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分身  作者: みやしろちうこ
第1部
10/56

10

 家に着いたのは夕飯の時刻。

 鍵はかかっておらず、玄関にはいるとリビングからピアノの曲がきこえた。いっしょに入ってきた周一さんを見上げる。

「明日は何時にむかえにきてくれるの?」

「――ああ……うん、十一時くらいかな。な、ブンちゃん、お母さんはいるのかな。俺、ひとこと挨拶しておこうとおもうんだけど」

 わたしは首をかしげた。

「うん、じゃあ、呼んでくるよ」


 母は、ピアノ演奏曲をききながらソファにもたれて雑誌をよんでいた。キッチンのテーブルにはすでに夕食が用意されていた。二人分。いつものとおり。

「母さん、帰ったよ」

 声をかけると、母は頭をあげた。表情のない顔。

「そうなの。ずいぶん早かったわね」

「うん。栗栖崎の一番うえのお兄さんが玄関にいて、母さんに挨拶したいんだって」

「そうなの。お母さんは行かないわよ」

「わかった」

 そういうと、母はようやく微笑んだ。


 玄関に引き返して周一さんと目があうと、わたしは首をよこにふった。

「…………そうか……」

「明日ね。周一さん。俺、家のまえにいるから」

「わかったよ。今日はゆっくり休むんだぞブンちゃん」

 わたしの頭を撫でて、周一さんはでていった。エンジンが遠ざかる音をききながら、わたしは階段をあがった。

 病院でオレンジジュースを飲んだだけだったが、お腹はすいていなかった。すいていても買いにいく気力がさすがになかった。

 夜中、父が帰宅してからわたしの部屋にきて、いろいろ話しかけられた気がするが、ベッドに沈んでいたわたしはよく覚えていない。




****



 翌日、十一時より三十分はやく周一さんは家にきてくれた。その三十前から待っていたわたしが助手席にのりこむと、コンビニの袋をわたされた。中身は、カツサンドとミックスサンド。紙パックの飲むヨーグルト一本。

「良かったら食べなよ」

「うん。いただきます」

 昨日のオレンジジュース以来の飲食物だった。あっという間にたいらげ、幸せにうっとりしたため息がもれる。


 ハンドルをにぎる周一さんは、トレーナーにコーディロイパンツすがた。飾りもない日常の、そんなすがたからして周一さんはどこか違っていた。パパさんに似た、くっきりした大きな目。四兄弟のなかで一番背が低いけれど百八十センチある。

 大画面で周一さんを見たけれど、異国の衣装でメイクをしていたにもかかわらず、周一さんは周一さんの、あの空気を持っていた。どこか鷹揚で、静かで、慌てたそぶりなどみせずに手早い。





 栗栖崎はパジャマを脱いでいた。

「いま、母さんが退院手続きしてくれてるんだ。それが終ったら、四人でお昼を食べて家に帰ろう」

「え、そうなのか」

 と、わたし。

「周平、痛みは?」

「息すると響くんだ。でもそんなに痛くないよ」

「車に乗ったらよけい響くぞ」

 周一さんがにやにやしながらいうと、栗栖崎は嫌そうな顔をした。その顔にはメガネがあった。




 そうしてその午後、お昼を四人で外食したあと栗栖崎の、この家に来て、わたしは両親の家にはもどらなかった。

 その日だけもどらなかったのではなく、ずっとだ。

 なんどか父がこの家に足をはこび、パパさんやママさんと話し合った。そのあいだもわたしは栗栖崎がそばにいることがしっくりしていて、別になることなんて考えもしてなかった。



 この家のひろい庭で、犬をつれながら栗栖崎とならんで散歩するわたしたちを、父や、栗栖崎の一家はよく見ていた。



 年が明けてからだった。


「ブンちゃん。ここでこのまま暮らそうか」

 ちんまりした家を建て、おおきな庭をつくったパパさんは、目尻に深い笑いじわがあって、空気をだきしめるかのようにからだがおおきく、手がおおきい。

 つくねの母親にあたるサシミとポーチでじゃれていると、そうきかれた。

「うん」

 返事をするとサシミごと抱きしめられた。



 春になると、栗栖崎とおなじ中学に転入することになった。

 わたしが一番びっくりしたのは、ママさんが弁当をつくってもたせてくれたことだ。兄弟とおなじことをしてくれたのだろう。

 教科書のはいったカバンを忘れても、わたしはお弁当だけは忘れなかった。傾かないよう水平にたもって登校することを毎日こころがけた。

 お弁当を毎朝慎重にはこぶわたしに、栗栖崎は歩調をあわせてくれた。一度も遅刻をしたことがなかったという栗栖崎は、中学二年になって居候といっしょに登校するようになってから遅刻の常習者となった。



 朝と、昼と、夜と、わたしにはわたし用のカップや、箸や、お椀があった。

 計六人と、動物多数で囲む食卓に、わたしの席にわたしの分の料理。どんなメニューがならぶより、わたしは自分のお椀や箸が、みんなの間にならんでいるのを見るとドキドキした。

 そうなると、じっとしていられなくて、動物たちを撫でたくてたまらなくなる。栗栖崎と目があうと、ニコニコと笑ってしまう。


「文治、ほら席につけよ」

 席はもちろん栗栖崎のとなり。

「食事、好きだよな文治は」

「そうだよ」

 自分の分があるのって、こんなに嬉しいもんだったんだ。知らなかった。

「ほら、冷めないうちに」

「うん」

 あったかいごはんは美味しい。





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