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見抜けぬ正体

 見抜けぬ正体

 

週明けの月曜日、全社員が出勤していると言うのに、ルリの姿だけがそこになかった。

 

仲間達は、何時もなら一番乗りをしている筈のルリがまだ出勤していないことに気付いて、不思議に思う。

 

彼等が知っている限り、ルリが無断欠勤をしたことはない。

 

後10分で始業時間だと言う時間に、「お早うございます」と誰かがやって来た。

 

聞き覚えのない声を聞いて、一斉に入り口を見る。

 

入り口には、腫れぼったい目にマスクをして、右足首に包帯を巻き、両膝に大きな絆創膏を貼った、痛々しい姿のルリが立っていた。

 

一年の災難が一度にやって来たような酷い姿のルリを見て、訝しげだった仲間の顔が、一斉に驚きの表情に変わった。

 

「どうしたんですか?」

 

後輩の亜由美がルリに駆け寄り、ルリのバッグをルリの代わりに持つ。

 

「足は? 捻挫?」

 

同僚の綾子が来て、ルリに手を貸して席まで連れて行き、イスに座るのを手伝う。

 

ルリがイスに座ると、綾子も隣の自分の席に座る。

 

「ドジなルリのことだもの、彼も看病には慣れたんじゃない?」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべて、茶化すように言う。

 

ルリの性格を本人以上に知っている彼女は、ルリが照れながらも「うん」と言うと思っていた。が、意外にも、ルリは無言で苦笑を向けた。

 

プライベートでも親密な付き合いをしている辻綾子は、ルリの苦笑を見ただけで何かあったのだと察した。

 

「もう大丈夫よ。有り難う」

 

ルリが笑顔で礼を言うと、仲間達はルリの事を心配しながら、それぞれの席へ戻る。

 

そんな中、綾子だけはその場に残った。

 

辺りを見回し、側に誰も居ないことを確認する。

 

仲間達は、これからの仕事の準備で忙しそうで、ルリと綾子の事など気にしていない。

 

「何かあったの?」

 

周りに誰も居ないと確認したが、それでも周りに聞こえないように、声のトーンを落とす。

 

「彼と別れたわ」

 

衝撃的なことを普段と変わらない様子で、サラリと言う。

 

別れを吹っ切れたからサラリと言えた訳ではない。

 

ルリの強がりだと思った。

 

「何で?」

 

思っていたより辺りに声が響いて、思わず両手で口を押さえて辺りを見回す。

 

仲間達は二人に一瞥を与えただけで、あまり気にしていないようだ。

 

ルリに向き直って、また声のボリュームを落とす。

 

「先週、婚約したばかりでしょ?」

 

「他に護りたい女性が居るって。君は強い女性だから、一人でも大丈夫だろうって言われたわ」

 

ルリにとっては聞き慣れた別れの言葉だった。

 

聞き慣れてはいたが別れに慣れた訳ではない。

 

「他に女が居たの? 酷いわ! それで泣き腫らした様な顔をしているのね」

 

「そんなに酷い顔?」

 

嫌な空気から逃れたくて、わざとおどけて見せた。が、綾子には通用しなかった。

 

「今日は家で休んでた方が良いわ。その顔じゃ、人に会えないでしょ?」

 

「辻君の言う通りだ」

 

不意の男性の声に驚いて、二人同時に振り返る。

 

背後から話に割り込んできたのは、二人の雇い主━この会社の社長だった。

 

さっき辺りを見回した時、人影は無かった。


「ここのところ仕事に追われて、満足に休んでないだろう? 有給を全部使うつもりで休みなさい。心の傷を癒すには、旅行が良いぞ」

 

心の傷を癒すには、旅行が良いぞ」

 

何時からそこに居て、どの辺りから話を聞いていたのかと言う疑問は、最後の一言で解消された。

 

多分、彼と別れた━辺りから聞いていたのだろう。

 

「でも━」

 

「資料さえ用意してくれれば、私が対処するわ」

 

「私達もお手伝いします」

 

ルリ達の話を聞いていた仲間達も、社長と綾子の提案に賛成した。

 

