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あの有名な栗栖崎一家の三男坊と知り合ったのは小学四年のときだった。
栗栖崎周平と黒板に字を自分で書いて、
「くりすざきしゅうへい、と読みます。前の学校ではクリス弟、クリススリー、クリスサン、クリちゃん、などと呼ばれていました」
とみずからアダナを提供する自己紹介をした。
以来、いろいろあって、栗栖崎とはずっといる。
中学の途中までと高校がいっしょで、大学は違う。栗栖崎は有名一家の名に恥じず、とことんマイペースに、ノーベル科学賞を受賞してから、陶器家になって、いまにいたっている。
つい先日もむさむさしいかっこのまま帰宅して、ひとをしげしげと見つめたあと納得するように髭づらを縦にうごかしていた。たまにはよこにうごかしてみろ。
わたしはたいそう不機嫌だった。一ヶ月で帰るといっていたくせに、二ヶ月かかっていたからだ。
「おい、俺はこの二ヶ月、ミルクティが飲めなくて苦しんでいたんだぞ! 荷物を置いたなら、まずは俺にお茶を入れるべきじゃないのか!?」
「それは辛かっただろう」
また顔を縦にうごかしながら、栗栖崎はひょろっとした長身を台所にはこんだ。わたしはその間にだっと風呂場にはしり、湯沸かしのスイッチをいれ、それから栗栖崎のご両親に、周平が帰宅したとの報をいれた。
ここは栗栖崎の生家だ。半分、わたしにとっても生家である。今はわたしと栗栖崎と、犬のつくねとで暮らしている。栗栖崎の両親(わたしはパパさん、ママさんと呼んでいる)は、長男である周一さんの住むロサンゼルスにいる。
もちろん周一さんは、あのシュウイチ・クリスザキだ。
「文治、いれたぞ」
「おう」
狭いリビングをぬけるとそのままテラスになっている。木製の八人がけテーブルは昔のままだ。そこに栗栖崎はティーセットをひろげていた。
「さすがにスコーンはない」
「しかたないな。風呂、いま沸かしてるからな」
「そうか」
テラスのむこうはひろい庭がひろがっている。こんなにひろいのは、ここが田舎だといっても、ちょっとない。パパさんは、子供を四人もこさえて、ひろい土地を手にいれながら家を極少に建てた。
「庭はひろければひろいほうがいい」
というのが理由で、ママさんも大賛成だった。
しかし百八十センチクラスがひしめくようになると、栗栖崎末っ子の周介は、寝袋で外で寝た。その、一番上の兄は、キャンプを張ったし、次男は家を建てた。家が完成すると、彼、周太は、大学学生寮にはいった。
「なんだそれ」
と突っ込んだのは、わたしだけだった。
子供部屋ではわたしと栗栖崎だけで寝ていたものだ。
「文治、なにしてた?」
薄く、まばらな髭をさわりながら栗栖崎がきいてきた。陶器に焼く土をもとめてあっちこっち行ったあともどってくると、その間どうしていたかと必ずきかれる。
「寝てたかな」
「そうか」
わたしがなにをいっても、栗栖崎の返事はたいてい「そうか」だ。そうか、と受け入れてからさぐってくる。
「寝てただけか?」
「能見から電話があったな…………」
「へえ」
メガネの奥の、小さくてまるい目がより生気をもってうごいた。
「元気してるか、と。それだけだぞ」
「ふうん――お風呂、はいってくるよ」
自分の分もいれず、ひとが飲んでいるすがたをながめていた栗栖崎はそのまま大股で家にはいっていった。わたしはようやく紅茶に集中した。
この味だ。どうしてもこの味は奴でないとでない。
***
おなじ高校に入れたのは栗栖崎の特訓の成果だった。家から通えて、そこそこの高校、となると大路学園しかなかった。
わたしの集中力のつづかない頭を、机にむかわせて、目のしたにくまをつくりながら、ポイントをおぼえこませた。
「わかってるのか文治。僕とおまえは離れられないんだぞ、高校はでるって、ご両親と約束しただろう。投げ出すな――いっしょの高校じゃないなんて、許さないからな」
いつまでたってものみこめないでいるわたしにむかってついに栗栖崎はいったものだった。このときばかりは怖かった。
しかし何度ものどまで、
「栗栖崎あきらめろ。俺は義務教育の男だ。勉強はもうこりごりだ。バイトか就職する。いっしょの高校でなくもいっしょに住んでるし、いいじゃないか」
といいそうになったものだ。
高校は、入るのにこんなに苦しいのに、入ってもテストテストだそうじゃないか、それは憂鬱だった。全部、栗栖崎が面倒をみてくれるだろうが、嫌なものは嫌だった。家で、栗栖崎家のペットたちと過ごしていたかった。ママさんの掃除をしながらうたう歌声をきいていたかった。
どんどん試験日まで日数がおしてきたとき、ついに栗栖崎は倒れた。連日の不眠不休のせいだ。わたしが眠っている間も奴は、問題集や、わたしによりわかりやすいようにと、図形や、グラフ、年表をつくっていたのだ。
倒れたとおおさわぎするわたしをよこにして、その夜、家にいたパパさんとママさんとクリスフォーは、布団のなかの栗栖崎に、それぞれ語尾はちがうものの、おなじ内容のことをいった。
「周平、いまダウンしたらブンちゃんと離れるぞ」
わたしは、栗栖崎家のひとびとにわけいり、心をこめ、そして幾分かの安らぎを感じながら、寝ながら眉をしかめている栗栖崎にささやいた。
「いいんだ栗栖崎。高校なんてたいしたことない。だめなときは、働けばいいんだ」
ふりかえり、三人を部屋から追い出しかけていたら、栗栖崎が起き出した。眼力でわたしを机にむかわせ、三人はそれぞれ、肩をたたいたり、栄養剤をさしいれたり、賞賛のことばを奴におくっていた。
四月、わたしは栗栖崎とならんで大路学園に登校した。
「どうだよ文治。受かってよかっただろ」
気持のいい桜並木だった。
「毎日、ネクタイ結んでくれよ」
「ああ」
わたしはまたしても制服をきるはめになった。今度はブレザー。しかしネクタイを結ぶ、という難事業は栗栖崎がひきうけてくれたので、顔をあげて薄いピンクをたくさん見た。
いい天気の第一日目だった。
その高校で、能見純一と小川貢、北川敦子に会ったのだ。




