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分身  作者: みやしろちうこ
第3部
18/56

18

 ひろい、ひろい、空だ。


 わたしは濡れた足もそのままに空に見とれてあるいていた。ざくざく音をさせて。

 ふいに腕をひかれて、顔をさげた。

 まんまるい子供がわたしを見上げていた。わたしの腰くらいの背丈だ。

 着膨れてまるいだけでなく、その子自体も太っているのだろう、頬の肉が目をおしあげてつり上がっている。目だけ見れば狐だ。しかし全体は肉団子のよう。

「なに?」

(男の子かな……)

 年よりの皺と、子供の脂肪は性差がない。


「……こっち……」

 わたしの袖をつかんだまま、引いていく。青いダウンジャケットに、毛皮の帽子、マフラーと手袋という完全防寒なその子に視線をやったままわたしはついてあるいていった。

 ざくざくざく……。

 雪に足をとられそうなその子を、いつの間にかささえながらあるいた。ただただあるく。近くの木々、その果ての山。広大な空。

(ここ、どこだろう……)

 つい、つられて景色をながめて足がとまってしまったのだろう、丸い子供がまた腕をひく。


「こっち……」

「うん……」

 その子がうしろを向くと、丸い青い玉からささやかな手足が生えているようだ。

 ぐるりとある世界はどれも身を縮めているようなのに、前をあるく子供だけ弾む玉のよう。わたしがちゃんとついてきているかチラチラ振りかえるのに、微笑む。

 そうするとつり上がった目が線になった。笑っている。

「俺、ごんどう、じゅうぞう」

(男の子か)

 強そうな名前だとおもった。

「じゅうぞう」

 声にだしてもなかなかいい。

「そう、俺、じゅうぞう。お兄ちゃんは?」

「ああ、俺はね――」

 わたしは口をひらきかけ、そのまま閉じた。じゅうぞうに微笑む。

「内緒」

「えーなにそれ、ひどーい! 俺、俺、おしえたのにぃっ、それってひどーい!」

 案の定、キャーキャー甲高い声で抗議されて面白かった。

「好きに呼んでくれ」

 自分の名前はちゃんとわかっていたが、それをひとにおしえて、そう呼ばれるのが嫌だった。



***



 ぽつん、とした家のまえまできた。雪かきがしてあるが、それにしてもささやかで、周囲の景色に圧倒されているように建っている。

 だが、それだからこそ、わたしは気に入った。

 じゅうぞうは、手袋のままジャケットのポケットに手をいれようとして何度もバランスを崩しそうになりながら鍵をとりだした。

 ガタンガタンいわせて、鍵をさしこみ、ドタンガタンいわせてドアを左にひいた。

 わたしになにもいわず暗い家屋のなかにはいっていく。

 目をこらしていると電気がついた。

 狭く、雑然とした室内だった。右手が奥まで土間で、キッチンと、おおきなストーブと、腰掛け、壁には網や服などがかかっていた。

 左手は段差があって畳になっている。ちいさな机や、こたつや、襖、ごちゃごちゃしたものが積みあがっている。

 窓は、右手壁にふたつと、奥手にひとつ。はいってきた玄関脇にひとつあった。

「はいりなよ。ドアしめて」

「うん、ありがとう……」

 ぐるぐる見まわしながら、入っていった。じゅうぞうは、ストーブに火をいれ、キッチンの洗い場からマグカップをひとつと、湯のみをひとつもってきた。

「これすぐあったかくなるよ、そこすわって、靴ぬいだら」

「うん」

 まるまるして動きにくそうなのに、室内では慣れているのか俊敏で、しかも客人であるわたしに申し分なく気をつかってくれた。

 じゅうぞうお薦めのストーブは威力があった。

 ごうごうと火がおこる。雪で湿気ていた靴も靴下もズボンもコートも、わたしの身につけていたなにもかもから湯気がたつようだった。

 わたしは遠慮なく、靴もコートも靴下もぬいだ。

 じゅうぞうもトレーナーとパンツだけになっている。窮屈に首を巻いていたマフラーがはずれても、やはり頬は目をおしあげていた。髪は短く、かたちのいい耳がでている。

 しばらくおたがいを観察しあって沈黙がながれた。



 ストーブにかけていたやかんが蒸気をあげた。じゅうぞうが動く。

「あ、俺がとるよ」

 じゅうぞうが手をのばすまえに、取っ手をつかんだが、いそいで離した。

「タオルかして」

 無言でじゅうぞうが手渡してくる。やかんをさげると、じゅうぞうが用意していたカップのかなにそそぎいれた。ミルクココアの甘い香りで周囲がいっぱいになる。

 じゅうぞうは、段差のある畳のほうに、足がとどくように置いてある木箱をつかって腰をかけココアをふーふーしながら飲みだした。

「いただきまーす」

 わたしは最初にすすめられた土間の腰掛けで飲む。

 甘い。

 手先が痛い。いつまでたってもじんじんとする。

 熱い液体が喉をとおって腹におりていくのをリアルにかんじる。



「――なんだ、けっきょく拾ってきたんか」


 ガタン、とドアがあいて、壊れた鐘のような声がした。

 長靴の底についた雪をごしごし床のとっつきでけずると、白い髭におおわれた老人はガンと音をさせてドアを閉め、ストーブのまえまできた。


「ひとりが淋しいからって、家にまでいれよって」

「…………だって」

「だってじゃないじゃろ、見てみろ、すっかり我家気取りじゃ」

 カーキ色のマフラーを乱暴にはずしながら老人がわたしを見た。

(え、俺のこと!?)

 …………たしかに靴下までぬいで、ココアを飲んではいたが、そこまで図々しくはないとおもった。


「そんで、名前はいうたんか」

「ないしょだって」

「そうか不便じゃな」

「あ、あの……」

 話がどこへむかっているのやら。

 老人はじゅうぞうのよこに腰をおろすと、いよいよわたしをじろじろ見た。わたしのほうも見返した。

 がっしりしていて頑健そうだった。髪も髭も真っ白だから七十代くらいだろうか。肌は日焼けしていて黒い。目つきがするどいし、声は迫力だし、やたらと威圧感のある人物だった。


雪男ゆきおじゃな。それでいいか、じゅうぞう」

「うん、いいよ」



 その日からなんとなくその家にいついてしまったのだが、ふたりは当然というようにわたしをあつかった。 

 もちろん「好きに呼んでくれ」といった名は、祖父と孫の関係のふたりによって、わたしは雪男と呼ばれることとなった。





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