「有り難うございます。それでは、資料が整い次第帰ります」

 

ルリが申し訳なさそうな顔で頭を下げると、社長は納得したように一つ頷いて、社長室に消えた。

 


 ×××

 

ルリは、終業時間より少し早く、16時頃退社した。

 

資料をまとめるだけで、ほぼ一日を使ってしまった。

 

自分がどれだけ仕事に追われていたのか、改めて思い知った。

 

朝から晩まで、仕事の事しか考えていない。

 

もっと器用なら、仕事と恋愛の両立が出来るのだろうが、生憎ルリは不器用で、一つの事にのめり込み、他の事が見えなくなる性格だった。

 

これじゃあ恋人にも愛想を尽かされて、他に好きな人が出来ても仕方ないと思った。

 

駅へ向かって歩いていると、捻挫した足が痛みだした。

 

何処かで休みたい━そう思って辺りを見回す。

 

直ぐ側に喫茶店を見付けて、休んで行こうと決めて歩き出す。

 

途中、CDショップの前を通った。

 

入り口には、誰だか判らないアーティストのポスターが沢山貼られている。

 

沢山のポスターの中に、見覚えのある顔があった。

 

何処で見たのか、考えてみる。

 

顧客の中に居たかしら?

 

いや、顧客の中に、芸能人の類いは居ない。

 

では何処だろう? と考えて、直ぐに諦めた。

 

他人の顔を覚えるのは苦手だ。

 

弱視で良く見えないせいもあるが、皆同じ顔に見えるのだ。

 

その代わり、声や雰囲気等の視覚以外からの情報や、文面からの情報は絶対に忘れない。

 

ある意味、特別な能力と言える。

 

ルリが見ていたポスターの人物は、間違いなく昭仁だった。が、何時もと違う雰囲気が、ルリに別人だと思わせた原因だった。

 

昭仁の曲は、ルリも好きで良く聴く。が、残念な事に、昭仁の顔と名前は、ルリの記憶にインプットされていなかった。

 

曲を聴く上で、タイトルとアーティスト名は、ルリに必要無い。

 

気に入った曲だけを聴くのがルリで、曲を手に入れる為に必要不可欠なタイトルやアーティスト名は会社の後輩が持っていて、ルリの質問にピンポイントで答えてくれて、ルリが欲しいと思っている曲を手に入れてくれるのだ。

 

好きなモノは無条件で好き━それがルリだった。

 


 ×××

 

昭仁は、偶然にも、ルリが歩いていた道を同じ方向へと歩いていた。

 

このまま歩いて行けば、この先の喫茶店でルリが休んでいる。

 

だが、たった今、通り過ぎようとしている喫茶店でルリが休んでいるとは知らない昭仁は、脇目も振らずに歩いて行った。

 

一方ルリは、偶然窓際のテーブルに着いていて、目の前を通り過ぎる昭仁に気付いた。

 

呼び止めようと思って慌てて立ち上がったが、直ぐにユックリと座り直す。

 

礼を言う為に呼び止めようと思ったのだが、下着姿を見られた事を思い出し、どんな顔をして会えば良いのか判らない。

 

イスに座り直した時、昭仁の顔を何処かで見た━と思った。

 

つい最近。たった今。

 

今度は必死に、今までにないくらい必死に思い出す。が、直ぐに諦めた。

 

自分が他人の顔を覚えられない事は、人に言われなくても判っている。だが正直、ここまで酷いとは思っていなかった。

 

顔を覚えられない事が、こんなに困る事だとは思っていなかった。

 

思い出すのを諦めて、喫茶店を出ることにした。

 

イスから立ち上がって、右足に体重を掛けてみる。

 

