンにチェックの綿シャツ、そのうえにジャケットをはおっていた。髪はずっと切ってないので結べるほどのびていた。

 その店のまえで立ち止まったのは、コーヒーのいい香りがしたからだ。いままでかいだことのないほど。

(あ、ここの、美味いんだろうな……)

 『喫茶牧きっさ まき

 模型のメニューはなく、壁に黒板がかかっている。

 コーヒー各種。アイスコーヒー。モーニングセット八時半~十時。オレンジジュース。バニラアイス。サンドイッチ。

 それだけだった。

 壁はベージュで、ドアがこげ茶。格子窓がある。なかにはカウンターにふたりの男客と、店長らしき男が見えた。

 地味で簡素な店だ。

(コーヒーの味だけで勝負ってかんじだな。飲んでみたいな)

 白いチョークの字を見つめる。

 尻ポケットに手をのばすが、なかの物にはうえからさわるだけにした。未練たっぶりにドアを見返しながら、店前から離れた。


(これは……つかえるんだろうけど……)

 おじいから家のものは好きに使わせてもらっていたが、お金をもらってはいなかった。わたし個人で自由になるお金など持っていなかったのだ。第一に、わたしは財布すらもっていなかった。

 しかしデビットカードだけはもっていた。

 暗証番号もおぼえている。


 そのカードには名前が記載されている。それを所持する人物名だ。

 つまり、わたしこと栗栖崎周平の。


 このながれるままに生きているわたし。

 住むところも、食べ物も与えられている人間。

 そんなわたしがカードをもっている。


 なんども捨ててしまっていいとおもったのだが、自分の名前が唯一書かれたものだという理由だからだろうか、捨てられなかった。

(くりすざき、しゅうへい)

 じゅうぞうのよこで眠る夜中や、散歩する草原で、自分の名前をなぞってみる。よくしっている。なじんだ名前だ。

 となりの熱い体温のように、あるく大地のように自然な名前だ。どうしようもなく自分の一部なのだ。


 カードは自分の名前を思い出すよすがとなるものであって、お金だという意識はほとんどなく、それをつかって美味そうなコーヒーにありつく気にならず、閑散としている街にでるたび『喫茶牧』のまえで香りだけあじわった。




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