胸(チェスト)を借りるつもりで
「……はぁ、ようやく静かになった」
放課後の廊下。僕は一人、購買部で買った『骨太牛乳』をストローで啜っていた。 教室では神代さんと首藤先輩が「どっちがより優れたケアができるか」で、机をガタガタ言わせながら決闘を始めてしまった。巻き込まれる前に逃げて正解だ。
だが、学園の廊下は安全地帯ではない。
ドン、と。 前方から歩いてきた巨大な「壁」に、僕はぶつかりそうになった。
「おっと。すまないな、小さなエルボー君」
見上げれば、そこには制服のボタンが今にも弾け飛びそうなほど大胸筋を発達させた男が立っていた。 その胸板は、厚いというよりは「深い」。
「……その胸。……もしかして、『胸特待生』ですか?」
「察しがいいな。私は『五体満足』が一人、胸守鋼だ」
胸守がフンッ! と鼻を鳴らすと、彼の胸筋が意思を持っているかのようにピクピクと跳ねた。 骸骨掌学園において、胸部は「盾」であり「衝角」だ。
「脊山が腰をやられたと聞いた。奴は背骨を過信しすぎたのだよ。真に体を支えるのは、この『防弾大胸筋』。……君の肘が、私の胸を貫けるか試させてもらおう」
「いや、僕はただ牛乳を飲み終えてゴミ箱に行きたいだけなんですけど」
「遠慮はいらん! 胸を貸してやる、全力で来い!」
胸守が両腕を広げ、無防備に胸を突き出した。 一見、隙だらけの誘いだ。だが、彼の胸筋は受けた衝撃を何倍にもして跳ね返す『反動装甲』。下手に殴れば、こちらの腕が砕ける。
(……この人、胸の筋肉が凄すぎて、逆に『胸骨』のつなぎ目がガタガタだ)
僕は溜息をつき、空いた左手で牛乳パックを潰さないように持ち替え、右の肘を軽く突き出した。 狙うのは、左右の大胸筋が交わる中心点。胸骨のわずかな窪みだ。
「シィッ!」
鋭い踏み込み。 僕は自分の肘を、彼の胸板の「一番深い場所」に、そっと置くように突き入れた。
【点穴・肘――胸部点】
――ドムッ。
鈍い音がして、僕の肘が彼の胸筋の奥深くへと沈み込んだ。
「…………ッ!?」
胸守の動きが止まる。 彼は叫ぶこともできず、金魚のように口をパクパクさせた。 僕の肘が胸骨をわずかに圧迫したことで、彼の『反動』は行き場を失い、自らの肺を激しくノックしたのだ。
「……あの、胸を借りるつもりで、優しく突いておきましたから」
「……は、ひ、ふぅぅ…………」
胸守はそのまま、ゆっくりと後ろに倒れ込んだ。 床に激突する寸前、彼の自慢の胸筋が最後の反動で「ボヨン」と跳ね、死後硬直ならぬ『胸筋硬直』で彼は彫像のようになった。
「……鉄男ぉぉ! また私の見てないところで他の部位を突いたわね!」
廊下の向こうから、肘を光らせた神代さんが全速力で走ってくる。
「……もう、転校どころか休学したいな」
僕は空の牛乳パックをゴミ箱に投げ捨て、逃げるように走り出した。
【第5話 Tips】
■ 新登場キャラクター
胸守 鋼
部位:チェスト(胸)特待生
特徴:五体満足の一角。厚すぎる胸板であらゆる衝撃を跳ね返す「歩く防波堤」。しかし胸の中心が弱点という、構造上の欠陥を鉄男に突かれる。
■ 用語・必殺技
防弾大胸筋: 胸守の肉体そのもの。銃弾すら跳ね返すと豪語するが、肘一点の圧力には弱かった。
胸筋硬直: あまりの衝撃(または快感)により、胸の筋肉が収縮したまま固まってしまう現象。