足の痛みは、すっかり取れていた。


 ×××


テレビを付けていながら、ルリの視線は一度もテレビに向けられず、音も耳には届いていないのかと思うくらい、読書に没頭していた。


一心不乱に本を読んでいたルリだが、目が疲れたのか、不意に顔を上げて、壁に掛かっている時計を見る。と、8時になろうとしていた。


時間を知った途端、空腹を覚えた。


ぉもむろに本を閉じると、一つ大きな伸びをして、ソファーから立ち上がる。


何気なく、付けっ放しのテレビに視線を送ると、これから音楽番組を始めると予告していた。


軽い食事を取りながらテレビでも見ようと思い、眼鏡を外してからキッチンへ向かう。


テレビが番組を始めると告げるが、ルリの視線はテレビに向けられない。


ルリの視力では、数メートル離れただけのこの距離からでも、テレビ画面が見えない。


弱視のルリは、コンタクトや眼鏡などを利用して矯正してもあまり効果は無い。


普段はコンタクトだけを使用して、仕事時は更に眼鏡を使用して視力を上げている。


コンタクトだけで裸眼と大して違いのない今、テレビ画面は見えないと判っているから、見ようとしなかった。


次々と名前が呼ばれて、沢山の拍手が聞こえる。


出演者の紹介をしているのだろう。


数人の出演者の中に、“アキヒト”の名前を聞いた。


視力が弱い分、耳は抜群に良いルリだが、聞き間違いかと思った。


確認する為にリビングへ戻り、眼鏡を掛ける。が、既にアキヒトの姿は無かった。


自分が知っている現実の昭仁と、非現実的なテレビの中の“アキヒト”が同一人物だとは思わないが、どのくらい違うのか、何となく興味を持った。


このまま番組を見ていれば、そのうちその姿が見られるだろうと気楽に構えて、眼鏡を外してキッチンへ行く。


基本的に、眼鏡は嫌い─眼鏡を掛けた自分の顔が嫌いだった。


キッチンへ行くと同時に、テレビの中の司会者が“アキヒト”の名前を呼んだ。


最初に歌うと知って慌ててリビングへ戻り、眼鏡を掛けてテレビを見る。と同時にCMになった。


苛々しながら、今度は見逃すまいとソファーに腰掛ける。と、今度はドアベルが鳴った。


急な来客で、テレビに集中出来ない苛立ちを隠さず、渋々玄関へ向かう。


「はい?」


「私」


ドアの向こうから聞こえてきたのは、綾子の声だった。


ドアを開けて、綾子を招き入れる。


「どうしたの?」と聞きながら、テレビの音を気にする。が、ボリュームが小さすぎて、流石のルリにも聞き取れない。


「遊びに来たわよ」


満面の笑みの綾子の手には、缶ビールが入った袋があった。


「入って」とルリが言う前に靴を脱ぎ、リビングへ向かっていた。


綾子を追う形でリビングへ行くと、テレビの中で“アキヒト”と司会者が話をしていた。


今度は、シッカリとその声が聞こえた。


男性にしては少し高めの独特なその声は、何処かで聞いたことがある。


テレビや電話など、間接的に、ではない。


直接、この耳で聞いた。


誰の声なのか、何処で聞いたのか、記憶を探る。


視線をテレビ画面に向ける━と同時に画面は切り替わり、“アキヒト”の姿は消えた。


まるで“アキヒト”の姿を見せまいと邪魔しているようだと思い、その姿を見るのは諦めた。


「今日、彼にそっくりな人が会社の前に居たわよ」


「彼って?」


キッチンへ行き、コーヒーを淹れながら、綾子との会話に専念する。


「今のミュージシャン。亜由美ちゃんが、絶対に本人だって言い張ってたわ。私もチラッと見たけど、こうして見ると確かに似てるわね」


「ウチの会社に来てた訳じゃないんでしょ?」


ビールを飲む為のグラスを綾子に渡して、向かい合ったソファーに座る。


テレビに背を向ける姿勢だ。


「まあね。ビルの前に居ただけだし。飲む?」


袋からビールを取り出して、ルリに差し出す。


ルリが断ると知った上で差し出した。そして思っていた通り、ルリは断った。


「まだ体調も万全じゃないし、大切な有給を二日酔いで過ごしたくないわ」


「それもそうね」


アッサリと差し出していたビールを引っ込めると、自分で飲む為に開けた。




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