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分身  作者: みやしろちうこ
第1部
2/56

02


 小川貢は、TVや新聞をとってないひとでも、一度は名前をきいたことがあるだろう。能見は裏方の人間なので名は知られていないだろう。北川敦子は本人よりも経営する会社と契約している人物たちが有名だろう。



 あれは高校一年のいつだったろうか。たしか夏休み明けだった気がする。栗栖崎が熱をだした。

「俺、たまに学校でおまえのこと天才ってきくんだけど、バカのほうだよなぁ」

 ベッドサイドに冷えたスポーツドリンクを置いてやりながら声をかけるが、メガネをはずし、顔を紅潮させている顔を見下ろすと、こっちまで苦しくなった。

 返事もせず栗栖崎はねむっている。

「……じゃ、俺、学校いってくるからな」

 半そでYシャツに濃緑色のネクタイ。灰色と黒のチェックのズボン。鞄も靴も指定のもの。

 その日のネクタイはママさんに結んでもらった。手渡された弁当と鞄をかかえて、わたしはひとりで登校した。

(栗栖崎が休んでるなら、俺も行かなくていい気がすっごいするな……)

 とぼとぼ田園をながめながらあるいた。わたしはこのまま家にひきかえすか、どこかに行ってさぼってしまおうかと考えていた。ただ、ママさんにお勉強するとお腹が減るでしょ、といわれて渡されているお弁当が、なによりの重しになっていた。

 勉強もしないでこれを食べてはいけない気がしていた。弁当はおろそかにしていいものではない。


 しかしその日は休んでもいい日だったとおもう。いや、やはり休んでいたら小川と口をきく機会がなかったかもしれない……。


 三限目はあろうことか、体育だった。

 体育館でバスケットボール。体操服はロッカーにいれてあった。

 袖と首回りが緑のシャツには加西と名前の刺繍がはいっている。短パンも緑。体育館用のシューズをもって、わたしはようやく危機に気づいた。

(――ネ、ネクタイ……!)

 外してしまっていたのだ。


 こころもち青ざめていると、クラスメイトが遅れるよと声をかけてきたので、わたしは頭をどうしようでいっぱいにしながら駆け出した。

 体育でペアになるものではいつも栗栖崎が相手だった。同じクラスになったのは天の配剤だろうと栗栖崎はいっていたが、休まれてしまえば意味もない。

 ぽつんとしていたら、同級生が相手をしようと申しでてくれた。今朝ひとりで教室にあらわれると、びっくりした顔をしていた三人だ。 

 その時間はその三人にかまわれながら過ごした。

 そしてチャイム。


 わたしは四限目の英語をネクタイなしで受けた。英語の先生は、授業が終りドアをあけながら、わたしにネクタイを結ぶようにと注意した。

「加西くん、お昼ひとりなんだろいっしょにどう?」

「あ……うん」

 例の三人だ。安井、近藤、津田といった。

「ネクタイしないの?」

「暑いから」

「ふうん。でもたしかに暑いよねー」

 結べないというべきだったのかどうなのか。このネクタイは栗栖崎が結ぶべきもので、他人にあまり手をだしてほしくなかった。

「加西くんて、栗栖崎くんといつもつるんでいるだろう」

「そうそう、まえから俺たち興味あったんだよ」

「ふうん……?」

 ママさんお手製弁当を机にひろげ、ぱくつきながら三人のおしゃべりをきいた。よく話す三人だった。でもあまり頭には入らない。しきりと栗栖崎のことをきかれるかとおもえば、よこにすわった津田が腕にさわってきた。


 弁当をたいらげると、わたしはさっさと席をたった。

「ちょっとやることがあるから」

 やるべきことのために、わざわざ美術室まえの淋しい位置にあるトイレまで足をのばした。

 鏡をまえに、ポケットからネクタイをとりだす。緑の紐。むずかしい顔をしたわたしは慎重に端と端をもち、たたせた襟の首筋にそっとまわした。

 それからしばし手をうごかし、完成したのは蝶々結び。

 鏡のなかの少年が愕然とした顔をする。

 額にかかったいくぶん乱れたやわらかそうな髪。ちょこんとした鼻に、厚めの唇。どうということのない普通の顔だ。

 わたしは結びをほどき、再度チャレンジした。栗栖崎やママさんにいわれた手順を思い出しながら。

 それでもはやり無理は無理なはなしだった。


(――帰ろう……午前中分は勉強した。弁当もたべた。ネクタイは結べない。帰ろう……)

 襟元にリボンをつくった高校男子はそうおもった。


「あれえ、どうしたのそれ?」

「かわいいことしてるねー」

 大きな声でトイレに入ってきたのは、上の学年であろうふたり。かっこつけたようなかっこしているが、かっこよくない、というよくあるタイプだ。

「いえ、べつに」

 出口にむかったらふさがれた。ふたりを見上げると、にやにや笑っている。あきらかにからかっている。こんなふたりでも、すごく緩くだがネクタイをしている。

「あ、俺、こいつ知ってるー。一年の、ほらクリスザキって奴の連れ」

「ああ……あのクリスザキか」

 そのころ栗栖崎家長男・周一は海外で俳優活動を開始していた。たいてい栗栖崎は周一さんの弟として最初意識され、そしてやつ独自の実力でつぎに意識される。

 栗栖崎は一学期の実力テストでその対策期間をすべてわたしに費やしながら、学年一位だった。担任の教師が狂喜した顔で廊下で栗栖崎をつかまえて話すのを、わたしはよこできいていた。


「きみのお友達は今日どうしたの?」

 右手に立っていた男が、わたしを壁におしつけた。不快な顔をして見上げると、あれ? という顔をした。

 手がわたしのネクタイをつかむ。

「ずいぶん、ふたり仲がいいってね。こんなかわいい結びかたしてクリスザキに見せんの?」

 左手に立っていた男が、右手の男を不審気に視線をやったのは一瞬だった。すぐに了解したような顔になり、ネクタイをつかむ手を振り払おうとしたわたしの腕をつかんできた。

 昼間なのでトイレの電気はついてない。すりガラスから充分の明かりがはいってくるが、影の部分はひんやりしている。わたしは背に冷たさを感じていた。

 もがくが、腕ははずれない。ネクタイがはずされる。

「おい、はなせよ」

「結んであげようか加西くん。また蝶々がいい?」

 名札を見たんだろう、名前をしたしげに呼ばれる。

 蹴りをいれようとした足を、足で壁におしつけられる。こんな乱暴をされたのは初めてだった。栗栖崎に負けないくらいの身長で、体格の劣るわたしで遊ぶ。

 

 栗栖崎はこんなことはしない。長身の栗栖崎一家にとっては百七十もないわたしはつねに埋もれるようだったが、体格差で遊ばれたことはない。末っ子の周介がからかってくることもあったが、ぜんぜん気にならなかった。楽しいくらいだった。

 でも、このときは不愉快で、腹がたった。


 顎をつかまれて、無理矢理うえにむけられた。染めた髪が頬にふれた。

「結んでやろうかってきいてんだよ、おい。おまえ耳ついてんのかよ」

「結ば、なくてい……」

 いいかけると、顎に痛みがはしった。



「結ばなくていいそうですよ、先輩がた」

 ふりむいた先輩がたのあいだから、わたしは見た。ドアのまえでこっちを見ている、野球部の四番バッター。

 同学年の、小川貢だった。




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